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263 変わらないことはない


はじめに

いま大きなニュースと言うと国内では政治家の逮捕、国外ではイギリスの冤罪問題かと感じています。
今日の教育コラムでは、この二つのニュースを見て感じたことを少しお話してみたいと思います。

日本の政治

様々な見方があるのが政治なわけですが、日本では間接民主主義という形で代表者を選び、国の政治を一部の人間に託しています。そうして選ばれた政治家たちは、次第に政党のなかに派閥を作り出し同じ政党のなかにグループをつくり、互いに利益を得るための仕組みを法律の隙間をついて行うようになりました。
度重なる政治資金の記載ミスも後から修正すれば何事もなかったかのように過ぎ去っていくのが一大政党に所属する政治家たちのモラルの限界なのです。この問題の本質は、政治家の政治道徳の欠如とみることもできます。また、国民を見ていない政治家たちの視線の先には、自分を応援してくれる宗教団体や企業が常に見えているというところです。
そして、国民の声としての選挙における投票は、そうした一部の応援団の声を超えることができない状態を選挙の仕組みで作り上げているのです。実に収入の半分を税金と保険で納めているこの国では、国民は高齢の政治家たちを養い、そして若者を犠牲にしています。
その証拠に子どもの貧困は広がり続けています。子どもたちは、社会が育てるものです。それがままならない社会であるという一点を見ただけでも日本の政治が機能していないだけではなく、子どもたちを苦しめているのだと思うのです。困っている人がいない社会を作るために必要なことをするのが政治であり行政であるとするならば、この国に長らく鎮座していた権力を手にしてきた一部の政治家や官僚は別の視点でこの国を自分の手で運用している意識なのでしょう。

富士通問題

この問題は、イギリスの郵便局で1999年から2015年に700人以上の郵便局長の皆さんが、窃盗などの罪で訴追された事件です。
職を失うだけではなく自らの命を自らの手で奪うという大変悲しい結果を生み出した事件です。この事件はその後の調査で冤罪であるということが明らかになりました。富士通のイギリス子会社が、原因となった会計システムを提供していたわけですが、このシステムに当初からバグやエラーがあったことが富士通の責任者の発言でも明らかになっています。

富士通が提供しているシステムには、国内でもいくつかエラーや問題が発見されていますが、今回の人の人生を壊滅的に破壊してしまった原因は、イギリスの法制度に大きな原因があることも一方で事実です。
イギリスでは、ポスト・オフィスがもともとは政府機関だったこともあり、横領や不正経理について局内の監察組織が独自に検察の役割を担って起訴できる法制度になっています。
その起訴していく過程の中で「罪を認めれば司法取引で収監を免れる」といったやり取りを持ち掛けた事例もあると言われています。無実でありながら罪を認めさせられたのです。
その後、多くの冤罪被害者たちは、同じような事例がたくさん発生していることを知ります。どの時点でポスト・オフィスがシステムのエラーに気が付いていたかが問題となりますが、これだけの多くの同様の事例が発生していること、またシステムの不具合がわかり始めていたことを考慮するとどこかの場面でポスト・オフィスは事態の深刻さに気付いていたと推測できるわけです。そうであったとしても検察の立場で起訴をしたポスト・オフィスは冤罪を認めるわけにはいかず、700件もの訴訟に対して無罪を訴えている者に対して上告をせざる得ないでしょう。しかし、イギリス政府は事の重大性と国民の声を反映し、議会でこの問題を取り上げ法律の改正も含めて検討を開始しています。

法の限界

「法は最低限の倫理」と言う言葉があります。これは、法学の入門で習う内容で、法と倫理の関係に関する基本原則の一つです。この意味は、社会におけるルールをすべて法で定めることはないという意味で、これだけは国家権力による強制力によって是非とも守らせなければならない最低限度の規範だけが、法として定められるという意味です。

また、「法律は最低限の道徳」と言われることがありますが、これは、法はあくまで、自由にふるまう人々が共存するために絶対排除しなくてはならない行為のみを規制するためのものであり、それに反しない行為が道徳的に正しいことは保証しないし、行為の動機とも関係はないという意味です。

この2つの言葉は法の限界の一面を示しています。一方で法律という限界の中で裁かれなかったとしても社会的な制裁を受けることも同時に意味しています。

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