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期待できない相手との仕事はしんどいから…

ある人との仕事がうまく進まなかった原因に気づいてしまった。
そしたら、本当はたまっている事務仕事をするための時間にしようと思っていた週末を、その原因を考えてしまうことで時間を使ってしまった。

しようと思ってたことができなかった。
目的が達せられなかったゆえ、この週末の過ごし方を私は失敗した、と言うこともできる。
それに、「自分の感情に翻弄されて、やるべきことをしなかった」のは事実だ。
いつものこととはいえ、いつも通りに、軽くは凹みますよ。

しかし、
少し冷静に考えてみると、当初の目的は達成できなかったが、別の大事なことに気づけた時間になった。何よりもこの数ヶ月もやっとしてたことに心の折り合いをつけることができる時間になったので

人間万事塞翁が馬 というような大きなギフトを得た気分。

やろうと思ってた事務仕事を完了するという期待した結果は得られなかった。
けれど、わたしにしかできない内的な課題にしっかり向き合うことができた。とも捉えることができる。

つまり失敗はその人が期待した結果になってないだけ、ってことなんじゃね?と思うのだ。

だから、同じ結果を見ても、人によって失敗かそうでないのかの評価は変わってくる。

同じクラスのAさんとBさんが、同じテストで同じ点をとった場合、Aさんには大成功でも、Bさんには大失敗と思ったりする。
親の場合、子どもはよくできた!と思っても、親からしたら「この点数は何💢」という失敗評価になったりする。

しつこいが
意識的にでも無意識的にでも、期待に添えない結果になることが失敗なのだと私は捉えている。

さらに。
子どものテストが期待通りの結果にならないなど、他者に対する期待通りの成果がえられないと、相手に対する信頼がなくなっていき、その人に失望していくことになる。
勝手に期待して、これまた勝手に失望したりする。

同意をとった行動であっても、
ゴールのイメージにズレがあったり、そこにかける熱量や責任の取り方などの細かいことまで共有できてないことは、大抵、「あいつはダメだ」とか「使えない」とかって、ひどく失礼なことを言いながら、相手を低評価してしまうものだ。

こういう評価、私はけっこうな頻度でやってることに気づいたのは、一昨日の晩。
うすうす気づいてたけど、うわぁぁ(>_<)ってなりましたよ。

しかも。
ここ数ヶ月のモヤっは、雇用関係や業務委託とかが結ばれてない、有償ボランティア的な仕事についてなのだ。
だから、頼める仕事が、相手のできること、やってもいいと思ってることが基準になるから、モヤるのだ。

相手があまり興味なかったことをお願いしてたり、それをやる意味がわからんかったり、説明不足で不安で着手できなかったり等々、きっとお相手からしたらやれなかった理由がてんこ盛りだったんだと思う。
能力的にも適してないことだったようにも思うし、やりやすい頼み方とは真逆の方向でお願い間違してたのだと思う。  

なんてことを考えてたら、
じゃ、相手に期待しなきゃいいのかな? 
どうせやってくれないから相談はしない! とか、簡単なことだけやってもらうようにしたらいいのかしら? とか思ったんだよね。

ついでにさ、責任感の違いなのか優先順位の違いなのか、関わりや熱量なんかの違いにも、これまた勝手に期待してモヤモヤしていたらしいことに気づく(笑)

責任感ありすぎる私の基準で考えるのが、相手にしたらどえらい迷惑なんだよね。
人には人の大事なことがあって、私のやりたいことで、相手が主体的な抱えようとしてないことは頼んじゃアカンかった…なんて他者を尊重したい気持ちとの葛藤もあるもんだから、なんとも言えない気持ちになりましたのよ。

頑張ってくれてたのに、勝手に相手ならこのくらいできるのでは?とか、このくらい担ってほしいって、勝手な期待をしちゃったわけですよ。

だからさ、相手のためには、期待するのをやめるのがきっと良いこと。

だーけーど!
相手に期待しなくなる
って、ものすごーーい切ないような気がした。

相手に期待しなくしようと心を整理しようとすると、相手に対する気持ちや心理的な距離感がどんどん離れていくのを感じた。
期待するのをやめようと思うと、好きな相手ほど、グッとくるものがある。
私はその人のことを、そんな風には思いたくない。絶対に嫌だ!って思った。

そしたらさ、
あ、そっか、行動じゃなくて、その人のポテンシャルに期待すればいいんだ! その人のよりよくあろうとする力には期待できるのか✨って、閃いたんだよねぇ。

だってさ、その人から期待通りの結果が得られない経験したかもしれんけど、その人の存在はステキなのよ。
私が求めてないところで、めっちゃ有能なんだもん。それにさ、楽しいことたくさん一緒にしてきたし、これからもしたいんだもん!

ということは。
子どもとおんなじなんだよね。
子どもの生きる力には期待すると同じなんだよなぁって気づいたわけ。

相手のペースを尊重して共に歩めばいいのだ。

私が作っていく活動や組織の中で、その人はその人が出したい音を出してもらいながら、私もまた自分好みの調和するメロディを書いていけばいいんだなぁと思ったわけよ。

自分で考えて行動してくれた結果、不協和音になるのか、美しいハーモニーになるのからわからんけど、どんな奏者になるのかは私の決めることじゃない。

まあ、雇用関係や業務委託だとこんな緩いことは言わなくていいんだろうな。有償ボランティアだからこその悩み。そこを楽しめるオトナになろうと決めたよ。

とかとか思いつつ誕生した時間を迎えましたよ。

人への期待って、日常の至るところにもあるけど、貴方さまは、相手に対しての期待をやめてしまったこと、ありますか?

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