見出し画像

あなたの人生は「会社」に依存していませんか?【『何度でもリセット』第1章無料公開 後編】

先月発売された『何度でもリセット』は、銀行員を21年、経営コンサルを15年経験したのち、60代で僧侶となり、築地本願寺の大改革で話題となった安永雄彦さんが、人生100年時代の生き方を説く1冊です。
発売を記念して、本書の第1章を無料公開します。
今回は後編。「会社軸」と「自分軸」についてお伝えします。

人間の視野・視点は
ファーストキャリアに強く影響される

人生も後半に差し掛かる年齢を迎えると、「自分とは、こういう人間だ」という自己認識のイメージがほぼ固まってくるものだと思います。

自分の特性を知ることは大事です。
しかしながら、同時にこんな問いも投げかける必要があります。

「果たして私は、"はじめから"こういう人間だっただろうか?」

人間には誰しも"思考のクセ"があります。そして、思考のクセの方向性を決めるきっかけは外的要因がほとんどです。
そのきっかけにはさまざまなパターンがありますが、成人して以降の日常の中で、特に強い影響を与えるのが「ファーストキャリア」ではないでしょうか。
つまり、社会に出て初めて所属する組織の環境です。
最近は学生時代に起業する人も増えていると聞きますが、とはいえ、社会全体のマジョリティはやはり「会社に就職」でしょう。

組織には、その組織を合理的に運営するための習慣やルールが存在します。
その習慣やルールは、あくまでその組織に最適化されたものであり、どこでも、誰にでも通用するものではありません。

ところが、組織の内側で過ごす時間を重ねるうちに、いつの間にか「当たり前」の価値観として刷り込まれていきます。その環境特有の「当たり前」が、いつの間にか、自分にとっての「当たり前」と同化していくのです。
とりわけ影響を強く受けるのが新人時代。真新しいスポンジのようになんでも吸収する新社会人の時期に過ごす環境の影響力は甚大です。私自身もそうでした。

私が大学を卒業して最初に入った組織は三和銀行。合併を重ねて、現在は「三菱UFJ銀行」と呼ばれるメガバンクになっています。
今でもそうだと思いますが、銀行員として一人前になるために最初に叩き込まれたのが「正確性の追求」でした。

仕事というものは決して間違ってはいけない。
文字は正確に書きなさい。
足し算、引き算、かけ算、すべての計算は必ず検算で答えが合っているかを確認しなさい。

繰り返し繰り返し先輩に叩き込まれ、後輩ができたら今度は教える立場となって繰り返し手本を見せるうちに、だんだんと「仕事とはこういうものだ」という自分の〝常識〞が形成されていきました。
さらには仕事だけでなく、世の中とは、人生とはこういうものだという認識へと拡張していきました。

「お金を貸すときには、確実に返済されることを前提に」。これも、銀行員時代に刷り込まれた常識の一つです。
今も私はお金の貸し借りに関しては非常に保守的なタイプですし、「返済できるかわからない相手に貸すときは、あげるつもりで渡そう」という考えで動くと決めています。

こうした仕事やお金に関する価値観を日々の仕事を通じて獲得していることは、銀行員として21年間、金融業界の内側にいたときには無自覚でした。
しかし、業界の外に出てみると、それは「銀行員特有の価値観」であったと気づかされました。

「おや、世間の考え方はちょっと違うようだな。仕事の仕方もいろいろあるんだな」

そして、同時にこうも感じたのです。
「会社や業界の文化は、個人の価値観にこれほどまでに深く介入するものなのか」

自分はこういう人間だと自覚している部分は、実はある時期に影響を受けた環境下の行動習慣が規定したものかもしれないのです。
言い方を変えると、環境や行動習慣(つまりライフスタイル)を変えると、自分は変わる可能性があるということ。

私たちは自分たちが思っている以上に、柔軟な生き物なのです。

「会社に人生を託す」という考えは幻想である

「将来に対して、漠然とした不安を感じます」
仏道に入るよりも以前、ビジネススクールで教壇に立ち始めた頃から、私が毎日のように聞いてきた悩みです。

不安の理由は何なのでしょうか。
理由を一つに絞るのは難しいかもしれません。
しかし、おそらくその不安の大部分は、今所属している「会社(勤務先)」の将来性に深く関わるのではないかと想像します。

自分が80歳になる頃まで、会社で働けるポジションはあるだろうか?
その頃、そこそこの給料をもらえるくらい、会社の業績は維持されているかな?
いや、そもそも、会社は存在しているだろうか?

そんな会社を"主語"にした「?」が次から次へと襲ってくるとしたら、あなたは自分の人生の大部分を会社に依存している可能性があります。
そして、依存の前提となっているのは「会社は余程のことがなければなくならない」という思い込みでしょう。
はっきりと言ってしまうと、その思い込みは〝幻想〞であり、一日でも早く断ち切ったほうがいいと私は勧めます。
「うちの会社は国際的にも手広く展開している大企業なので、当面は大丈夫ですよ」と反論する方もいるかもしれません。しかし、それも危険な楽観です。
テクノロジーの進歩が加速度的に速くなり、国際政治の地政学的パワーバランスも変容せんとするこれからの時代に、「ずっと永続する組織」なんてあり得ない。

30年後どころか、10年後、5年後でさえ、会社が今のまま存在しているという保証はどこにもないのです。
過疎化によって自治体も潰れる時代です。「絶対安定」と言われてきた公務員だってわかりません。
脅すように聞こえたら申し訳ありませんが、これはそう遠くはない将来に必ず起こる現実でしょう。

会社と自分の運命を重ねて考える人は、それだけ真面目に頑張ってきた人であるとも言えます。
優秀で周囲の評価が高い人ほど、会社と人生が一体化するのは自然なことです。
そんな頑張ってきた人たちほど、深い迷いの中で立ち止まる時代が来るのではないかと私は心配です。

そもそも「会社」とはなんでしょうか。

立派なビルの中に入っているオフィス。何百人、何千人の従業員が集まるチーム。
設立以来、生み出されてきた商品の数々。
いくつかのイメージが浮かぶでしょう。
しかし、そこには実態としての会社は何もありません。

法人として登記が完了すれば、すぐに会社をつくることはできますが、会社は建物でもなければ従業員を集めた集合体でもありません。
創業者、従業員、株主、消費者、取引先など、関係する人々が「ここに会社が存在する」と信じるからこそ成り立つ。いわば会社は〝共同幻想〞によって存在するものなのです。

今日から少しずつ、会社に託す人生を手放していきましょう。

さあ、自分を取り戻そう

会社とは、実態があるようでない「幻想」であり、依存するのは危険であるという話をしました。では何をよりどころにすればいいのか?

「自分」です。

いつでもしっかりと両手で握れる「自分の軸」を備えることが、これから続く道なき道を進むための〝杖〞となります。
私もかつて、会社の風土に自分をどっぷりと浸からせて、無我夢中で走る時期を経験した人間です。
しかし、いくつかのターニングポイントによって、人生を方向づける価値観が揺さぶられ、「自分の軸」を取り戻すことができたのです(詳しくは後の章でお話しします)。

金融業界から転じて仏道に入るという、我ながら予想だにしなかった大転換も、「自分の軸」を握る人生を得たことによる結果であると考えています。

とはいえ、「自分の軸」は日々意識しなければ、すぐに私たちの手中から消えてしまいます。
少しでも気を抜くと、ぼんやりと霞がかったかのように薄らぎ、揺らいで、遠のいてしまいます。

私自身もちょっと油断をすると、自分を見失いそうになる瞬間は訪れます。
そのたびに「自分の軸」を感じ、見つめ、取り戻そうと努力をします。決して難しくはなく、日常の中で実践できる小さな行動によってです。

つまり、意識と訓練によって、誰にでも「自分の軸」を取り戻すことは可能です。
自分と向き合う時間を後回しにしてきた人たちへ、私自身の経験も踏まえて、これからの人生を楽しく前向きに進むための視点と行動について、ゆっくりとお話しをしていきます。

\前編はこちら/

\書籍はこちら/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?