心に住んでいる人の分だけ人は人でいられる
「君の心の中が私でいっぱいになればいいのに」
昔そんなことを言われたことがある。
その時ふと考えた。自分の心の中にはだれが住んでいるのだろうか。
何人の人が住んでいて、だれが、どれくらい、自分の心の中を満たしているのか。
思うに自分の心の中が心地いい人で満たされているほど、
そして、その人たちへの気持ちがあたたかなものであるほど、
人は豊かでいられるのではないだろうか。
独りとは、物理的に人といっしょにいないことではなく、
だれも心の中に住ませてあげられない状態なんじゃないだろうか。
かつて私の中には、だれも住んでいなかった。自分すらも見えておらず、心の中は空虚だった。
少しずつ少しずつ大切な人ができて、自分のことも大切に思えるようになって、生きることを通して心の体温が少しずつ上っていった。
だけれど、だまっていると私の心はすぐに独りになりたがる。
だれでも好きになれるけど、だれにも依存することができない。「この人じゃないとだめだ」が思えない。
恋愛もそうで、例え失恋してもその日の夜にはケロッとしている。
もっとたくさんの人と深くつながりたいと思っているはずなのに、だれからも遠のこうとする心。
私だけなのだろうか。みんなそうなのだろうか。
だれかを思うことでいっぱいいっぱいになったり、だれかのために祈り続けるような人になってみたい。私はずっと「人間らしさ」にあこがれている。
だれかに振りまわされたり、過去の恋愛に未練をずっともってみたり。みっともないかもしれない。苦しいかもしれない。だけどすごく人間らしいと思う。自分の心の中にだれかがいる人からは心の体温を感じるのだ。
人を自分の中に住ませるのは、感情に流されるだけではむずかしく、実はとても意志がいることなのかもしれない。
朝起きて、空を見上げたときにだれを思い出すだろうか。いや、だれを思い出そうか。そうやって何度も何度も、何周も何周も、思い続けることで自分の心の中にだれかを住まわせていく。
そうやってやっと私は人になれるのかもしれない。心の体温のあたたかな人になりたい。いや、なろう。
人と触れあう機会が減ったから、なんとなく言い訳していたけれど、人を想う意志があれば、人はちゃんと人でいられるのかもしれないね。
心に住んでいる人の分だけ、きっと人は、人でいられる。
サポートでいただいたお金は全てサポートに使わせていただきます。note村のスキの循環が活性化します。