見出し画像

ジシンとビシューの話

美人は「他人が自分のことを好きであること」に怯えないのだろうか。


このところ、何かとすこぶる自信がない。
なんとなく不安定な気分に陥って、やれ「あの人はきっとわたしのことが嫌い」だの「あの言動で絶対に嫌われた」だの、余計な思考に時間を削がれている。

恋愛的な意味での好き・嫌いに限らず、人間的な好き・嫌いの話だ。
今年は新しく知り合った人が多いので、特にその判定を気にしている節がある。


わたしはまず間違いなく不美人の類だ。自分でもよく分かっている。

付き合っていた相手にまで「世間一般的に見てかわいくない(笑)」といったニュアンスの発言をされたことがある。
それを後日「こんなこと言ってたよね、ひどい~(笑)」とさりげなく話題に出したが、「そんなこと言ったっけ?」と完全に忘れ去られていた。
無意識の発言。あれはきっと心の奥底からあっさり出てきた本心だ。

自分で分かってんだから、せめてあなたには本心を言われたくなかったよ。
今でも御執心だと思われると癪なのだが、あの言葉はどうしたってまだ心にぶっ刺さっている。


最近、友人達といわゆる恋バナに近い雑談をたまにする。
我が友人達は、同性のわたしでも思わず顔をまじまじと観察してしまうくらいの美人ばかりだ。
大体皆、話し出すと中身がおっさんだとバレるのが玉に瑕なのだが。

といっても別段浮いた事情があるわけでもなく、この前ジモティーで電子レンジを譲った人が高身長イケメンで目の保養になったとか、なんだかんだ恋人つくるより男友達ってマジ大事とか、友達から結婚はいけるけど友達から恋愛って無理じゃない?とか。

書き出してみると全く恋バナではない。
が、特に浮く予定のないわたし達からすれば、十分に恋バナ感を味わえる雑談、をたまにしている。

その中で思うのは、「自分のことを好きになる他人がいること」を信じられるのってすごいな、ということだった。


そこに表面的な美醜は関係ないのかもしれない。
単に自信があるかどうかというだけの話で、自分が自分のことをちゃんと好きでいるなら、そりゃあ他人が自分のことを好きになって然り、だ。

だがわたしにはやはり、ぶっ刺さったストッパーがあるようだ。

他人の好意的な態度や言葉をもらってもきっと「はいはいありがとう、でも本心は違うんでしょ」と斜に構えてしまうのだろう。
だってわたしは、世間一般的に見て不美人だから。美しく好まれるモノではないのだから。

面倒くさい。自分でもそう思う、本当に。だから好かれないんだよ、とも。

わたしのことを本心から好意的に思ってくれる人なんて、そういるものではないだろうと考えてしまう。
もう少し鼻が高かったら、目と眉の距離が近かったら、顔が丸くなかったら。少しは違った気分になっていたのかな。


美人は「他人が自分のことを好きであること」に怯えないのだろうか。

仮に聞いてみたとしたら、「そんなの考えたこともなかった」と返ってきそうだ。
まずは自分のことを自分で好きになってあげないと、他人に好かれるなんて傲慢な話だ。
それに好意的な他人に対してもきっと、とんでもなく失礼だ。


昔、友人のひとりが「私は友達がいない」と発言しているのを聞いて、すこーしだけ傷ついたことがある。

「友達がいない」?ゼロということ?
わたしはあなたのことを友達だと思っているけれど、あなたはわたしを友達だと思っていないのか、そっかあ…と、なんともメンヘラチックな傷つき方をした。

好意的な他人に対して斜に構えるのは、完全に自己保身だ。
結果、相手を傷つけてしまう可能性もあることは、頭の片隅に置いておくべきだ。


本当は、美醜なんてそんなに関係のない話だ。

分かっている。分かってはいるけれども、それでもまだ少し、ストッパーが抜けそうにないのです。

最後まで読んでいただきありがとうございます!ぜひお友達になってください!!