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「幸せになる勇気」


[きっかけ]
 以前読んだ「嫌われる勇気」の続編だったから。
(「嫌われる勇気」についての感想は2021.3.18に公開済み)

[感想]
 「嫌われる勇気」の最後では、青年と哲人が穏やかに互いの考えを共有し、納得した上でわかれていたので本書「幸せになる勇気」の冒頭で青年が怒りに身を任せ、哲人を打ち負かそうと息巻いているような言葉遣いになっていたため驚いた。
 以前の「嫌われる勇気」では主にアドラー心理学の導入、基本的には理論が主だった。本書では理論を現実に落とし込む、実践としてどう私たちは考え、行動するべきかが述べられていた。

 「嫌われる勇気」で記述された理論をなぞる、または情報を付けたしながら哲人は言葉を紡いでいった。「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」の最も異なる点は「愛」についての記述だと感じた。
 まず、タイトルである「幸せになる勇気」とは、愛する勇気だと述べられている。では愛とは何なのか。それは「自己中心性から脱却」し、「わたしたちの幸せ」を求めること。「自己中心性」とは生まれてすぐに培ったライフスタイル(世界観)のことであり、「わたしの幸せ」のために生きることである。新生児は親の助けがなければ生きることができないため、親の注意を集めるために行動をする。そしてそれは「自分で自分を承認する」ことができないままでいると学校に行っても同じように他者の注目を集めたい・他者から承認されたいがゆえに問題行動を起こすようになる。アドラーが提唱する「問題行動の第五段階」ではその具体的な行動が記されていたが、その目的はどれも同じで「所属感」、「共同体の中に特別な地位を確保すること」である。他者に承認されたり、褒められたりすること、それは他者依存にほかならず自分の生を生きていることにはならない。そのために、「わたし」の価値を自ら承認すること、つまり自立が必要となるのである。
 そのうえで、愛とは意思の力によって何もないところから築き上げるもの。だからこそ愛のタスク(愛の関係ともいう)はむずかしい。他者を愛するためにはまず自分を愛さなければならない。平凡である自分を、「その他大勢」としての自分を受け入れ、「わたし」であることに価値を置く。そして相手が自分を愛してくれるか、信じてくれるかに関わらず先に自分から相手を無条件に信じ、愛することが愛を築くうえで必要である。

 そして本書の終わりには別れについて記述されている。全ての対人関係は「別れ」を前提に成り立つ。現実としてわれわれは別れるために出会うのだ。我々にできることはただ一つ、最良の別れに向けた不断の努力をするしかないのである。ここには具体的な行動が記されてはいなかった。「いま、ここを真剣に生きる」と。友人や家族、はたまた同僚に対しても真摯に向き合い、自分の生を生きること、それが共同体の中で生きるということであり、普段の努力になるのではないかと本書を通じて私は考えた。

 そのためにも、大学生の本文である勉強やアルバイトに真剣に向き合い、自分の興味の赴くまま本を読み耽たり、趣味を純粋に楽しんだり、今までは考えたこともないことにチャレンジしたりできる一年にしたいと思った。人生は一度しかないし、今この瞬間が一番若い。何かを始めるにあたっても遅すぎることなど何もない。さらにいえば行動を起こさなければ何もうまれない。

 さらに人生におけるほんとうの幸せをつかむために愛されるのを待つのではなく、運命を待つのでもなく、自らの意思で誰かを愛する「幸せになる勇気」を持たなければならない。

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