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英語での議論にモヤモヤしてませんか?

最近出会った noter さんの記事と、コメント欄での意見交換を発展させる形で、英語での議論につきまとうモヤモヤ感を解消したいと思いましてね。
 
2ヵ月ほど前に書いた『英語力、日本語力、ビジネス会話力』の提言は以下の 3つです。
✅ 日本語で考える
✅ 短い文を作る
✅ 端的に話す
 
これらはあくまで自身の脳内問題ですが、議論にはもちろん相手がいます。
そこで、相手を知るという観点でもっと踏み込んだ話をします。

英語を話すのはコワいですか?

25 の国籍からなる監査チームに所属し、60ヵ国以上で往査を行った経験から言えるのは、英語を怖がる国民は意外と少ない、ということです。英語の上手い下手は国によって差がありますが、英語での会議にビビる人間に出くわしたのは数えるほどでした。旧ソ連の一部と中国とモンゴルくらいだったと記憶しています。
英語にビビる国民ランキングがあるとすれば、日本人がダントツで世界一位でしょうね。
 
私も昔は英語が怖い日本人の一人でしたよ。
妻と長女は海外生活 9年になりますが、今でも英語が怖いみたい。
英語を怖がるのは日本人のアイデンティティと考えて、むしろ誇っていいんじゃないかな。
 
歴史を通じて植え付けられた DNA とか、自己肯定感が極端に低い国民性とか、そういったことはひとまず置いといて。
一個人が、英語が怖い、嫌だ、苦手だ、と感じるとすれば、それはなぜか。
なにかしら不快な経験をしたことがあるからではないでしょうか。
例えば・・・
体のデカいアメリカ人に英語でまくしたてられて、頭の中が真っ白になってしまった。
こちらが一生懸命話しているところを、容赦なくさえぎられ、自分の発言は掻き消された。
うまく話せたと思ったのに、相手から「はあ?何言ってんのかわかんない」という顔をされた。
 
もともと英語力に自信のない人がこのような目に遭うと、心に傷を負って、ますます自信を喪失する。嗚呼、英語アレルギースパイラル
 
ネイティブスピーカーの態度にも 2種類ありましてね。
世界中の人間が英語を話せると思い込んでいて、英語を話せない人の気持ちを想像したこともない。これはアメリカ人に多いタイプ。
他国人が英語に弱いのを知ったうえで、自分の強みを最大限活かすため、わざと聴き取りにくい英語を話してくる。こちらはイギリス人に多いタイプ。
 
どちらのタイプにせよ、こんな連中のために、英語を怖がるのはアホらしいと思いませんか?

やつらの英語は本当にロジカルなのか?

英語がビジネスの共通言語になったのは、ロジカルなコミュニケーションに適した言語だからである。

(詠み人知らず)

この嘘に騙されてきて、そのカラクリに気づくまでに、私は何年も費やした気がします。
 
まず、英語があたかも世界語のように振る舞い始めたのは、電波の力によるものだった。BBC に代表される放送局が、ラジオとテレビを通じて世界の人々を洗脳していったのです。日本国民に標準語を広めたのは NHK ラジオだってのと同じ。
 
世界を制するのは武力ではなく言語であり、言語を制するのはマスメディアだ、と最初に気づいたのがイギリス人だった。
その後、英語による世界支配体制をさらに強化するために、インターネットを発明したのがアメリカ人だった。
どちらも、英語を話すアングロサクソンの仕業だったわけです。
 
英語がビジネス言語として洗練されていく過程で、文法や単語のシンプル化が図られたのは事実でしょう。
そして、ロジカルシンキングというフレームワークを取り込むことにより、英語はシンプルでロジカルな言語としてビジネス人に愛用されていった。
さらに、プレゼンテーションのテクニックが発達して、ビジネス英語はますますパターン化されていった。
 
例えば、最初に結論を言って「理由は 3つあります」みたいなスタイル。
Firstly ~
Secondly ~
And finally ~
 
なるほど、わかりやすい気がしますね。
しかし、よーく聞くと、その 3つの理由が全然並列でなかったりします。

「△△プロジェクトへの投資を実行すべきです。理由は 3つあります」
理由① ROI が当社基準の 15% を上回る
理由② 当社のミッションに整合する
理由③ 今後 3年間一定の販売数量が見込める

某グローバル企業の戦略会議より

これ、理由③が理由①の理由というか前提条件になっちゃってます。
販売数量一定が実現しなかったら、③と①が同時に消えるわけです。
②は理由とか以前の、施策を打つときの大前提であって、当たり前だろ!と言いたくなります。
こんなインチキなロジックで説得されてしまう上層部も相当マヌケです。
でもですね。こういうフォーマットを流れるような英語でプレゼンされると、コロッと騙されてしまうのですよ。
 
このテの話に納得してしまいがちなのは、その内容がロジカルだからではなく、英語がロジカルな言語か否かはもっと関係なく、ロジカルっぽく聞こえる話し方・レトリック・スタイルにやられているのです。
 
このような傾向はビジネスのシーンだけにかぎりません。
英語話者とディベートや口論をしたことのある方は、思い当たるのではないですか? こちらの主張を言わせてもらえず、話そうとしてもさえぎられ、逆に相手の理路整然っぽい主張に言いくるめられながら、心の中でつぶやく。論点がズレている、と。

正しい結論になったことはありましたか?

ないよね。
正しい答えなど出せるわけがないんですよ。
極度に単純化され、ロジカルという名の魔法(じつはインチキ)で導き出された結論が正しいわけない。
それは往々にしてバランスが悪く、筋の通っていない、何とも気持ちの悪い結論であるのが常です。
あるいは、結論ありきで繰り広げられる茶番であることもしばしば。
でも、それでいいんじゃないか、とも思うのです。
 
日本の会社で働いていた頃の悪夢を思い出します。
日本人同士が日本語で議論すると、何時間やっても結論が出ないんだな。
議論が噛み合っていないから?
いいえ、違います。むしろ逆で、ガッツリ噛み合っているんです。お互いに相手の主張を完璧に理解しているのです。日本語ネイティブ同士が日本語で話し合っているのだから。
しかし、完璧に理解できるからこそ反論もしやすく、完璧な合意を目指そうとするから延々と議論し続けてしまう。
で、結論保留の状態で「要検討」とか言って問題が先送りにされます。
 
正しくない結論が出るのと、永遠に結論が出ないのと、どっちがマシかな。
一概には言えませんね。でも、生きるか死ぬかの問題ならまだしも、たかがビジネスの意思決定なら、多少間違っていても結論を出すほうがマシだと思いませんか。
正しいか正しくないかは主観の問題だし、そもそも唯一の正しい答えなんて存在しないかもしれないんだし。
 
英語の議論とは、ネイティブとノンネイティブが混ざって、各々がロジカルっぽくしゃべくりながら、論点はヨレヨレ、議論は噛み合わないまま、でもなぜか終了時間には “結論” が出ているものです。
このモヤモヤにモヤモヤしない鈍感力と図太さこそが、グローバルビジネススキルなのかもしれませんね。

というわけで、Sayuriさん。
ビジネス英語ですらこれです。いわんや最も難しい日常英語においてをや。



この記事を書かせてくれた Sayuriさんの記事はこちら。


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