jean-edouard-lacretelle-ジャン_ジャック_ルソー_a-G-7616313-9664571

【能動的三分間#6-②】史上最強の哲学入門

【能動的三分間】「史上最強の哲学入門」②です。

②国家の「真理」について
なぜ国家があるのか。なぜ人は生まれながらにして国家に属するのか。国家の在り方についての章になります。

プラトン(B.C427〜)「哲人王思想」
哲学史において最初に国家を考えた人物。古代ギリシアの衆愚政治に陥ってしまった民主主義体制において師匠であるソクラテスが処刑されてしまったことに絶望。イデア(究極の理想)を知ることができる優秀な哲学者が王になるべきだと考える。アカデメイアを創設し、優秀な哲学者の育成を目指す。

アリストテレス(B.C322〜)「論理学」
「イデア」のような抽象概念を否定。国家の在り方を「君主制」「貴族制」「民主制」に分類。それぞれ「独裁制」「寡頭制」「衆愚制」に陥る危険があることを指摘。

ホッブズ(1588〜)「社会契約説」
なぜ国家に支配者が必要なのか。それは国家に支配されていない(自然状態)と自己中心的な人間たちは互いに殺し合いをしてしまうからである。国家とはそうならないよう、人間が自己保存のために作った組織である。人間は果てしない破壊的な欲望を制限するため、自らリヴァイアサン(=国家、王)という怪物を作り出し、その怪物を恐れ服従することで、互いに殺し合わずに生き延びてきたのだ。

ルソー(1712〜)「人民主権」
18世紀のフランスは君主が腐敗し独裁政治に陥っていた。民衆は国家(王)がいなくても生きていけるが、国家(王)は民衆がいなくては生きていけない。真の権力者は王ではなく民衆である。実際にこの思想によりフランス革命が起こり、贅を極めたルイ16世とマリー・アントワネットは処刑される。

アダム・スミス(1723〜)「神の見えざる手」
民主主義国家の幸せとはみんなが豊かに快適に暮らすことである。東洋、西洋ともに金儲けが卑しいこととされた時代に、個人の利益追及が市場の競争の原理「見えざる手」によって社会全体の利益に繋がることを提唱。資本主義社会の始まり。

マルクス(1818〜)「共産主義」
資本主義は「資本家」(ブルジョワジー)が「労働者」(プロレタリアート)を搾取するシステムのため、大多数の人間を不幸にする。ならば皆で財産を共有する「共産主義」であるべきである。


「国家の真理」も「真理の真理」と同様に正解がないように思えます。ソ連の失敗により共産主義がだめなのであれば、資本主義が本当に幸せな国家の在り方と言えるのでしょうか。

”資本主義という世界において、会社とは、常に新しいものをつくり続けなくてはならない宿命を背負った生物なのである。・・・だが、頑張ってその製品をつくっても、それは決して自分のものにはならない。労働者がつくったものは、全て資本家のものだからだ。その製品を売って得たお金の大半は、全て資本家の懐に入る。それでも、労働者は働き続ける。新商品を考え出し、作り続ける。それしか生活を成り立たせる術を持たないからだ。”

”ものがあふれ、生活必需品を自動的に生産できるシステムすらつくり出せるはずの知恵を持った人類は、なぜ毎日、「お金がない」と言い続けながら、人生を労働に費やし続けているのだろう。僕たちは、働くために生まれてきたのだろうか。”

今やインターネットや端末の発達により、娯楽は安価に済む時代です。経済的な成功はそこまで必要なのでしょうか。安価な娯楽に満足できるのであれば、「労働の価値」はそこまでないのかも知れません。

更に、飲茶さんは日本という国家の現在の在り方にも触れています。日本は「新自由主義」であり、「規制緩和」と「小さな政府」を掲げ、国家は「何もしない」というアダム・スミスの見えざる手を極限まで信頼したやり方であると。

”経済システムを維持するためだけに働かされ続け、過重労働で身体を壊してしまった人たち、もしくはそんな労働に生き甲斐を見出せずついには心の病気になってしまった人たち、ワーキングプア、負け組、ニート。すなわち、前時代の主義(ここでは新自由主義のこと)により生み出された歴史的問題の渦中にいる人々。彼らは歴史の最先端を生きる人間であり、それゆえに彼らこそが「国家とは何か」「労働とは何か」「満足して幸福に生きるとはどういうことなのか」を真剣に哲学し、「新しい価値」をつくり出していかなければならない・・・今、世界は新時代のルソーを求めているのである。”

本の購入費に充てます。薄給なのでサポートいただけると大変助かります。本で得た知見を皆様に還元できればと思います。