「社会中」から「人間中」へ

 今回は私が日々何となく感じていることを列挙したい。

●生産性を高めるだけではなく、「消費性」を高める必要があるのではないか。

 現代人は時間的・金銭的にサービスを「消費」するゆとりがない、ネットや各コンテンツの発達によって、消費にかけるコストが下がっていると良く言われる。他方で、雇用者に対する要求水準が大幅に高まっており、求職者は要求水準を満たすべく、自己「投資」を断続的に行わなければならないとも良く言われている。その最中、多くの方は「生産性」を高めることに注目しているが、残念ながら、数多くの企業が生産性を上げたとしても、サービスの享受者がより質の高い「消費」をしなければ、サービスが波及しないばかりか、経済も停滞する。そのため、「生産性」だけでなく、「消費性」も併せて高める必要があろう(具体的には、暇人量産政策が必要か。)。

●最近まで全否定していた昭和の代表的な概念である「曖昧」「お節介」「寛容性」等について、改良の上、一部取り入れ直す必要があるのではないか。

 代わって登場した「コンプライアンス」「効率化/合理化」などの概念の浸透により、現代はより規律正しく、物事をより早く進めることが是とされている。他方で、それらの浸透によって、人間が本来面白さを感じる「どうでもよさ」「馬鹿すぎる」「何やっているの」といったことが疎外されてしまい、特に仕事をより無機質に捉える傾向になっている(仕事は、単に労働力と対価との交換に過ぎないのだから、さっさと仕上げてしまおうという感覚。)。勿論、それらと対極の概念である「曖昧」「お節介」「寛容性」といったものをそのまま踏襲することはできない。そのため、部分的且つ状況に応じて、「今は論理的思考を禁止しましょう!」という時間を演出するなど、現代思想とハイブリットとなるような空間を生み出し、楽しい空間をデザインする必要があるだろう。

●人間の生物学的な機能に合わせて、ライフステージを再構築する必要があるのではないか。

 例えば、「出産」という機能を利用するにあたって、ある程度の年齢までに利用しなければ、機能が停止する。生物の中の人間である以上、子孫繁栄という大義を放棄することは難しい。子孫繁栄のためには、そのための基盤づくり(自身の資産(収入)や環境(家・パートナー)などの整備)が必要となるが、近い将来、基盤が完成するときには、「出産」機能が停止している可能性もある(医療の進歩によって改善することもあろうが。)。基盤づくりのための要求水準が高くなれば、その準備のために時間を割かれ、死ぬまでに基盤が整わなくなってしまえば、その社会から人間が消える。それを防ぐためにも、人間の生物学的な機能を尊重するマインドが求められるだろう。

★総じて言えることは、社会を創る者は、社会を維持するために(ロゴス偏重主義者が好む)効率よく歯車を回すためには?という視点に加え、一人の人間の深層心理を前提とした仕掛けを取り入れるといった視点を持ちながら、社会をデザインしなければ楽しくない、ということである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?