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自然治癒力と決意


 以前ボディワーク(施術)の仕事をしていた時のことをふと思い出す。セッションに来られたあの人は今どうしているかなと思う。施術した数千人のクライエントという数はプロとしてはそれほど多いとは言えないが、それでも印象に残るセッションもたくさんあって、そこから学んだことも実に多い。それは人間という存在を理解する上でとても貴重な経験となった。
その中でも、とある県立こども医療センターでの出張セッションは特に思い出深い。それはまた自然治癒力とは何かを考える上でも、たいへん重要な示唆を与えてくれるものとなった。
そのことは記事の後半に述べるが、まずは私が施術していたそのセッションはどういうものかについて説明しておきたい。


衝撃的な初めてのセッション

 90年代初め頃、私はインドのアシュラムという施設で数か月間のトレーニングを受け、それから現地で半年間ほど施設に訪れる人へのセッションをした後、日本に戻ってから個人で施術を始めた。パソコンもケータイもまだ普及していなかった時代で、予約する人は皆、口コミ或いは雑誌に載った記事を読んだという方たちだった。

 私が最初に始めた頃に行っていたクラニオセイクラルバランシング(頭蓋仙骨調整とうがいせんこつちょうせい)という名のボディワークは、元はアメリカ人のオステオパシー医師でミシガン州立大学生体力学教授だったジョン・E・アプレジャー博士により開発されたクラニオセイクラルセラピーという手技療法と内容はほとんど同じものである。

 本部のフロリダ州ウエストパームビーチにあるアプレジャーインスティチュートで働いていたスイス人のヴァドレーナ女史が、インドのアシュラムという瞑想を探求する施設内において、セラピーというよりもどちらかと言うと、より瞑想性を深めるためのヒーリングを目的とし、名前をクラニオセイクラルバランシングとしてトレーニングを行っていた。

 このボディワークを知るきっかけとなったのは、当時1年以上続いていた交通事故によるむち打ち症が、そのインドのアシュラム内で受けた、たった一度のセッションで跡形もなく消えてしまったという衝撃的な体験だった。それまでにも数十回となく様々な種類の施術を受けていたのだが、そういう劇的な体験は初めてだった。

 一体全体、このセッションでは何をやっているのか? むち打ち症が消えたことも驚きだったが、そのセッションの内容の方がもっと驚きだった。ただ指や手のひらを体のあちらこちらにそっと当てているだけで、未だかつてないほどの深いリラクゼーションが起こった。あまりにも深くリラックスしたために力が抜け切ってしまい、やっと起き上がるまでに30分以上を必要としたほどだ。10代の頃に一人で行っていた原初療法よりも、もっと洗練されたヒーリングワークだと感じた。その驚愕の体験が元で、トレーニングに参加することになったという次第である。


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脳脊髄液のリズム

 細かいテクニックに関する説明をするとなると、分厚い本一冊分の膨大な量を必要とするために不可能なことだが、大筋では次のようなものである。

 硬膜に覆われた脳と脊髄の中には、トータルで僅か130mlの透明な液体、脳脊髄液が常時リズミカルに循環している。それは脳と脊髄の組織と機能を守るための潤滑剤のような働きをしている。脳の中心部第4脳室で生産され、そこから押し出されるように、いったん脳の周辺部に流れ、その後一部が脊髄内の前部を下降し、折り返して脊髄内の後部を上昇し、再び第4脳室まで戻ってくる。不純物は脳内で静脈に流れてゆく。1日で生産される量は500ml。つまり1日で3~4回は新たに入れ替わっているということになる。

 そのリズムは6~12秒に1回のペースで、流れる止まるを繰り返している。心臓の鼓動よりもずっと遅いペースだ。そのリズムの中には4つのパートがあり、体中、足の指先から歯の一本一本に至るまで、あらゆる部位にリズムは伝達され、身体は流れる時には拡張を、止まる時には収縮を、繰り返している。
 頭蓋骨はいくつかのパーツに分かれているが、各パーツはそれぞれ別々の複雑でユニークな可動性を持ち、そのリズムを反映している。西洋医学でのそれらのパーツは固く閉じて動かないというする見解とは逆である。それぞれのパーツの動きを調べることで脳内の状況も知ることができる。

 脳脊髄液のリズムの長さや強弱には個人差があり、それをチェックすることによって、全身の状態や体のどの部分に緊張があるかをピンポイントで見極めることができる。エネルギーのブロックや緊張があると、そのリズムが伝達されないという特性を利用したものだ。遠隔ヒーリングを行う施術者ならばこのチェックは遠く離れた人に対しても可能だと思う。

 施術者は状態を良くしようとか、変えようという意図を一切持たずに、瞑想状態のようなニュートラルな意識を保ち、自分の姿勢、呼吸、視線に注意を払いながら、クライエントの体の内なる声にひたすら耳を傾ける姿勢を貫く。


結果から原因へ遡るプロセス

 あるタイミングの一点を逃さずに脳脊髄液圧に対してほんのわずかな圧力をかける。そのタイミングとは液圧が減少から増加に転じる一瞬だ。名刺1~2枚の重さ2~5グラム程度の極めて微細な圧力を加える。すると硬膜に覆われた脳と脊髄の内部圧力が高まって、硬膜の緊張を押し広げようとする。それはやがて体全体の緊張を緩めようとする反応へと拡大していく。セッションの間はその反応が次第に変化していくプロセスをずっとフォローしていく。 

 この技法ではクライエントの現状に対して、施術者側の理念理想を押し付けるようなことはしない。現状に問題があるのなら、それは何かしらの「原因」があっての「結果」である。その原因と結果の間には数多くの「プロセス」が複雑に絡み合って存在している。
「結果」を変えようとするのではなく、結果に至るまでのプロセスを逆に遡っていくというのがこのセッションだ。

 絡み合った糸を一本一本ほぐしていくように、或いは縮まったバネが元の状態に伸びてゆくように、セッションは進んでいく。そのプロセスのことを「アンワインディング」と呼んでいる。それは「ねじれを元に戻す」という意味だ。身体は決して直線的には緩まない。

 このプロセスはクライエントの体が記憶している。「ソマトエモーショナルリリース(体性感情解放法)」と呼ばれる上級セッションでは、次から次へと変化する体のねじれるような動きをフォローしていくことによって、その記憶を頼りに一歩一歩「原因」に向かって辿っていくことができる。
原因にまで辿り着き、何らかのダメージやショックのエネルギーを解放することができれば、その時には結果も自然と消えていく。

 元の自然な状態に戻った時、脳脊髄液の流れは一時的に停止する。リラクゼーションが深まった時には、脳と脊髄の内部もリラックスしているために、流れる必要性がなくなる。この状態はスティルポイント(静止点)と呼ばれ、脳波がアルファ波(8~13Hz)とシータ波(4~7Hz)の中間の変性意識状態となる。
それは深い瞑想状態であり、また閃きや直感、時には胎内や過去生の記憶などを思い出したり、霊的なビジョンを見ることなどが起こりやすい状態だ。瞑想の修行者が20年30年かかって到達する瞑想状態に、このスティルポイントで体験できてしまうと言われている。数分間のスティルポイントが終わった後は、以前よりも大きく長い脳脊髄液のリズムが現れるようになる。


自然治癒力を抑圧する「くさび」

 このリラクゼーションの状態にはさらに深いレベルがある。「クラニオセイクラルバイオダイナミクス」と呼ばれるより進化したワークでは、脳脊髄液の6~12秒に1回というリズムよりも更に深い、脊髄内のエネルギー増減のリズムを扱う。これは20秒周期の極めて微細なリズムだ。このリズムを元に体内のエネルギーの動きを追っていくと、やがて生命力の源泉とも言うべき、エネルギーの源まで辿り着く。それは臍の下数センチにある。

 セッション中、深い瞑想状態でそのエリアを内側から注視していると、突然ポンと何かが弾けたような音がする。それは生命力の再点火と呼ばれる現象である。この現象が起こった後には、その生命力の源泉から沸き起こる100秒周期のエネルギー増減のリズムが現れる。これは超微細なリズムだが、身体の内奥に横たわる神秘的で美しいリズムだ。このリズムには個人差がなく、皆が100秒周期だ。本来の自然な健康を誰もが身体の中に持っているという証しでもある。

 これらのヒーリングプロセスの推進力は、総じて受け手自身に内在する自然治癒力である。自然治癒力とはつまり本来の自然な健康を取り戻そうとする力だ。
 
 施術者は必ずしもその力が発動することを起こすことはできない。そのきっかけを与えることができるだけである。そのきっかけとは自然治癒力が発揮するのを妨げている「くさび」の締め付けを緩めることではないかと思う。くさびは過去における心身相関的なショックやアクシデントなどによるエネルギーの滞りである。
だからヒーラー(癒し手)という言葉は誤解を招きやすい。ヒーリングはヒーラーの力によってではなく、自然治癒力という受け手の身体に備わっている神秘の智慧によって起こる。

 この「くさび」は、一体どうすれば取れるのか?
そのことを深く見つめるきっかけとなったセッションがある。


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ICUでのセッション

 それは今でも鮮明に印象に残っているセッションの一つ、とある県立こども医療センターでのこと。
 依頼人の女性の方は知人から話を聞いたといって電話をかけてこられた。入院している息子さんのセッションを病院内ですることは可能かどうかという内容だった。病院側の方で良ければ大丈夫ですと答えた。

 大規模な施設の廊下を歩くと、その両側に並んだ病室のベッドには、たくさんの子供たちの姿があった。ベッドの上に座って遊んでいる子もいれば、たくさんのチューブに囲まれながら寝たきりの子もいた。壁や天井にはどの子のベッドにも色とりどりの折り紙の飾りや色紙が吊るされ、枕元には縫いぐるみがたくさん並べられていた。実際に足を踏み入れて初めて、こうした過酷な人生のスタートを始めたこどもたちがたくさんいるという現実を知った。

 しかし案内されたのは病室ではなく、集中治療室ICUのガラス張りの部屋だった。
ご両親が見守る中、10歳になる男の子RくんがICU中央のベッドに横になっていた。彼は数週間前に心臓のバイパス手術を受けた。ところが手術中の手違いによって重度の脳障害となり、全身が真っすぐに硬直したまま自力ではまったく身動きがとれない状態になっていた。人の話は聞くことができるし、思考もまったく以前と変わりなくできるようだっただが、気管切開して人工呼吸器が取り付けられていたため、声を出すことができなかった。

 医師や看護師の方たちが離れた所から、ガラス越しに不安そうにこちらの様子を見守っているのが見えた。病院では呼吸器を着ける以外は何の処置もできない状態が続いていた。ご両親は心労でほとんど話すこともできない様子だった。お母さんから小さな声でよろしくお願いいたしますとだけ言われた。脳障害の子供にセッションをすることはそれまでにも何回もあったが、全身が硬直して動きがまったく取れないというケースは初めてだった。


自然治癒力のスイッチ

 Rくんに「おはよう。」と声をかけた。
「これからRくんの体に手を触れてヒーリングするけど、何も怖がることはないからね、安心して横になっていてね。」と話しかけた。
一瞬ちらりと、視線だけがこちらを向いた。
大きくて優しそうな彼の目が《うんわかったよ》と頷いてくれたような気がした。

 まず足先を持ってエネルギー状態を確かめる。ほとんど全身のエネルギーが滞って流れていない。
次に同じ足先で脳脊髄液のリズムを調べる。脳障害があっても脳脊髄液は確実に脳と脊髄の中を満たし、リズムを伴って干満運動を繰り返し流れている。彼のリズムは弱々しかったが、それでも確実に流れていることがそのリズムから読み取れる。

 30分ほど両足首を持っている状態をキープしていると、数センチほど両足が動き始める感覚がやってきた。その動きは脳と脊髄の中に変化が起こり始め、体全体のエネルギーが動き始めたということを意味する。と同時にRくんの体が私のエネルギーを受け入れてくれたというサインでもある。
硬直から弛緩へと向かう身体の自然治癒力の活動が始まった。この微かな動きを捉え、動きを邪魔することなく、また違う方向に導かないように忠実にフォローしていく。

 1時間半ほど経った時には、その両足の動きが10~15センチほどの可動性を持つものに変化していた。そこでその日のセッションは終わりにした。その動きはセッション後にも続いていくことになる。体内でエネルギーが動き始めているからだ。すでに彼の身体は深いレベルで「動くことができる」という手ごたえを持つことができたはずだ。後は自然治癒力という神秘の力にスイッチが入り、それが継続するのに任せるだけである。

 1週間後に訪れた時には、相変わらず自力では身動きが取れなかったが、体全体がわずかに緩んでいるような感じがした。2回目も同じように両足を持って、動きが起こるのをひたすら待ち続け、動き始めたらその動きを忠実にフォローするという流れでセッションを進めた。1時間半後、彼の両膝が曲がるまでに緩んだ。3回目が終わった時には全身に緩みが広がっていた。


逆転の一歩

 4回目にICUの部屋に入った時のこと。驚いたことにベッドの上には、ぴょこんと座っているRくんの別人のような姿があった。

 すぐに傍らにいらしたお母さんがニコニコしながらRくんに、
「今日は先生に見せたいことがあるんだよね。」と声をかけた。

 そしてお母さんがベッドの脇に車椅子を横付けしてタイヤをロックさせた。看護師さんが横で見守る中、Rくんはもぞもぞと一人で動き始め、ベッドの端まで移動し、車椅子の手すりに手を伸ばした。そして次の瞬間、自力でベッドから車椅子に一気に乗り移ったのだ。

 「うわああ、すっごいなー!やったじゃん!」と言うと、Rくんは満面の笑みを浮かべた。キラキラと輝く初めて見る笑顔。それは本人が全身全霊で待ち望んでいた逆転の一歩の瞬間だった。
ご両親もまた看護師の方たちも言葉には出さなかったものの、その姿に喜びを隠せない様子だった。

 「そっかー、よくがんばったねー。じゃあ今日もセッションがんばろうね。」と言ってセッションを始めた。
いつものように仰向けに横になり、両足首を手に取った。両足は最初から活発にぐいぐいと柔らかく動き始めた。まるでスポーツクラブの自転車マシンに乗ってペダルを漕いでいるように、ベッドの上でさかんに足の回転運動を繰り返すようになった。

 「おお、すっごいなあ!こんなにも走れるようになったんだね!
いつか外でも思い切り走れるようになるからね!がんばろうね!」と声をかけた。

 ベッドの上で仰向けになって走り続けながら、それを聞いたR くんが突然顔を歪め、真っ赤な顔になって、そして大粒の涙が溢れだした。人工呼吸器を取り付けた喉の奥で、声にならない嗚咽をしていた。その大粒の涙には彼自身にしか分からない、たくさんのいろんな気持ちが詰まっていただろうと思う。
いっぱい泣いていいからね、とだけやっと声をかけることができた。

 しばらく泣き続けて、気がつくと、いつのまにか涙は止まっていた。そして両足はさらに速さを増してぐいぐいと走り続けていた。Rくんの表情からも泣き顔はすっかり消え、気合いの入った逞しい顔になっていた。それはいつまでも続けていられそうな位、力強さがみなぎる走りだった。


自然治癒力と決意

 Rくんのあの大粒の涙とは、おそらく以前は思い切り走ることができていた頃の、本来の自分の姿を思い出したことによって溢れ出てきた想いであり、走るようなその動きとは「いつかぜったい以前のように外で思い切り走るぞ!」という決意の表明だったのではないかと私は感じる。

 その「決意」とは、「自分自身に戻ろう!」という本人にしかできない決意である。

 「決意」が自然治癒力を止めているネガティヴエネルギーの塊である「くさび」を外すための最高のハンマーとなり、自然治癒力が発動するスイッチとなるのではないかと思う。

 クライアントと施術者と技術の三つが、本来の自然な状態へと戻ろうとする方向性を共有すること、そしてクライアントはその「決意」を持つこと、施術者は頭を空っぽにして、クライアントにただ寄り添う姿勢を保つこと、それらが同時に起こった時、ヒーリングワークやセラピーはその目的とするところのより深い効果を発揮し、癒しが起こる可能性が高まるのではないかと思う。



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