「起業」の次のトレンドは「起国」

1.現状の「先端思想」のトレンド

 日本の凝り固まった固定観念に風穴を開けるべく、例えば、堀江貴文氏・橋下徹氏・ひろゆき氏・落合陽一氏らを始めとする新時代を築く者達が、日本を再興するために様々な意見を発信している。彼らに共鳴する者達は同じ場所に集い、それぞれ置かれた環境下で既存の社会をよりよくしようと東奔西走していることは言うまでもないだろう。しかしながら、一歩彼らの周囲のコミュニティから外に出た瞬間や彼らのような問う姿勢が旺盛でない多数派と接したとき、残念ながら抜本的に社会が昭和・平成から変わったという実感が沸いてこない(インターネットの爆発的普及以降、劇的に社会が変わったことを感じる機会があったであろうか。)。その理由は、日本社会において多数派を占める者とこれから社会を創る者との価値観との間に大きすぎる差異があるからである。

2.以前お示しした令和時代の集団に不快を抱いた者の身のこなし方

 詳細は以前お示しした記事をお読みいただきたいが、概要を以下申し上げる。あるコミュニティに所属する人間が、そのコミュニティに対して、不快感を感じた場合に、取り得る選択肢は、3つある。それは、「①権力者に抗議し、体制変革に向け抗議する。②自分の思想を集団に合わせ、波風を立てず、只管耐える。③その場から逃げ、快適な場に避難する或いは自分にって最も快適な場を創る。」である。主に昭和時代は①、平成時代は②が多くの人々のマインドの主流派となっていたが、「忍耐」という寂れた能力を手放し、例えば、転職や国籍・家族の変更がもはや当たり前である令和時代においては、③が尊ばれる傾向にある。

3.不快な場から逃げ、快適な場所に移動する者を阻むものとは?

 企業単位で見れば、新時代の思想を持つ者の「適切な場」が徐々に増加している。転職の増加や新たな価値を創造しようと躍起になっている者がメディアに露出頻度が高まっていることからも徐々に主流派が取って代わるであろう。しかしながら、そのスピードが大変遅い。このスピードを遅くしている原因の一つには、既存の概念や枠組みを前提として、物事を考えたときに登場する「閉鎖マインド」があると思われる。この「閉鎖マインド」の正体は、「論理的に物事を考える」ことに比重を置きすぎている点ではないだろうか。日本社会には「論理性」が根付いたが、この「論理性」を是とする力を持つ者が多数派である以上、既存の概念を前提とした社会しか出来上がることはない。「論理性」を用いる以前に重要となる前提や概念そのものを問い、真っ白なキャンパスに自由にデザインをすることができる者がまだまだ少数となっていることが社会変革のスピードを遅くしている原因であろう。

4.所属する集団の変化スピードの遅さにイライラする者は、自分で新たな空間(国)をデザインするしかない。

 企業単位でみれば、新たな価値を生み出す企業が続々と登場しているが、国単位で見れば、規模が大きすぎる分、歩みが非常に遅い。例えば、既存の国家では、一部の独裁国を除いて、「誰を国民とするか?」「成果を出す人が報われるルールとは?」「全員の納得感がある政治上の意思決定とは?」 
「適切な国民や領土の範囲や数はどのぐらいか?」「大人と子供という考え方を撤廃する」等、既存の枠組みを問い、時代に合わせた国家を創出することが民主主義という形態や国民の数が多すぎてお互いがお互いを知らない状態であるため困難である。犠牲を最小限にしつつ、反対派の感情に波風を立てずに、何かを変えるための労力が膨大過ぎて、変えること自体を放棄してしまう者が大勢出てきている状態が世界を取巻く喪失感の正体である。そうした喪失感が更に加速すれば、起業では物足りず、国を起こす【起国】を志す若者が世界各国で多数生まれてくることが想像できる。既存の体制の支配者は全力で潰しにかかるであろうが、従来の革命やクーデター、戦争といった非人道的なスマートではない方法を用いることなく、全く予想が付かないスマートな方法で上手く乗り切るであろう。

 自らが望む「場」を創ることが当たり前の時代では、もはや既存の体制である「日本国を始めとする195の国」に属している必要性はなく、もはや自分たちが望む国を創った方が早い。

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