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「お金は天下の周りもの」なのかもしれない。

実母も、同居している義母も、どちらかというと倹約家というところでは、共通している。

幼い頃から、贅沢はさせてもらえなかった代わりに、実両親も実に倹約家だった。

実母は専業主婦で、サラリーマンとして働く父の一馬力では、家計は厳しかったかもしれない。

お小遣いもなかったし、家族旅行は一度も行ったことがない。

おもちゃも買い与えてもらえなかったし、漫画の本なんて問題外だった。


だけど、両親も、生活の必要最低限のものを買うだけだった。


だから、何を買ってももったいないという感覚が身に付き、幼い頃にお年玉をもらっても、ひたすら貯めるだけだった。

私が成人してもなお、祖母は私の手にお金を握らせてくれたけど、ずっと貯金。

働いて得たお金も、何を買うでもなく貯金。


おしゃれ心が芽生えた大学生の頃、母に化粧を咎められ、化粧には興味がなくなったし、服も幼い頃から母の好みに合わせてきて、服にも興味がなくて、結局、物欲は全くと言ってよいほどなかった。


お陰で、結婚資金も自分で用意できた。新車までつけて。
結婚して数年後、嫁ぎ先のためにも一役買って、お金を出した。


いざとなった場合は、人生やり直しの「軍資金」位には十分なお金だったので、他の家に嫁いできて、一文無しの状態になると思えば心細かった。


だけど、嫁ぎ先のためになるのなら、活きたお金になるのかなと思ったことを、おぼろげに覚えている。

貯めたお金はカラッキシなくなって、「裸一貫からやっていこう」と、そのとき思った。


つい最近になるまで、私の元へは全くお金は入ってこなかった。


だけど、結婚してからは、買い物の仕方がまるで違った。


最初は、何を買うにも躊躇したけど、幸い夫は買い物するものについては、何も言わない。
財布を握っているのは、夫だけど。


一番最初は、随分と使い込んだ、台所の食器用のたわしを変えるにも、随分と気を遣ったのを覚えている。


なにせ、他人の家だから。
若い頃は、何を買うにも、贅沢な気がしたし、お金がもったいないという感覚から抜けきれなかったから。


だけども、毎日料理するんだし、フライパンのコーティングが効かなくなったら、買い換えた方が、料理も楽しくなるし、買い換えた方がいいよね。

いまは、卵焼き専用のフライパンを、「チョット炒め」に義母や息子が使用して、すぐに寿命が尽きるから、私専用のものは秘密の場所へ隠している。
お陰で、いつでもきれいな卵焼きができる。


たわしも、ふきんも古くなったら、どんどん変えていった方が気持ちいい。
ストックを常に補充しておこう!食器洗いにストレス感じるの、いやじゃない?


お風呂のバスマットも、精魂尽きるまで使わなくていいんじゃない?
洗い替えも用意してさ。


デザートも、ちょっと高めのものだって買っちゃえ!
毎日、頑張ってるもんね!


私がおやつ代わりに食べてる「あたりめ」。
お気に入りのものは、チョット高め。人気があるのか、品切れに出くわすこともある。それだけに、ゲットできた時は、ラッキー💕
うま味があって美味しいし、食べ応えがあるし、多少おやつの量が減るんだよね。


顔パックをはじめてつけた贅沢感は忘れない。
初めて買う時、躊躇したけど、1カ月もつんだったら、いいよね。


化粧水や乳液、洗顔フォームも、途中ワンランクアップした。
カット屋さんも変えた。
この年になって、美容にこだわるようになるなんて思いもしなかった。

入浴剤も、個装のちょっといいやつを、贅沢に使ってる。
それくらいの、ご褒美いいよね?!💕


年から年中、仕事着を着ているようなものだけど、ワンシーズン着れば、それなりに色あせて着古した感じになるから、早めに新しいモノへとチェンジ。
仕事のテンションもアゲアゲ⤴⤴⤴


「え?!もう?!」と夫が驚くほど、サイズアップが目まぐるしかった、小学生のころの娘は、常々「服が欲しい」と言っていたが、「お願い!おしゃれ心を養うのに必要なんやで」と、ある程度タイミングを考えたうえだけど、私が子供の頃には考えられなかった以上に、娘が好きな服を買い与えることも、楽しみのひとつだった。
選ぶのは、もちろん娘。

大学生になって下宿している娘へ、仕送りできるのも幸せだった。
時には、ちょっとお小遣いをしのばせて。


つい最近、義父がカップ麺が美味しいって言うから、「義父さんのためにカップ麺のストック買って帰ろうか」と、私に提案された夫は、「10個くらいあればいいんちゃうん?」と言うから、「何言うてるの、この際、かごいっぱい買って帰ったらいいやん。今度はいつ買いにこれるか分からへんのに」と、かごいっぱいに買って帰った。

それから、夫自らカップ麺のストックに勤しんでいる。
何ていうか、思いついたとき、そういう自分の気持を大事にしたいなって思って行動したけど、「わぁっ!贅沢やなぁっ✨大人買いやん!」と思ったのは内緒。


こうして、私は、結婚してから、年月を重ねながら、ただただ「お金を使わない」「お金は貯めるもの」と植え付けられた価値観から脱却し、プチ贅沢しながら自分を満たしていくことを覚えていった。


独身の時より、生活水準は間違いなく上がった。


あの時、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、夫に差し出したお金は取り戻せていない。

だけども、活きたお金として使われたし、回りまわって金額以上のものが、返ってきたと言える。

それに、私はなおも、少しずつお金を取り戻そうとしている。
お金を貸したものを取り返そうというより、働いた対価として、そろそろ私にも収入があってもよいのではないかと思って、夫に申し出たまでだ。

育児も終え、作物の売り上げも上々に、義父も経営から退いてくれた今、余裕ができ、夫も「あのときの借りを返さなあかんしな」と、文句もいわず、一年間働いた対価として差し出してくれる。


これで、老後に向けて少しずつ貯めることができる。
あと数年後には、もとの貯金額以上にはなるだろう。


私は、プチ贅沢をしつつ、自分を満たしながら、自分以外の人のことを考えられる器量を育んできたのかもしれない。

まだまだ人間として未熟とはいえ、成長はした。
若い頃は、もっと自分よがりだった。


だから、夫にお金を差し出したとき、「清水の舞台から飛び降りるような気持ち」になる位にひやひやしたし、「この世の終わりのような」心境だった。

今だったら、もっと気持ちに余裕をもって、助けてあげられる。
もちろん、手持ちのお金の範囲内でだけど。


「お金は天下の回りもの」とかいうけれど、使いかたさえ間違えていなかったら、それ以上の価値のモノが戻ってくる。


自分のいちばん身近な人を助けることができて、金額以上のものが返ってきた、このお金の遣い方は、とてもよかったと思っている。

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