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【ディスカヴァー春の応援企画】#わたしの上京物語(千葉県出身/志摩の場合)

ディスカヴァーで「上京」といえば『上京物語』!

ということでちゃっかり最後には宣伝もしつつ(笑)、弊社の社員の「上京」の思い出、
「#わたしの上京物語」を昨日より3日連続のリレー形式でお届けします。
2日目の本日は、編集部・志摩の「#わたしの上京物語」です。

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私にとっての「上京」は、地元を離れて東京(のような都会)へ行くことではなく、自分の地元を探す、「ふるさと探し」であった。

父の仕事柄、転勤族として、8歳までの間に宮崎→東京→青森→鹿児島→千葉と4回の転勤を経験した。
両親、親戚の血筋は全員が鹿児島なので、「鹿児島出身」と名乗っているが、鹿児島については「黒豚」「桜島」「天文館(てんもんかん)」「ラーメン」をそれぞれ200文字くらいでしか語れない。
8歳から29歳まで住んだ千葉県習志野(ならしの)市には、「家がある場所」以上の認識はない。むしろ、中学生時代にちょっとしたいじめを受けて、中学時代の記憶がすっぽり抜けているので千葉は「絶対に抜け出すべき場所」となっていた。

そんなこんなで、私の心はホームレス。
甲子園で応援したい高校はないし、「なつかし〜」と感じる土地もない。
だから、大人になったら自分で自分の「地元」を探すんだと決めていた。

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そこで、地元候補として選んだのが「東京」。
子どもの頃から本が好きで、17歳のときから「編集者になりたい」と思っていたので、出版社のある東京に行きたいというポジティブな情熱。
「意地悪してきた同級生が根をはった場所にはいたくない」「もっとイイところへ行く」「東京で活躍して私は違う生き方をするんだ」というネガティブな情熱。
この2つの理由で東京を選んだ。

新卒で新宿御苑にある編集プロダクションに入社。
圧倒的に東京にいる時間が長くなった。
そこから、一気に東京を覚えた。

いちばんの変化は、人に会う機会が増えたこと。
とくに、編集プロダクションから出版社に転職した25歳のときは、飲み会や勉強会に1年で100回以上参加し、いろんな人に出会った。

そこでは、本気で生きている人たちに出会った。
本気で生きている人はすごい。

ただ一生懸命頑張っているだけではなく、
何があってもすべて受け入れる覚悟を持っている。
だから、妥協せずにすべてのことにフルスイングで挑んでいく。
「圧倒的な行動力」と「絶対的な在り方」を備えていた。

そんな先輩の背中を追いかけて、見様見真似で私も生きてみた。

・むやみに貯金はせずに誘われた飲み会はすべて参加
・後輩には必ずご馳走する
・仕事は「やります」以外言わない
・「面白そう」と思ったイベントにはすべて参加
・世間体を気にした選択を仕事、恋愛でしない
・迷ったら危険そうなほうを選ぶ

中身空っぽの25歳の小娘が行動様式をただマネすることからはじめたので、
痛い目にもあったし、失敗もしたし、身が引き裂かれるような悲しみも味わった。
法に触れることはしていないけど、第三者から見たら「失敗」と思われても仕方ない経験のほうが多いように思う(そんな風に過ごしていたので、お金が貯まらなくて東京に引っ越せたのはつい3年前)。

だけど、その時間はとても充実していた。
東京で働き出してから今に至るまでの時間は、人生の宝物のひとつだと断言できる。

もともとは、いわば「なんとなく」で決めた東京への上京。
だから、私ひとりではこんな有意義な時間にはできなかった。
東京での出会いと経験が私の時間を宝物にしてくれた。

宝物だと思える時間を過ごした場所には、愛情が芽生えることも知った。
最近になってやっと、東京が私の「地元」になってきた。

普通の人が失敗と呼んでいる出来事こそが、
人生に感動や感謝、新しい出会いといった、
幸せな人生を送る上で必要なものすべてを運んでくれるんだ。

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