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息子を泣かしてしまった

ちょっとした悪ふざけのつもりだった。

「なーんだよー」なんて、ちょっと笑いあえるような時間を設けたいと思っただけで、そんなに追い詰めるつもりもなかった。

ぼくは長男を泣かしたが、初めてではない。ふざけすぎてしまった長男を叱ることもあるし、ちょっと怖い話を本格的に演じすぎたために、本気で怖がらせすぎた結果、泣かせてしまったことも一度ではない。

初めてではないのだけれど、今回のケースは大いに反省することがあった。

そうだ。ちょっと話が変わる。

ぼくは「叱る」ことを良いことだとはまったく思えていない。

大人だって「叱る」ことと「怒る」ことの区別なんて出来ていないし、その瞬間に感情的になって声を荒げることがほとんどだ。

ちょっと自分が目の前にいる子どもに対して年齢が上で、体格も大きくて、経験していることも多いから、それに胡座(あぐら)をかき、マウンティングしているだけだな場合も少なくないのではないか。

長男が5歳になり、さまざまなことを感じ、言葉にすることができるようになってきたからこそ、そんなことを強く、深く、受け止めざるを得ないし、痛感している。

つまり、ぼくたち(ぼくと妻)は工夫をしなければならない。

声を荒げるのではなく、感情に任せるでもなく、ただひたすらに、息子という人格と、起こした行動や行為に対して、平穏な気持ちで向き合うことが必要なのだ。

難しいのはわかっている。

状況的に子どもが複数名いれば、その分だけ割かなければならない大人の目の数が少ない以上、フル回転させ、同時に家事タスクを並行処理しなければならない。

その中で予測不可能な動きをされることや、想定以下の行動や行為を取られることが辛くなってしまうことは往々にしてある。そう、確かにある。

けど、悪気があってするのではないことも、仕組みを構築できていない大人たちのせいであることも、その瞬間に吹き飛んでしまう事も、ぼくは理解できるし、気持ちは良くわかる。

わかるのだけれど、それだけでは関係を構築するには足りない。

大人だって、いつでも感情の起伏だけで自分以外の他人を動かそうとしてしまう人に、あまり近づきたくはないと感じることと一緒ではないか。

「親だから」とか「家族だから」という理由で子どもに甘えるのにも限度がある。そう、それは大人が子どもに甘えていることの証左だ。それに自覚を持てないのであれば、それは親でも何でもない。むしろ子どもだ。

それを自覚する必要があるし、「叱る」という行為を自然とできてしまうような人間でいたくはない。

そんな前提のもと、以下、今回の主題に入ろう。

泣かした経緯はこうだ。

ぼくが帰宅するなり、キチンと向き合って話をする際に取るのと同じ態度で、長男と次男を呼び、面前に座ってもらった。

ジッとぼくの目を見る長男と、そっちこっち見ながらも、たまにぼくと目を合わせる次男。

「何をいわれるのだろう」「どんな話だろう」そんな少しだけ緊張している様子が伺える。

ぼく「今日でお別れなんだ。」

長男「えっ、なんで!?」
次男「なんで~(ニコッ)」

長男「ママ~!!今日でお別れだって!なんで!?どうして!?」

そんな風に慌てふためきはじめ、母親の元へ行き、説明を求めるものの、父親に聞けと返された長男。次の瞬間には、すぐそばに来て目に涙を浮かべながら、彼はこう切り出した。

長男「どうして?どうして今日でお別れなの?お別れしなきゃならないのはイヤだ。だから、なんで?」

これはちょっとダメージが大きすぎたようだ。もう切り上げてあげないと引きずりそうだと判断し、早々に理由を述べる。

理由はない。ただ、2月が終わるから2月のぼく(父親)とはお別れで、寝ておきたら3月だから新しいぼくになるんだ、という設定。

もう5歳になっていたし、ある程度母親とカレンダーをみながら日程についてあーでもないこーでもないとやっていたのをみていたこともあり、そんなことを思いついたのだ。

ぼく「今日で2月が終わりだから、お別れなんだよ。けどね、寝ておきたら、3月がはじまるから、そこからまた一緒だよ~!」

テキストにしてみると情けないぐらいに、どうしようもない内容でイヤになるが、仕方ない。事実だ。

ネタばらしをしたから、これで長男も安心してくれるだろう。

甘かった。

そこから夕飯を共にしたのだが、隣に座ってビタッと離れない。

なぜか、笑顔を、そう、ひたすら笑顔でいようとする。

そして彼はこういった。

長男「一緒にさ、映画観に行ったの、うれしかったよ!」

ぼく「そうだね、たのしかったね!あの映画はおもしろかったね!」

長男「でさ、一緒にパンケーキつくったのもさ、うれしかったんだよ!」

ぼく「そうだね、一緒につくったね。上手にできてたよねぇ。」

長男「でさ、でさ...$%&’)’(&’(~~~~~!!!!!」

もう、言葉にならない言葉を泣きじゃくりながらも何とか紡ぎ出しつつ、ぼくに向かって楽しかった思い出をひたすらぶつけてくる。

先ほど説明した「設定」など、彼の中にはまったく入っておらず、彼の中には「父親といれるのは今日が最後」だという認識だけになっていた。

彼は親のぼくがいうのもなんだけど、やさしく、いわゆる正義感みたいなものが強い。このままで行くのであれば、恐らく、ちょっと悪知恵が働く人間との間に軋轢が生じるだろうという想像が難くないぐらいにまっすぐだ。

そのまっすぐ度合いを知っていたはずなのに、見誤った。完全にぼくのミスだし、本当にくだらないことで彼のことを傷つけてしまったコトを深く反省した。

その様子を見ていた、純粋な息子を弄(もてあそ)ばれた母親(妻)が述べた一言で締めよう。

許さないからな

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