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どうすれば、悪事に直面したときに行動できるのか?私たちが「道徳的勇気」を示すためのヒント

『悪事の心理学』から、私たちが「傍観者」になってしまう心理学的要因と、それを乗り越える勇気の持ち方を紹介するnoteの第三回目。
今回は、悪事に直面しても沈黙しない「道徳的反逆者」の特性を、自分の中に、あるいは他の人の中に育てるためにはどうすればよいのかを考察します。

行動の仕方を学ぶ

道徳的反逆者になる方法

 米国がイラクを占領していた2003年末のこと。陸軍予備役兵ジョー・ダービーは、仲間の兵士からイラク人捕虜が拷問され、辱めを受けていることを知り、米国陸軍犯罪捜査司令部にそれを報告しました。彼は「自分が何かをしなければいけないと思いました。私は、捕虜の虐待は間違ったことだと知っていたので、これ以上虐待される捕虜を見たくはありませんでした」と捜査官に伝えました。
このような道徳的勇気を示す人のことを、心理学者は「道徳的反逆者(moral rebels)」と呼んでいます。道徳的反逆者とは「現状に対して道義に基づいた態度をとる人物のこと。自分の価値観に妥協することが求められたときに、従うこと、沈黙すること、そのまま賛成することを拒む人のこと」です。道徳的反逆者は、非難や仲間外れ、キャリアの後退など、社会的にネガティブな結果を招きかねない状況に直面しても、自分の原則を断固として守ります。
 道徳的反逆者とは、どのような人物なのでしょうか。いくつかの研究結果を総合すると、それは、自分に自信があり、主体性があって、利他的で、自尊心が高く、社会的責任感が強い人物であると言えます。また、最も重要な特徴のひとつは、彼らが集団に馴染むことを比較的気にしておらず、自分の信念や価値観を貫くための発言を恐れないことです。

 これは、ほとんどの人がもっていない特性のように思われます。しかし私たちは、悪事に直面したときに道徳的反逆者が立ち上がるのをただ待ちわびているわけにはいきません。私たちが本当に求めているのは、生まれつきの性向にかかわらず、より多くの人々が声をあげられるようになることです。
言い換えれば、「道徳的反逆者が増えること」が必要なのです。幸いなことに、生まれつきこのような傾向をもたない人でも、社会的圧力に立ち向かう能力を身に付けることは可能です。言い換えれば、私たちは皆、道徳的反逆者になるための方法を学ぶことができるのです

 私たちが悪事に直面しても沈黙してしまうのは、一人の人間が声をあげたところで実際に変化は生まれない、と思っているからです。その信念を皆が共有し、誰もが行動することを選ばなければ、悪事は続きます。道徳的反逆者を生み出すための重要な一歩は、沈黙することの代償を人々に理解させること、そして自分の行動が大切だということを納得させることです。
 しかし、変化の力を信じるだけでは、悪事に立ち向かうには不十分です。私たちには、悪事に立ち向かうための具体的なスキルも必要です。可能であれば、対立を感じさせないスキルであることが望ましいでしょう。応急手当や心肺蘇生法など、何らかの専門的なトレーニングの経験者は、身体的な危険に直面したときに介入する傾向が高まります。このように、トレーニングは社会的なコストがある場合に人々が介入するのを助ける上でも、重要な役割を果たします。
 非難の声をあげる方法のひとつは、懸念や反対を、短く簡潔に表現する手段を見つけることです。この方法は、長々とした「教えるのに良い機会」にあなたを巻き込んだり、相手に恥をかかせたりはしません。発言や行動に問題があることを、本人だけではなく、発言や行動を観察している人たちに示すだけなのです。
 職場における同性愛嫌悪的な発言への対応を調べた研究によれば、最も効果的な方法は、「ちょっと、それはクールじゃないよ」や「その言葉は使わないで」と伝えるなど、冷静かつ直接的な対応の仕方だったことがわかっています。同じような方法は、校庭でのいじめを止めることから、部下を粗末に扱う同僚を非難することまで、ほとんどあらゆる有害な行動に使用可能です。何が受け入れられないのかをはっきりと伝えることは、新たな社会的規範を生み出すためには不可欠な第一歩です。
 悪事に立ち向かうさまざまなテクニックの学習は変化を生む可能性がありますが、スキルや方法を学ぶだけでは不十分です。実践が不可欠なのです。攻撃的な発言や問題行動に対するさまざまな反応を能動的にトレーニングすることには、声をあげることの抑制を減らし、反応するのが普通だと感じられるようにする働きがあります。また、それは実社会の状況に介入できるという自信も高めます。

 道徳的反逆者を育成するもうひとつの重要な方法は、正しい方向へ小さな一歩を踏み出すこと、あるいは間違った方向への一歩を拒否することでも大きな変化が生まれることを、人々に教えることです。学校でのいじめや大学での性的暴行、警官の問題行動を防ぐために考案された最も効果的なプログラムでは、まさにこの方法が使用されています。例えば学校では、いじめが深刻化するまで待つのではなく、悪口や仲間外れのようなちょっとした攻撃があったときに介入することを、子どもや教師たちに教えます。企業では、倫理的行動のきっかけになるさりげない注意を喚起することが求められますが、それは従業員が問題行動への小さな一歩を踏み出す誘惑に駆られないようにするためです。
 また、心理学者のアービン・ストウブとローリー・パールマンは、人々の共感を高めることで、権威者に従おうとする傾向を減らすことができることを明らかにしました。
2017年、ダートマス大学で心理学と神経科学を専攻していた大学院生のクリスティーナ・ラプアーノは、指導教員を大学当局に通報するという難しい決断を下しました。彼女は大学当局に、2年前の学会で過度の飲酒をした日の夜、ケリーにレイプされたことを報告しました。彼女が被害届を出したのは、ケリーが他の女子学生にも性的不正行為を長年続けていたことを知ったからでした。ラプアーノは、ニューヨーク・タイムズ誌に「私は、世代を超えて広がっているこのパターンを、何とかして終わらせたいという気持ちになりました。そうしない限り、ずっと続くと思ったのです」と語っています。
 他の女性へのラプアーノの共感は、悪事を訴える代償を支払う勇気を彼女に与えました。共感は道徳的反逆者に共通する特徴です。いじめや性的暴行のような悪事を目撃したときに介入するために作られた多くのプログラムは、行動の動機づけの方法として、被害者への共感を生み出すことに重点を置いています。
 ただし、共感する力は先天的ではなく、後天的に身に付けられることを心に留めておいてください。生まれつき簡単に、他の人の視点に立って世界を見ることができる人がいるかもしれませんが、それ以外の人でも、じっくりと時間と労力をかければ、生まれつきの人以上に、共感する力と道徳的勇気を身に付けた人間になることはできます。
 多くの人は、見知らぬ人よりも友人を助けようとします。例えば、私たちは、職場でいじめの被害者になった友人を守ったり、性的暴行から友人を守ろうとして介入したりします。また、見知らぬ人であったとしても、同じチームのファンであるなど、何らかの共通点がある人の場合では助けようとする傾向があります。

道徳的反逆者が行動できる理由を理解することで、私たちが能動的な傍観者になるための方法や、道徳的勇気を示すためのヒントが得られるのです。

書籍情報


なぜ誰もすぐに行動を起こさなかったのか?
あなたなら行動を起こせたのか?
企業や個人の不正、ハラスメント、いじめ、性加害の問題に関するニュースが後を絶たない現代社会にこそ、広く読まれるべき1冊。


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