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身体が動かなくなるその日まで、できることの引き出しを増やす。

義母は、今でも時々、「薪を焚こうか」と気を遣ったふうに私に歩み寄ってきてくれる。 


だけども、私の本心は「今更言われても仕方ない」。

薪は、ある程度熟練していないとまともに焚けない。

私には今更、義母に薪の焚き方を教える時間はないし、私の好みの焚き加減がある。


どうして、「薪を焚く」ことに向き合わなければならない時に、向き合わなかったの?である。

私が嫁いできたときには、夫の仕事だったし、その前には同居の夫の曾祖母さんが焚いていたという。

夫にとってもキャパオーバーだったようで、私が一手に引き受けたが、私が子育てに忙しい時も、畑仕事を引退してからも、一向に焚こうとしなかったし、焚いても半端に終わらせたし、続かなかった。

私がどんなに忙しくても、義母は自分のペースで、自分のしたい事だけしてた。

もう随分前になるけど、義母が一度「ご飯を炊こうか」と珍しく言ってくれたけど、「何合炊けばいいの?」といわれて、「私がやるから置いといて」と言わざるをえなかった。

冷凍庫のご飯の残り物と、いま炊飯器にある残り物と、息子の予定などを考えて、程よい量を炊く必要があるから、わざわざそこから説明しないとなると、自分でやった方が早い。

それも、長年やってきた「さじ加減」と言うことになる。


「私が薪でお風呂を焚くから、義母さんご飯を炊いてね」と、義母と同居していることを利用して、義母にも手伝ってもらえばよかったのだろうけど、コンスタントに継続してできない義母には頼めなかった。

もともとは、自分が使ったものの食器洗いや自分の洗濯物の取り込みでさえ、しなかった人だ。
義姉に促されて定着したから、今でもそれは続いている。

やるべきことをいつも後回しにしていて、義父に時々叱られたりして、急ぎの用事は私に回ってきた。


今になって隙間時間を埋めるべく家事をしようにも、長い間家事と向き合ってこなかったら出来ない。

経験を積んで熟練しているなら、お願いするかもしれないけど、もう20年近くわたしがずっとしているが故、私のやり方があるし手際よくできるので、今更ながらにしてお願いするに足らない。


どうせなら、いくらでも時間があっただろうに、風呂焚きだの、ご飯炊きだの、どうせならトイレ掃除も、やってくれればよかったのに。
私が、本当に困っているときに。


「家事」と向き合ってこなかったら、その「塩梅」も分からないのかもしれない。

「家事」でいえば料理もそうかもしれない。

一時期、義母の認知症が発覚した時に、少しでも認知症の進行を遅らせることができたらと、私が一緒に料理をしていたことは、「note」の記事にして書いたこともあったが、それも続かなかった。

私が。

デイサービスが忙しくなったのもあるが、義母自身、そう「料理」と向き合ってこなかったから、初心者に近い義母に私が料理の先生になって、一から十まで教えることに気力が持たなかった。

義母も特に何も言ってこない。


その点、わたしは、義母が家事ができななかったために、できることの「引き出し」を増やしたともいえる。

最初は、皆とおなじ夕方5時に定時でおいて、家事をヒトリでするのは気が狂いそうになって、1時間早く仕事をおいて家事に取り掛かることにしたが、今なら定時においてでも手際よくすべてをこなす。


仕事もそう。
人生路頭に迷っていた時、畑でふと思ったあの瞬間。

「わたし、いつまで農作業せなあかんねんやろ・・・」


え・・・ちょっとまって!
普通の仕事やったら、60歳で定年やけど、わたし、一生畑に居ることになるんか?!

と、リアルに老後を想像した。

まだ若かったので、老後のことを初めてリアルに考えて、私は驚いたのを覚えている。

その時はじめて、身体が動かなくなるその日まで、畑で仕事をすることを想像した。

当時の私にはこれといった趣味もやりたいこともなかったので、「仕事」がなければ、とんでもない位に暇な老後を過ごすことになると、焦りにも似た感情をもった。

じゃ、本来なら定年を迎える年を過ぎても、仕事をしようか!
仕事を趣味にしよう!   

気持ちを切り替えたけど、「じゃ、定年がある人は、その後の人生どうやって過ごしていくことになるんやろ」と何気に思ったのを覚えている。

「何もすることがないと、ボーッとできていいかもしれないけど、ヒマで仕方がないな」とも思った。


私は、そうやって身体が動かなくなるその手前まで出来ることを得た。
「少しでも長く農作業をしよう」と思ったことが、筋トレを始めたきっかけのひとつにもなった。


『出来ることの引き出し』を増やす意味では、先日までしていた「薪づくり」だってそうかもしれない。

柿の木の剪定にチャレンジするにあたって、私でも使える、バッテリー式のチェーンソーを3年ほど前に買ってもらった。

「これがあれば、(風呂焚き用の)薪づくりだって出来るかもよ!」と言ったそのことが、現実になるとは思いもしなかった。


今年は、忙しい息子や夫に代わって、一部、私がチェーンソーで薪(柿の木や山椒の木)を切っていったが、自らチェーンソーを握る日がくるとは想像していなかった。

昨年までは、専ら、薪を並べたり、薪割り機で割るくらいのことをしていたのだから。
少し前まで、チェーンソー仕事は、男性よりの仕事で、夫が役割を担うこと以外考えられなかった。


山椒の栽培を義父母から譲り受け、夫が山椒と柿の木の両方を剪定することになったが、剪定の時期になると決まって疲弊している夫に「柿の木を剪定してみようか?」と、自ら申し出たのをきっかけに、剪定の面白さをゲットし、バッテリー式のものだけど、チェーンソーを使いこなせるようになった。

これも、自らができることの引き出しを、増やすことになったことになった。

年を取るにしたがって、身体は老いていき、できることは限られていくのは目に見えている。

年を取って、新しいことに取り掛かろうにも、多大なる気力が必要だろう。

だからこそ、身体の動くうちに、できることの引き出しを増やしておく。


そうすると、年をとっても出来ることは多いかもしれない。

だけど、死に向かって身体が動かなくなっていくその時にできることは、自分の中で研ぎ澄まされたことだけかもしれない。

義務感に駆り立てられてしてきたことは、やがてしなくなったり、できなくなる。
必要以上に、気力が必要だから。

そうなると、身体が動かなくなるその前まで出来ることは、「好きなこと」だけかもしれない。

選択肢を増やすことも必要だが、自分が興味を持てること、好きな事を見つけたり、身体の動く若いうちにいろいろチャレンジすることが大事!

だなんてこと言う柄でもない。
私はもともと超消極的な人間だ。
そう思いながら、チャレンジしたこともない。ただただ必要性に駆られてしてきたことばかり。

だけど、人生折り返しの地点で、こうして記事を書きながらにして結果そうなったことに気付いた。

ガラでもない言葉が、記事を書きながらにして自然と出たことにビックリする。
そう!身体が動くうちにチャレンジ!


だけども、「更年期」と言われる私たちの年代からは、体力や気力の低下をかんじざるを得ない。
体力や気力がついていかないと、フットワークも重くなる。

もともと面倒くさがりな性格に、筋力低下となると、ますますフットワークも重くなるだろうと見通したことも、また筋トレを始めたきっかけでもあるが、それは正解だった気がする。
ちょうど、更年期にさしかかったころで、筋力の低下を感じていたのだ。

庭を整備する夫。なかなかご機嫌だ。
農作業の合間に畑や庭を整備してくれているが、今や夫の趣味だったりして。

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