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バービーandケンの「視野」の変化の演技。

『バービー』・・・泣いた!
グレタ・ガーウィグ監督作品は前作『わたしの若草物語』もその前の『レディ・バード』も、どちらも最高すぎて泣いたけど正直、今回の『バービー』が一番泣きました。
 
いや~グレタ・ガーウィグ監督すごい!
『バービー』はフェミニズムに関する映画だと言われていて、もちろんそうなんですが、ガーウィグ監督の視野はもっと広くて、これは「現代社会に生きる我々すべての人の人生」に関する映画だと感じました。
だからこそクライマックスのグロリア(母)の長台詞シーンは男性社会に生きる女性だけでなく、男性社会に生きる男性にもグッサリと刺さる。 ボクは男性ですがグロリアの言葉を聞きながら「わかるよ!」「彼女はボク自身だ!」と感じましたから。

 
とにかく俳優たちが素晴らしかった。
「偏見なく人を演じる」って本当に難しいことで、だって偏見を持ってない人間なんてこの世にいないですから。俳優本人は偏見ないつもりでも、「キャラ」っぽく人間を単純化して演じようとしたときに、「ユーモア」のつもりで演じたものが「差別的な表現」になってしまったりすること、本当によくあります。
今回バービーもケンも「キャラ」としておもいっきり単純化して演じられるんだろうと勝手に思ってたので、いや~大丈夫かなあと・・・正直映画本編を見るまでは半信半疑だったんですよ。まったくの杞憂でしたが。
 
マーゴット・ロビーもライアン・ゴズリングも素晴らしかった!
人物像をまったく単純化せずに、それとは全然「別の方法」で人形であるバービーとケンをイキイキと演じきっていました。

人物を単純化せずに演じる。

正直映画を見る寸前まで、ケンをライアン・ゴズリングが演じるってそりゃ無理あるだろうと思ってたんですよ。年齢的にもキャリア的にも(実際ライアン・ゴズリングはこの役のオファーが来た時、なぜ???だったらしいw)・・・きっと今回もケンは今時の若者風のバカっぽい感じに描かれるんだろうと勝手に思っていたので。でもぜんぜん違いました。むしろ真逆で。

ケンは男性性を象徴する役でした
・・・しかも男性性のすべての側面を!

ライアンはケンを単純化して演じてないんですよ。もっと複雑なアプローチで演じている。
ケンのどんな行動にも、どんな発言にも、ケンなりのリアルな「衝動」があふれているのが今回のライアン演じるケンの素晴らしいところです。
彼はなぜ男性社会にあんなにも感動し、男性社会を切望し、男性社会と一体化しようとして拒絶され、そして地元に小さな男性社会を築こうとしたのか・・・そんな男性あるあるの悲喜交々を詳細なディテール溢れる「衝動」でもって演じ、男性性の様々な側面を明らかにしていったのです。
実際、こんなに分かりやすい男性社会の成り立ちの説明がかつてあったでしょうかw・・・いや~名演!
 
そういう意味ではマテル社CEO役のウィル・フェレルも最高でしたねー。
ウィル・フェレルはどんな映画でも「ザ・男性性」みたいな役をエキセントリックに演じているんですが、今回もマテル社CEOをとんでもなく「雄々しく」そして「女々しく」演じていましたね~w。
黒いスーツ姿の彼らマテル社重役たちがニコニコといちゃいちゃしているのが印象的でしたが、あれこそまさしく現実世界の男性社会ですよね。
なぜガラスの天井があるのか?・・・彼らは男性だけでいちゃいちゃしていたいんですよ、永遠にw。 笑わされながら、ゾッとするような演技でした。
 
巷では『バービー』に対して辛辣さが足りない!みたいな感想があるようですが、ボクは充分辛辣だと思いました。たしかに誇張して現実感の無い「ザ・悪人」として演じられたりはしてないのですが、「それって要するに」って感じでポイントだけ押さえて演じられているから逆にめっちゃリアルで生々しいんですよ。まさに笑えるしゾッとする、です。
 
いや~『バービー』はキャスティングがとんでもなくキレてます。

バービーとケンの「視野の演技」

さてバービーとケンの演技の仕組みについてちょっと語ってみましょう。
 
バービーもケンも映画冒頭ではかなり無機質っぽく演じられてますが、いろいろな出来事が起きて、人間世界に行き、いろいろあって帰ってくる・・・この過程の中で2人とも演技がどんどん複雑になっていって、演技のディテールがどんどん増えてゆきます。
なぜこんな演技が可能なのか? どこかでキャラもしくは演技法など表現を切り替えているのか?・・・いやいや、そんなつなぎ目は見当たりません。
 
マーゴットもライアンも、「目の前のものに素直に反応する芝居」を一貫して演じているのです。ただその目の前のものの「意味」が変わってゆくので、それに対するバービーやケンの「反応」も刻一刻と変わっていきます。
これをボクは「視野の演技」と呼んでいるのですが、「人物の視野が広がったり、狭まったり、別の場所に移動することで、たとえば同じものを見てもその人物の反応が変わってゆく」というものです。
 
映画『バービー』の中でバービーは、ある日突然「死」について考え始めます。バービーランドは永遠なので、昨日と同じ毎日が無限に続きます。つまり老いも死も無い・・・なので映画の冒頭のバービーは老いも死も無い世界として世界を見ているのです。 が、ある日バービーは自分の太股にセルライトが出来たことを知って、急に老いについて考えはじめ、そして死について考えはじめてしまいます。
そして世界は、バービーにとっては昨日と同じ世界にはもう見えなくなるのです。
 
バービーは「変化してゆく未来への不安」という新しい視野を手に入れて、いままで反応しなかった点にも反応するようになり、同じことの繰り返しの毎日に違和感や不安を抱くようになり、調子を崩してゆくのです。

ケンの衝動も「視野」とともに変化する。

一方ケンは永遠の「and ケン」の毎日を送っています。バービーと一緒なら最高、一緒でないなら最低な毎日です。そんなケンは、現実世界に行って「男性社会」を目の当たりにすることによって視野がガーンと広がってしまいます。
 
男性がイニシアチブを取っている・・・こんなことがありうるんだ!と。
 
最初ケンはその現実世界の「男性社会」に入り込もうとしますが、「男性社会」は単に男性が優遇される社会ではなく、さまざまな資格とメンバーシップを持った男性だけが優遇されるので、ケンはまったく相手にされず、ライフセイバーの資格がないケンはビーチにすら居場所を見つけることが出来ません。
しかし「世界は自分の思い通りに変わりうる」という新たな視野を得たケンは、バービーランドに戻って他のケンたちを「変え」ようとし、そしてバービーランドを男性社会に「変え」ようとするのです。
この過程の中でケンは視野がどんどん広がってゆき、そして目に映るものに対する反応の演技がどんどん複雑になってゆきます。
これは世界が変わったのでも、ケン自身が変わったのでもなく、ケンから見える「世界」の「意味」が変わったので、ケンの「反応」が変わり「衝動」が変わったのです。
 
最終的にバービーランドをケンダムランドに変えることに失敗し、アイデンティティ・クライシスを起こしたケンは、「ケンはただのケンでいいのだ」ということをバービーに教えてもらい、「自己肯定」というさらに新たな視野を手に入れて狂騒は終わりをむかえます。
この段階でのライアン演じるケンの芝居は、リアルな人間の芝居とほぼ変わらないほど複雑で、ディテール豊かな芝居で演じられています。

バービーの成長は「視野」の変化と共に。

一方バービーはグロリアやバス停の老いた女性、そして老いたマテル社の創設者の女性とわかりあうことで、老いと死についての新しい認識と「視野」を獲得し、そしてバービーは永遠を捨てて、老いと死のある人生を肯定的に受け入れる選択をします。
映画冒頭で人形のような目で演じられていたバービーは、映画の最後の時点では洞察力溢れるたおやかな瞳を手に入れて、ディテール豊かな芝居で演じられています。
 
以上のように、映画冒頭ではシンプルな人物として演じられていたバービーとケンは、映画が進むにつれどんどん「視野」を広げてゆき、その度に反応が豊かになり、衝動が豊かになり、芝居のディテールがどんどん豊かになっていったのです。
同じ人物を同じ演技法で演じながらも、芝居のディテールがどんどん豊かに変化してゆく! そのディテールがわれわれ観客の心を震わせるのです。
 
いや~素晴らしい演技でした。

テーマと手法の一致。

ボクが子供のころに絵本で読んだ『ピノキオ』は人形という「不完全な存在」であるピノキオが、ラストで人間の子供という「完全な存在」になる!という物語でした。
それに対してこの『バービー』では人形という「完全な存在」であったバービーが、「不完全な存在」である人間として生きてゆく選択をするという・・・逆ですよねw。これは昨年の『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』でも後者で描かれてます。
 
人形が不完全なのか、人間が不完全なのか・・・これはまさに映画『マトリックス』のマトリックスで生きるのが幸せなのか?現実世界で生きるのが幸せなのか?という問いと同じです。『バービー』でもそのパロディのシーンがありましたが。(ハイヒールか?ぺったんサンダルか?)
 
ようするに、ボクが子供のころとは「完全とはなにか?」に関する認識が変わろうとしているのだと思います。それは世界が右肩上がりな時は人々は「自由」を求め、世界が停滞して酷くなってくると人々は「安定」を求める、ということと関係しているのかもしれません。
 
冒頭でも書きましたが、この映画はフェミニズム映画である、ということ以上に現実社会の様々なことについて言及しています。
 
この映画『バービー』は「視野を広げるのだ!」というメッセージを発しています。自分ひとりのちっぽけな視野を持っているだけでは、他人の幸せを理解することも尊重することもできないのです。視野をもっともっと広げて、相手のことや他人のことをもっと理解せよ!とグレタ・ガーウィグは言っているのです。その向こうに差別や偏見のない世界があるのだと。
 
そして「バービーたちが視野を広げて、世界の意味を変えてゆく」という「視野」に関する物語を、俳優たちが「視野が広がることで、世界の見え方が変化してゆく」という演技法で演じている・・・テーマと手法が完全に一致しているなんて・・・いや~やっぱグレタ・ガーウィグすごい。若手監督の中では圧倒的だなあと。
 
ああ、しかし映画『バービー』の演技に関しては文章で書ききれない感じがして悔しいのですが、字数が尽きました。長文にお付き合いくださりありがとうございました。
映画『バービー』は今年のボクの暫定ナンバー1映画です。超真摯な映画なので、むしろ「大丈夫?」と気おくれしてた方にこそオススメですよ!
 
小林でび <でびノート☆彡>


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