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日本の首相には意外にクリスチャンが多い . . . 戦前は原敬、戦後は吉田茂、片山哲、鳩山一郎、大平正芳、麻生太郎

挙式後、車に乗る新郎の麻生太郎氏と新婦の千賀子さん(鈴木善幸元首相の三女)
渋谷区の聖ドミニコ教会(1983年11月3日)
2009年7月8日からラクイラ(L'Aquila)で開催される主要8か国(G8)首脳会議参加のためイタリア入りした麻生太郎首相は7月7日、バチカン市国を訪問し、ローマ法王ベネディクト16世(Benedict XVI)と会談した。
2009年1月4日、伊勢神宮(三重県伊勢市)を参拝する
麻生太郎総理大臣、甘利明行革大臣、石破茂農水大臣
靖国神社に参拝する麻生太郎 副総理 兼 財務大臣
2013年4月21日

一つ前の記事『教会員が15年間市長を務める碧南市』で、無投票で当選(4選目)され壇上に立つ市長の背後に神棚が映っていたことにふれましたが

選挙事務所の神棚に祀られていたのは(天の父母様ではない)神様

人口比(異端とされる新宗教・新興宗教を除き1%?)よりキリスト教徒の比率が高いと言われるクリスチャンの国会議員や地方議会議員の選挙事務所では珍しくない光景のようです。

(前略)

「母方の曽祖父が新島襄(クリスチャンの教育者。同志社大を創立)の愛弟子でね。私も母に連れられて幼いころから教会に通い、18歳で洗礼を受けました。浄土宗は父方です。檀家ということで浄光会の会員になっていますが、私自身はクリスチャンです

(中略)

 「キリスト教の神です。私たちは唯一神、絶対神という立場です。『八百万の神』という考えは取りません。とはいえ欧米のクリスチャンの政治家とも、私は少し心情が違うと思う」

 どういうことか。石破さんは一語一語、思索をまとめ、言葉を絞り出すように話し始めた。

 「……宗教は、本当は厳しいものです。私は世俗的な政治家です。こういう仕事では、選挙で神式で必勝祈願をし、クリスマスにはクリスチャンとして祈りをささげ、初詣には神社に行く。本当は良くない。良くないが、さっきも言った通り、欧米キリスト教国の政治家とは違うのだ、と自己弁明をしているんです」

(後略)

キリスト教徒でもないのに国内外のチャペルで結婚式をあげるカップルとは反対の状況ですが、大和朝廷が仏教を輸入して以来、神々と仏が遍在する日本においては、明治初期に神仏分離の勢いが余って拡がった廃仏毀釈運動が終息した後、特に終戦後・占領後、市民は宗教に寛容(神仏に頼る困った時を除いては無関心)です。例えば、クリスマスと大晦日(除夜の鐘)と正月三が日(初詣)が並ぶ年末年始、市民はイエスと仏様と八百万の神々を次々に梯子します。また、上皇陛下が退位されるまで12月23日は天皇誕生日でした。

この話題に関連して、次の記事が目に留まりました。

(前略)

実は、日本の首相には意外にクリスチャンが多い。判明しているだけでも、戦前では原敬、戦後では吉田茂片山哲鳩山一郎大平正芳、細川護熙、麻生太郎、鳩山由紀夫。戦前、戦後を通して首相の数は計62人。約13%の割合であり、日本全体の対人口比1%弱に比べるとかなり高い。

宗教学者の島田裕巳氏が解説する。

「キリスト教が入ってきた時には上流階級の人たちが関心を持った。内村鑑三が勢力を広げた『無教会派』も東大系の教授などの知識人や富裕層で感化された人たちが多かった。こういった歴史もあって政界や財界に信者が多いのです。」

      首相在任期間
原敬    1918年9月29日 - 1921年11月4日  カトリック
高橋是清  1921年11月13日 - 1922年6月12日 プロテスタント?
                  (洗礼を受けた記録はない)
吉田茂   1946年5月22日 - 1947年5月24日  カトリック
      1948年10月15日 - 1954年12月10日(没後に洗礼)
(洗礼名 ヨゼフ・トマス・モア、戒名 叡光院殿徹誉明徳素匯大居士)
片山哲   1947年5月24日 - 1948年3月10日  プロテスタント
鳩山一郎  1954年12月10日 - 1956年12月23日 プロテスタント
                  (かつ、フリーメーソン)
大平正芳  1978年12月7日 - 1980年6月12日  プロテスタント
細川護熙  1993年8月9日 - 1994年4月28日   学校教育のみ
麻生太郎  2008年9月24日 - 2009年9月16日  カトリック

(前略)

私は残念ながらクリスチャンではないが、祖父の鳩山一郎が毎月のように讃美歌を歌うために親戚を集めて、鳩山会館で歌っていた。そのことを懐かしく思います。」

(後略)

教祖が救世主を自称する旧統一教会等とは異なり、日本国内ではカトリックもプロテスタントも政治活動を殆ど行なわないので、首相がクリスチャンであっても、国政や外交に影響はありません。

一方、冷戦終結後に増加した紛争や戦争の背景にキリスト教・イスラーム・ユダヤ教をはじめとする宗教対立が存在することは明らかですが、経済的・政治的・軍事的に追い込まれた人々は平均的な日本人のように異文化・異宗教に対して呑気に構えることはできないようです。(日本人も外国人に対して、過去も現在も、寛容であった・あるとは必ずしも言えませんが...)

米国のキリスト教福音派にも支持されながら、ユダヤ教とイスラームが何十年にも渡って衝突を続けるイスラエル・パレスチナにしても、ウクライナ正教徒とロシア正教徒が戦い続けるウクライナにしても、宗教が平和をもたらすことがこれ迄あったのか、この先ありえるのか、疑念ばかり膨らみます。


選挙運動中の1980年6月12日、心筋梗塞により不帰の人となった。享年70歳。聖公会のクリスチャンであったため、葬儀は立教学院諸聖徒礼拝堂で営まれた。また、7月9日に内閣・自民党合同葬儀が日本武道館で行われた。現職総理大臣の葬儀のため、カーター大統領や華国鋒首相をはじめ、108ヵ国の代表が参列した。

「大平さんの人格や考え方の基礎を作ったキリスト教洗礼については、もっと調べて掘り下げんといかんなぁー」(Y)  確かに日経新聞「私の履歴書」にもキリスト教についての記述は少ない。大平正芳の弱者を思いやる気持ち、心地よい言葉だけに頼らない正直...

Posted by 大平正芳記念館 on Sunday, February 14, 2016
私人として、春の例大祭の靖国神社を訪れた大平正芳首相(写真中央)。A級戦犯の合祀(ごうし)が判明した1979年4月以降も大平、鈴木善幸、中曽根康弘の各首相が例大祭などに合わせて参拝したが、戦後40年に当たる1985年に中曽根氏が首相としての参拝を公言するまで外交問題になることはなかった。(1979年4月21日) 【時事通信社】


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