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【能動的三分間#6-④】史上最強の哲学入門

【能動的三分間】「史上最強の哲学入門」④です。「史上最強の哲学入門」については今回最後になります。

④存在の「真理」について

そこにモノが存在するとはどういうことか。当たり前のことを「考える」ことで哲学は始まった。

ヘラクレイトス(BC.540〜)「万物流転説」
紀元前600年頃、人類史上初の哲学者であるタレスが「万物の根源は水である」と提唱した。以来、万物の存在を考えることで哲学は発展する。ヘラクレイトスは万物は一定の法則(=ロゴス)に従って変化し続ける何かであると考えた。

パルメニデス(B.C515〜)「万物不変説」
ヘラクレイトスの主張に真っ向から反対するパルメニデス。例えば、リンゴを切り刻んで破片をどんどん小さくしていく。無限に小さくしていっても、ただ小さくなるだけで消えはしない。「存在するものが、存在しなくなることはない。『有』は、決して『無』にはならない」と考えた。

デモクリトス(B.C460〜)「原子論」
パルメニデスの考えを発展させ、モノを無限に分割し続けていけばそれ以上に絶対に分割できない粒に辿り着くはずであり、その粒を「原子」と名付けた。その原子が他の原子と結合したり分離したりすることによって世界が出来上がっていると考えた。

ニュートン(1642〜)「力学」
すでに紀元前にデモクリトスが辿り着いていた原子論。しかし、キリスト教の宗教による世界支配のため科学の発達が遅れ、再び原子論が議論されるのは17世紀になる。「リンゴが地球に落ちてくる力」を発見し、これにより「月が地球に落ちてこない理由」を説明した。あらゆる物体の運動の法則を説明する数式の発明に成功した。

バークリー(1685〜)「主観的観念論」
イギリスの経験論に基づき存在について思考した。物質が存在するのは確固たる物質としてそこにあるから存在するのではなく、精神が知覚しているから存在しているのだ、と主張した。

フッサール(1859〜)「現象学的還元」
あらゆる確信は全て主観的な意識体験(=現象)から始まっている。現象からどのように人間の判断が作られているのかを捉える試み(現象学)を創設する。

ハイデガー(1889〜)「存在論」
これまで哲学では「存在」とは何かと問いかけてきたが、人間は「存在」という言葉を使っている時点で「存在」の意味を分かっているはずである。人間が使っている「存在」という言葉が何に由来する言葉であり、どんな意味を持つのかを知りたければ、人間について知れば良い、という論理を展開した。ハイデガーが考える「存在」については「存在と時間」という著書で触れられているが、未完のため真相は分からない。

ソシュール(1857〜)「記号論」
言語学の教授であったソシュール。言語とは「存在をどのように区別したいか」という価値観に由来して発生するものであり、その価値観の違いこそが言語体系の違いを生み出している(例えば日本人は「蝶」と「蛾」を区別するが、フランス人は共に「papillon」という一つの言語で表現している)。存在についても同様で、「リンゴ」という物質があるから存在しているのではなく、リンゴをリンゴとして区別する価値観があるからそこに存在するのだと言える。存在とは存在に「価値」を見出す存在がいて、はじめて「存在」するものである。


哲学が存在について考えることにより発展したというのは初めて知りました。①〜④まで様々な分野の哲学が紹介されていましたが、「存在」について考えるというのは流石にやりすぎ感を感じる部分もありました。
そこにあるからそこにある、でいいやん、という感じです。笑
ですが、そんな当たり前のことを考え続けることで何か別の思考が生まれるものなんでしょう。顕微鏡もない時代に原子という概念が生まれたことには驚くばかりです。

「史上最強の哲学入門」について4回に渡ってnoteをまとめました。
私には哲学と聞くと、何となく実態のない虚ろなもの、というイメージが少なからずありました。ですが、人間は否が応にも思考する生き物です。広辞苑によると哲学とは”世界・人生の根本原理を追求する学問”だそうですが、自分が何かの事象に対峙したとき、哲学者たちの思考を頼りにすることでより良い結果に導くことが出来るかも知れません。


哲学とは「より良く生きる」ために必要なものなのではないでしょうか。


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