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12月25日 The Unfashionable Kierkegaard 信仰


#12月25日  メリークリスマスの月曜日のランチタイムです。
クリスマスなので、神のことが考えたくなるタイミングなのでしょう。
#ドラッカー365の金言 でも、#実存主義 の #キルケゴール を取り上げて語るテキストとなっています。
#The_Unfashionable_Kierkegaard (流行らないキルケゴールの思想)
#信仰

今日のテキストも1994年発刊の『 #すでに起こった未来 』の12章 #もう1人のキルケゴール  296ページより 初出は「スワニー・レビュー」誌、1949年。
本文はこちら↓↓↓↓

 キルケゴールの著書は人間一人一人の個別的、具体的な存在としての真理を追究したことが理由で、人々の精神的な支えとなり、2度の大戦後、キルケゴールのブームが起きました。
 ドラッカーの本レポートは1945年終戦後4年目の1949年に発表されたタイミング。戦争を生き延びた人たちが、戦争で破壊された街や多数の死を目の当たりにして世界の将来に絶望に感じるなかで、人は自分だけの生きがいになる理念であり、信仰において実存できると説いたキルケゴールの「実存主義」哲学に人気が集まったのでしょう。

 キルケゴールは、実存主義の創始者とされ、人間にとって必要なのは、理性で得られる客観的な真理ではなく、自分だけの生きがいになる理念であり、自分がそのために生きそのために死んでいけるような真理、すなわち「主体的真理」であると考えていました。そして、人間の真実のあり方、すなわち「実存」は、絶望をきっかけにして、快楽にふける美的実存から、道徳的に生きようとする倫理的実存、さらに、神の前に一人で信仰に生きる決意をする宗教的実存へと深まる、という。このように、彼が考えた真実の自己のあり方は、絶望を受け入れて神の前に孤独に生きる「単独者」というあり方だった。

https://www.nhk.or.jp/kokokoza/r2_rinri/assets/memo/memo_0000006996.pdf より

「人間の実存はいかにして可能か」という問いに対して、キルケゴールは、

 人間の実存は、絶望の中ではない実存、悲劇の中ではない実存として可能である、とする。彼は、それは信仰に行ける実存として可能である、とする。純粋に社会における実存に関わる用語としての「罪業」の反意語は、「徳行」ではない。「信仰」である。
 信仰とは、神において不可能が可能になるという確信、神において時間と永遠が一体となり、生と死が意味をもつという確信である。信仰とは、人間は創造物であり、自律的な存在でも主人でもなく、目的でも中心でもないが、しかし、責任と自由をもつ存在であるということの認識である。信仰とは、人間が本質的に孤独であることを受け入れることである。そして、たとえ「死の瞬間まで」であったとしても、神と共にあることの確実さに圧倒されることである。

同書 291ページより

#ドラッカー は、戦後の混乱時、戦災の痛みに対して欧州人の間にキルケゴール・ブームが起きたことを分析しましたが、2011.3.11の東日本大震災・津波・放射能に襲われた我々日本人はどうだったのでしょうか。

2011年の日本は、東日本大震災をはじめ、新燃岳の噴火、福島・新潟豪雨、台風12号、台風15号など、近年希にみる 大きな災害に見舞われた年でした。 これらの災害は、多くの尊い人命や財産を奪い、被害を受けた方々の生活を奪い去り、 日本の経済活動にも大きな打撃を与えました。

 一般に日本人は、宗教に強い信仰心を持たない、と言われていますが、実際のところ、外発的動機として「お金」で動く人がほとんどであり、海外から「エコノミックアニマル」と呼ばれるほどお金への執着が強いと言われてきました。

しかし、2012年に行われた「 #東日本大震災が日本人の意識と行動に与えた影響 」調査によれば、仕事が減った、仕事を失ったという人は21%という経済的被害の一方で、寄附行為は2005年に比べ20%増加。
 また、家族と話をする、家族を大切にする、家族を大切に考える割合が特に、子供において35%も増えています。(ソース:https://jgss.daishodai.ac.jp/research/news/news_J12-2.pdf  より)

当該調査設問の中に、宗教観を問う質問がなかったため、別のレポートをご紹介したい。#前林清和 さんの論文「 #災害と日本人の精神性 」より

 日本人は自分自身に災害が降り注ぐのは運命であったり,罰が当たったりということで納得してきた経緯がある.この「諦め」や「はなかなさ」の感性の奥には,無常観があると言われる.(中略)
 「無常」とは,仏教用語であり,この世界の全てのものは生滅変化して留まることがない,という意味である.つまり,この世に不変なもの,永遠に変わることのないものなどないということである.
 したがって、物や出来事に固執しても仕方がない,意味がないということになる.なぜならば,全てが変わっていくからである.どれほど立派な豪邸もいつかは朽ち果てる.今幸せでも明日はどうなるかわからない.今繁栄していても一瞬にして全てが無くなってしまうかもしれない.逆に今は貧しくとも明日は金持ちになるかもしれない.今までは失敗ばかりだが何時かは成功するかもしれない.だから,私たちは今を生きるだけなのである.今を一生懸命生きることしかできないのだ.「今」の連続が人生であり,その流れは刻々と変化していくのである.(中略)
 このようにわが国の人生観は,先に述べた人間も自然の一部であるという神道的な世界観や仏教における無常,頻繁に起こる天災への順応的態度が相まって,無常観を基底に形成されてきたと考えられる.

2)社会倫理観
阪神・淡路大震災や東日本大震災直後の被災者の行動は,世界中から称賛され,感動の言葉がよせられた.どういうことかと言えば,海外では,多くの場合,大災害後には暴動や略奪が大量発生し,社会が無秩序化するのが当たり前である.それに対して,日本では,暴動も略奪も起こらない,それどころか被災者たちは水や食料の配給を,列を作り並んで待っている.順番を抜かそうとする人は誰もいない.日本人は,パニックになるどころか,平常時以上に冷静に行動して助け合ったのである。
このような行動に対して,世界中から称賛の声が上がった.(後略)

https://www.kobegakuin-css.jp/wp-content/uploads/2016/04/JCSS02_6.pdf より

 欧州ではキルケゴールの哲学を支持し、「信仰」に自己救済を求めましたが、わが国では、「 #無常感 」という人生観のもと、暴動や略奪が起こらない高い #社会倫理観 を持ち合わせているからこそ、「 #今を一生懸命生きる 」とコツコツとできることに取り組んで、戦後の焼け野原からの復興、そして、震災からの復興を成し遂げてきたんだ、ということです。

移民を受け入れたスウェーデンはじめ欧米各国が治安悪化に悩まされているわけですが、わが国で高い社会倫理観が保たれている理由は、国民の人生観が共有されていることなのかな、とも感じます。移民の方に最初に覚えてもらうべきこととして、この「無常感」を入管で教育すべきだろう、ということで、午後からもやっていきましょう。メリークリスマス!


#信仰は人に死ぬ覚悟を与えるしかし同時に生きる覚悟を与える
#社会による社会の救済は常に失敗してきました
#個としてのあなたおよび社会的存在としてのあなたを支えている生きる目的は何でしょうか

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