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『君たちはどう生きるか』のリアルな「演技」。

小林でびです!
宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』観ましたよ。ドキドキしっぱなしでした。 「物語」というよりは「体験」のような映画でしたねー。

この映画に関してはネタバレしてしまうと申し訳ないので、内容には極力ふれずに書こうとは思いますが、なにがネタバレかは人によって尺度が違うようなのでw、未見の方は気をつけて。
てゆーか早く映画館に観に行ったほうがいいと思いますよ。ぜったい劇場で見た方がいい映画だし、ロングランしない可能性も充分ある(!)作品なので。

『君たちはどう生きるか』を見て、その人物表現が素晴らしかったのでその件について書きたいと思います。宮崎駿の人物表現の歴史の中でターニングポイントになるのでは?と思うような、大きな変化があったと思います。

今回、人物の「演技」が素晴らしくリアルだったのです。

いつもの宮崎アニメの演技より、かなり生々しいというか、リアルなディテールたっぷりの表現で人物が演じられていたんですよねー。声優陣も見事だったなあ。
声優さんはもちろん俳優さんたちにもぜひ見ていただきたいような、素晴らしく現代的な芝居が展開されていました。

言語化・説明しない、反応・衝動の芝居。

『君たちはどう生きるか』は「物語」ではなく、人物の「感覚の描写」が観客をグイグイと2時間引っぱってゆくような映画でした。
「物語」がね、よく分からないというか、無いんですよw。今までのジブリアニメにしっかりあった「あらすじ」が特に見当たらないんです。

そして主人公に「目的」が無い。あるのは主人公の「衝動」で、その衝動に突き動かされて主人公はどんどん行動してゆく。

でもその衝動が台詞として言語化されないんですよね。だってそもそも「衝動」って言語化できないものでしょw? そこが「衝動」と「目的」の一番の違いなんですが、いままでの宮崎アニメの登場人物たちは目的をセリフとして喋っていたんですよ。
「ぼくは美しい飛行機が作りたい。」とか、「ポニョ、宗介好き!ポニョ、人間になる!」とか、「私、もうちょっとこの街にいるわ。私のこと、気に入ってくれる人が他にもいるかもしれないもの」とか、人物の行動の理由は明確にセリフによってもしくは表情によって語られていたんですよね。

ところが今回の登場人物たちは、特に主人公の眞人くんは語らない。それは彼らが「目的」ではなく「衝動」で動いているからです。

もう少し丁寧に説明すると・・・なにか出来事が起きて、それを見てしまった眞人くんは心を動かされ、で衝動的に何かをしたくなって行動する・・・その過程が無言で行われているんですよ『君たちはどう生きるのか』では。 
その「観察」→「反応」→「衝動」の描写が小さくて、でもしっかりしたディテールたっぷりの表情と動作とで演じられていて素晴らしい!
ひじょうにリアルな、現代的な演技で演じられていたんです。

『君たちは~』は『千と千尋~』よりわかりにくい?

今回の『君たちはどう生きるか』は物語が分かりにくいという評価も多いみたいなのですが、いや~?物語自体の強引さというか分かりにくさ飲み込みにくさは『千と千尋』や『ハウル』とかと大して変わらないと思いますw。ちがうのは「演技」が説明的か、そうでないかです。

登場人物たちが分かりやすく説明的な表情のリアクション芝居とか、小目的・大目的をセリフで喋るとか、そういう芝居をほぼしていない。

たとえば眞人が新居についていろんな人々に出会う一連のシーン、いままでのジブリ作品だったら主人公は何かが起こる度にそれこそいちいちいろんな表情をして、いろんな声を出して、観客がどう飲み込めばいいのかを説明してくれていたじゃあないですか。あの細かい説明的な芝居が今回は無いんです。

眞人のリアクションはいちいち薄いんですよねー・・・でもその薄いリアクションがしっかりとしたディテールを含んでいるので、しっかり見ているとわかる。
ああ、自分もそういう時あるなーと。・・・これって現実世界で他人を理解するときの仕組みと同じですよね。
そして無口ゆえに何も考えていないように見えがちな夏子も、おばあちゃん達も素晴らしくディテール豊かな演技で演じられていて、そのディテールをしっかり追っていると、無言でもすごくいろいろなことが伝わってきます。

そう、言語化されていない小さな「反応」、そして「衝動」をちゃんと見逃さなければ、観客は眞人たちの「一見唐突に見える行動」に至る気持ちの流れにどこまでも乗ってゆけるのです。

物語を回すための「キャラ」ではなく、「人間」。

『君たちはどう生きるか』の登場人物たちは、たんに物語を進めるための役割を持った「キャラ」ではなく、ちゃんとその人物の人生があって、彼らは画面に映っていない時間にもいろいろな体験をしていて、そしてラストシーンの後にもちゃんと彼らの時間がある。そう感じました。

今回ラストシーンがパッと終わってスタッフロールが流れ始めたとき、涙がダーッと流れたんですよね。それは彼らの人生がこれからもずっと続いていって、それはけっこう大変な日々もあるのだろうな、楽しい日々もあるのだろうな、みたいな情報量に圧倒されて感情がオーバーフローしたんだろうなーと思ってるんですが、いや~ラストシーン以後の時間をすごく感じさせるような幕切れだったんですよ。

登場人物たちが物語のパーツではなく、「人間」を感じさせるんです。

かつての宮崎作品はいつもそういうものだったんですよ。
『コナン』も『カリオストロ』もラストシーン以降も彼らの人生が続いて行くことが信じられる。コナンは働き者の大人になるんだろうし、ジムシィは変わり者の爺さんになってゆくんだろうなーとか、ルパンと次元はさらに孤独感を抱えながらそれと戦いながら生きてゆくんだろうなーとか、クラリスはあの国を立て直すために聡明で魅力的な統治者になってゆくんだろうなーとか。
もっと前の作品だと『ハイジ』とかね、ハイジがどんなオバサンになるのか、ペーターがどんなオッサンになってゆくのかとか、考えるだけで笑みがもれるようなラストシーン以降の時間が存在しているじゃあないですか。

それが正直!正直なところ『ナウシカ』から『風立ちぬ』までの作品の人物達にはあまり感じられなかった点だ思うんですよね。物語がラストシーンを迎えたらそこで人物たちの人生も終わり。
たとえばボクは『ラピュタ』のドーラ一家が大好きなんですが、それでもラストシーンの後に彼らがどんな人生を歩むのか、ドーラが、そして息子たちがどんな大人になってどんな生活をするのかとかちょっと想像がつきません。これまで通りなのでは?という感じしかしないのです。時がそこで止まってしまう。

『ハウル』はその後の時間を暗示するようなシーンが最後に出てきますが、そこで暗示されるのは先のストーリーであって、彼らの人生は想像すらできませんでした。『ポニョ』も宗介とポニョがあの後どうなってゆくのか、どんな大人になるのかまったく想像がつきません。『千と千尋』のあのあとも全く想像できません。(すみません。異論がある方もおられるでしょうがw)

これって登場人物が「物語を回すためにそこにいるキャラ」として存在しているか、「独自の人生を持った人間」として存在しているか、その違いだと思うんですよね。

だからボクにとっては『コナン』や『カリオストロ』、そして今回の『君たちはどう生きるか』は特別で、彼らは今後も生きて成長してゆくように感じるのです。
彼らの物語を見た、ではなく、彼らの人生のある大切な時間に立ち会った、という感じがして、愛しくてたまらないのです。

今までのジブリ作にない生々しい演技。

そして今回特に素晴らしかったのは女性の芝居だったと思います。
夏子の「きらい!」という芝居、そこから逆算する前半部の眞人に対してつねに親切だった時間・・・ディテールがぎっしり詰まった素晴らしい芝居でした。

またヒミ、彼女の思考も全く説明されなかったですが、眞人にとって若いころの彼女とどう接していいのかわからない感じ、最高でした。切なかった。結果ヒミは超魅力的な他者として存在し・・・あいみょんの声の芝居も素晴らしかったよねー。

そう、キリコも年齢を重ねることによって、そして生活環境が変わることによって、同じ人間がどう変わってゆくのか。そのあたりがしっかり描かれていて、本当に魅力的でした。そうなんですよ、あのおばあちゃん達にも若い頃があったんですよ。そしてその片鱗は最初の方で砂糖や缶詰の話をしている時にも演じられていて、本当に宮崎監督は人を老いを優しい目で見ているのだなあと思いました。

そして最後に眞人。
彼は今までのジブリの主人公たちみたいに「絵にかいたようないい子」ではなかったですよね。色々な思いはハッキリとは表情に出さず、でもしっかり心の中では渦巻いていることが微細な「反応」と「衝動の発生」でわかる。
眞人はきっと少年時代の宮崎駿だったんでしょうね。いや~よい芝居でした。

というわけで『君たちはどう生きるか』の芝居についてあれこれと分析・感想を書きましたが、ネタバレせずに書こうとしたせいでちょっとわかりづらかったかも。そして作品自体についても、宮崎さんに関してもいろいろ語りたいことがあるので・・・それはまた別の機会で。

『君たちはどう生きるか』鑑賞まだの方、ぜひ劇場で見てください。こんなに豊かなディテールに溢れたアニメーション作品を大きな劇場のスクリーンで見ないなんて、損ですよ!

小林でび <でびノート☆彡>


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