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311 鬼ノ宴


はじめに

創始者やその直弟子などが生きている宗教をカルトと呼びます。対極にあるのが神道のように日本に古くから存在していて、教義も創始者が誰かもわからないようなものかと思います。
この二つの違いは、時間が大きく関係します。カルト教団と聞くと悪い宗教というように考えてしまいますが、時間的な古さ新しさみたいなものの違いだと考えればいいのです。
今日は、無宗教率の高い日本人について簡単にふれながら、「鬼の宴」が注目されていることについて少しお話してみたいと思います。

無宗教

日本の特徴の一つに無宗教の人の割合が7500万人近く存在し、63%以上に上る点です。世界を見てみると無宗教の割合が高い国には社会主義国や旧社会主義国が多く、中国、エストニア、チェコなどは八割近い国民が無宗教です。
民主主義の国である日本で無宗教率が高いのは、かなり珍しいのかもしれません。因みに日本人の宗教の帰属率でみると、神社などに代表されるような神道の信者数が8790万人、お寺に代表されるような仏教が8390万人、キリスト教が190万人、その他の宗教団体の信者730万人だと言われています。

受け入れる

日本人は、クリスマスも祝いますし、ハロウィンも楽しみます。初詣もしますし、地鎮祭もしますし、お盆の墓参りもします。無宗教だから受け入れることができるという考え方もできますし、古くからある神道という考えからすると様々な神々が存在し、見えてはいないけれどその伝統や習わしを理解して守ってきたわけです。
自然に感謝しているような心もちは、宗教というよりは生活の一部になった行動のようなレベルなのかもしれません。
これに似たようなものにインドのヨガなどがあります。ヨガは宗教と元々は関連していたものですが、その歴史は古く宗教というよりも日常のトレーニングや習慣に近い行為なのかもしれません。
日常化するとそれが当たり前となったり、普通となったりしていきますが、日常や普通というものになること自体が不都合な場合もあるのです。

日本の歴史を見ていくと「宴」ががもつ歴史的な意味はとても大きいものがあります。宴とは、ある一つの関係を共有する人々が集まって酒食をともにすることです。
そのありようは様々で、年中行事のようなものもあれば、政治的、宗教的、友人の集まりなど様々です。日本人にとってこの宴というものの存在は、集団における重要な儀式として、また意志決定機関として、それ以外にも多様な役割を担って機能しています。
そんな宴という言葉を用いた「鬼ノ宴」という歌が今多くの人の注目を集めています。歌詞には宗教的な言葉も出てきますし、社会の姿を切り取ったような部分も出てきます。
鬼という存在しないが、様々なものに例えられる架空の存在の宴とはどのようなものなのでしょうか。決まりきったものではなく、きっと危ないのかもしれませんし、今までにない刺激があるのかもしれません。そんな新しいものに挑戦する心もちみたいなものを歌っているのかもしれません。

歌も宴も人間の長い歴史の中で相当初期のころから存在した営みの一つではないかと思いますが、人類の歴史は多くの物を受け入れながら、それと同等の拒絶をしながら歩んできたのだとすると、この鬼の宴という曲が多くの人の心に響く理由が見えてくるような気がします。

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