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「働かないおじさん」と「働きたくないおじさん」は異なる存在だ

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

東洋経済で働かないおじさん特集が出ていました。

ぼく自身、おじさんであることを自覚していますし、こうやってnoteを書く際にもわざわざ「おじさん」と自称するようにしています。これは意識的に行っているもので、自虐的に書いていることもありますが、それと同時に「いつまでも若くないし、年齢相応の態度を取ろうね」って意味を込めているものです。

年齢が重なってきているのに、いつまでも着ている服が奇抜なものだったり、ヨボヨボの体をしているのに露出が高かったりすると、ぼくの価値観においては「痛い」んですよね。

さすがに社会から断絶された仙人のような存在にはなりたいとは思わないし、社会から孤立することはどうしたって避けたいので、社会に馴染めるよう、溶けこめるよう、何とか冷静に自我を保っているのだと理解してください。

東洋経済の記事内では、マスメディアやソーシャルメディア上で広くラベリングされている中高年従業員が働かないくせに高給をはらんでいることに対する批判や揶揄とする「働かないおじさん」について考察する記事なわけですが、働かないおじさんたちは批判や揶揄に反発したく、そういったラベリングは不当で理不尽なものであるとするアンケートも紹介されています。

その一方で、回答者の中には「甘んじて受け入れる」といったサムライのようなおじさんたちも存在していることを示唆しており、年齢が嵩んでしまうことによって動かなくなる身体と精神に絶望しつつ、かつては「ああはなりたくないものだ」と蔑視していたおじさんたちに成り下がってしまったことを認めている人たちもいるのです。

働かないおじさんとは

そもそも働かないおじさんとはどういう人のことなのでしょう。

ここからは完全に主観で書いていきますので、ご批判は承りませんのでご了承ください。

いもを丁寧にいうと「おいも」です。

働かないおじさんの特徴として、まずは年齢が重なってしまったことや健康問題による体力の低下にはじまり、新たな技術などへの適応ができないなど、能力や状況の制約を受けていることによって十分に働けない状態にあるのではないでしょうか。

さらに、若い頃には積極的に安月給でもがんばって働いてきたのに、それが祟って燃え尽きてしまい、モチベーションが大きく低下していることも影響していることでしょう。

他にも、ドンドンと進化する技術や時代に取り残されないよう、必死に組織は改変や適応をしようとする中で要求される役割が、過去の経験やスキル、知識を動員しても追いつけなくなってしまった、なんてことも考えられます。

当人の問題はあるでしょうが、取り巻く環境に取り残されてしまっていたり、若い頃のモーレツな働き方が祟ってしまっている、なんてことから、割と同情すべき対象だと見るべきなのかもしれません。

働きたくないおじさんとは

一方、働きたくないおじさんもいるのは確かです。

組織が大きくなればなるほどに所属する人数も多くなるでしょうから、その多くいる従業員の中には「働かない」のではなく「働きたくない」と明言するような人もいるはずです。

根本的な話をすれば、ぼくだって仕事なんてしたくありません。ゆっくりと悠々自適にトロピカルジュースでも飲みながら冬の日本海の砂浜でビーチパラソルでも広げつつ、毛布に身を包んで過ごせるものであれば過ごしたいものです。

働きたくないおじさんの特徴といえば、何よりもその動機のなさでしょう。

そこに明確な理由なんてありません。単純に「仕事をしたくない。けれどお金は欲しい」といった打算も何もなく、ただただお金が欲しいがために生活残業をし、ダラダラと何をするわけでもなく高給をはらもうとする態度を全面的に出してしまいます。

また、自分の人生を大事にしたいと思っているからか、仕事への情熱など持ち合わせていません。冷静に、いや、冷酷なまでに仕事への情熱を無くし、その分、余暇時間に向けて仕事時間のうちから徐々に熱を高めていくような姿勢でいることも想像できます。主従逆転ってやつです。

「働きたくない」からこそ効率的になる人も

しかし、働きたくないおじさんも二通りに分かれるでしょう。

「本当に働きたくないと考えていて本当に働かない人」と「本当に働きたくないと考えているから効率的に働こうとする人」。

前者はこれまでに触れてきた人のことを指しますが、後者は全く異なります。

いわゆるエンジニアと呼ばれる人たちに多い傾向にあるでしょうが、とにかく働きたくない、楽に仕事したい、面倒くさい…などとネガティブな感情を抱いているからこそ、少しでも自分が楽をするために効率化・自動化しようと試みるわけです。

一見すると、同じような感情の発露のように見えますが、その効率性と生産性は圧倒的に異なるのは一目瞭然でしょう。

働きたくない、といった感情を持ちながらも、それを前向きなエネルギーに転換できる人は、きっとどこの職場に行ったとしても重宝される存在になるでしょうが、本当に働かない人は、きっとどこに行っても働きたく…いや、そもそも現在の環境にしがみつくことで精一杯なので、クビにでもならない限りは居座り続けることになるはず。

職場で白い目で見られることに耐えられなくなるような人は、きっと仕事を懸命にやろうとするでしょうが、働きたくないと考えているだけでなく本当に働かない人は見捨てられる一方なんでしょうね。

そうはなりたくないものです。

おわりに

シレッと、自分は仕事を効率的・生産性高くやっていこうと考えている側です、みたいな書き方をしてしまいましたが、ぼくの場合は「働きたくないと考えているけれど、効率的に楽をしようとしているくせに何もできない無能」ですから、余計に始末が悪い。

しかも、それを自覚しているもんだから、より一層面倒なやつってことになります。

みなさん、どうしたらいいでしょうか。助けてください。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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