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自分が何を意識し、どう生きているのか。

 普段、みなさんは何を意識して過ごしてますでしょう。

 朝起きて、仕事へ行き、帰ってきて、風呂に入り、そして寝る。1日の中でも「したいこと」「できること」「やるべきこと」がいくつも重なっている中で、優先順位をつけながら過ごしているんでしょうが、その中で何を考えてますか。

 なんでこんな書き出しをしてるのかと言えば、ぼくは過去に精神的に病んでしまった時期があるのですが、その時は"朝起きる"なんて何気ない一つでも必死にならなければできないような状態になったことがあり、それを時々思い出すからで、今回は、その"何気ない日常"に何を考えているのか、考えたらいいのかなぁ、なんて考えてみようと思います。

 先ほどの病んでしまった時期のことを言えば、朝起きるのがツラいのではなくて、"朝が来ること自体"がツラかったんですね。望まないのに、睡眠が浅くなり、昼夜が逆転しているのなんて当然ながらも、自分以外の時間は逆転していない中だとコミュニケーションの取りようがなくなってしまいますから、そこでまた自己嫌悪に陥るんですね。

 「自分が体調を崩してしまったから家族とコミュニケーションが取れなくなってしまったんだ」

 「なんてダメな人間なんだ、自分は」

 「こんなダメな自分を子どもたちに見せたくないし、見た状態で何を思うのかが怖い」

 「何よりも妻が自分のことをなんて思ってるんだろうか。ダメな夫だとか、クソ野郎だなんて思われていたら......」

 これらはあくまでも一例でしたが、家族との間でも、生活リズムが崩れ出すと、面と向かってのコミュニケーションが取りづらくなるため、勝手な被害妄想的な思考に陥りやすく、かなりネガティブな精神状態に落ちて行きました。

 幸いなことに、妻や子どもたちはとてもあたたかく接してくれたこともあり、比較的長期化しやすい疾患だったにもかかわらず、短い時間で回復を果たせたと思います。

 だから、なんて訳ではありませんが、家族には本当に感謝していますし、ありがたい存在なのだと痛感した時期を経験したこともあり、日々の中で意識することと言ったら、自分の心身両面に対して健全性を保つこと。それと同様に、自分と共に生活をしてくれる家族たちの心身の健全性を保つこと。これに可能な限り意識を向けています。

 こんな風に話したり書いたりすると、ぼくは非常に家族想いの優しい人間なんだと接してくださる方もいらっしゃるのですが、実際にそうなのかどうかはぼくに判断はできません。しかし、ぼくが心底ツラく、しんどい時期にも離れずにそばで支えてくれたのは妻であり、子どもたちなのは変わりようのない事実ですから、彼らに対しての感謝を行動に反映させようと思えば、彼らの健全性をどう保つのかを考えることが優先されます。

 ぼくと妻は仕事をしているため、3名の子どもたちは保育園へ通ってもらっていますが、この段階で、彼らとの時間が日々の中で限られることが決まる訳です。

 彼らが目を覚まし、朝食を食べ、登園するまでの時間がだいたい1.5時間、起きるのが遅くなったりして短くなれば1時間。そして、保育園から帰ってきて、夕食を食べ、お風呂へ入り、寝るまでの時間で、ぼくが帰ってきて共にできるのは2時間〜3時間程度。

 合計するとぼくが彼らと過ごせるのは3.5時間〜4.5時間となる訳ですが、この時間の中でいかにしてコミュニケーションをとっていくのか、話を聴き出せるのか、共に遊べるのか。日々、大きな課題感を感じています。

 それと同様に妻とのコミュニケーションや、ケアに関しても考え続けているものの、うまくできているのかどうかが難しいですが、上記の時間の中にプラスして0.5時間や1時間の中でよく話をし、認識にズレがあったり、言っていることに齟齬が生じた場合に、それを埋めるような時間を設けるようにしています。

 こんな風に見てみると、いわゆる「家族時間」は4時間、長くても5.5時間ほど。これが長いのか短いのかは、それぞれの生活時間が異なりますから一概には評価できません。しかし、ぼくとしては短いと感じてしまっていて、時間がいくらあっても足りないとすら感じています。

 どうして足りないと感じるのか。それは、子どもたちとの時間が「期間限定」だと認識しているからで、自律や自立が何を持ってそれなのかを判断するのは難しいですが、いずれ来るものだとして、短ければ生まれてから共に過ごせるのは12年ほどだと思っていて、そうなると長男とは10年もありません。

 そして、それを共有する妻との時間も同様で、「夫婦の時間」とは別の「子どもたちとの時間」が期間限定ものだとしたら、夫婦間で彼らに対しての接し方などで思い悩み、喜び、笑うなど、彼らを見た感情を共有する時間がドンドンとなくなっていくような感覚に陥っています。

 仕事をどうでもいいとは思っていませんが、家族を差し置いて仕事を優先することはありません。身銭を稼ぐ必要があるのは仕方がありませんから、どうにかして生活費を稼ごうとは思いますし、それを「イヤイヤやっている姿勢」は子どもたちに見せたいとは思っていません。真剣に取り組んでいることを見せたいとは思っていますが、いざ、仕事か家族かと問われれば、間違いなく家族を優先させますし、そうであるべきだとも思ってます。

 自分がこんなに家族のことを優先したいと思えるようになったのは、自分でも驚いていますし、なるとは思っていませんでした。しかし、他人の集合体である家族って、相手のことをきちんと考えたり、理解する努力をしないといけないんだと気づいた頃から、ものすごく貴重で大切な存在なのだと思えています。

 「一緒にいるから」ではなく「もっと一緒にいるために」どう過ごすのか。そんなことを考えて過ごしてます。


ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。

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