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男根を脱構築する――80年代の絓秀実

1980年代と1920年代

 たまたま1980年代に出た絓秀実の『探偵のクリティック』を目にしたのだった。懐かしくなってぱらぱらと読み返してみると、当時の文化状況のことが思い出されてきた。まずは都市論があり、それと連動して1920年代論があった。さらにはフェミニズムやオリエンタリズム論が人文学分野を活気づけていた(エドワード・サイードの『オリエンタリズム』の邦訳が出るのが1986年のことで、「オリエンタリズム論」は90年代には「ポスト・コロニアリズム」という呼び名で批評界の一角を担うようになる)。

 今では耳にすることはまれになったが、当時は「ラビリンス」という言葉がやけにもてはやされていた(「流行語大賞」が創設されたのが1984年のことであり、新しい言葉を次々と追いかけ消費するという悪癖があった。「コンセプト」とか「元気が出る」とかそれさえ口にしておけば安心できるという妙な風潮があったのである。蓮實重彦の『物語批判序説』の世界ですな)。

 1980年代は、高度消費社会が全面開花した時期であり、消費のセンターである東京に異様ともいえるほどの羨望の眼差しが注がれていたのである。例えば田中康夫の『なんとなく、クリスタル』の青山、六本木があり、それの裏返しの埼玉差別があり、吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』があった。「ラビリンス」という言葉も東京を彩り、広告文化を活気づける言葉として出てきた。たんに「都市」というよりは「迷宮」といったほうが広告文化的には差別化を図れたのである。もちろんそこには、都市部の闇や政治的視線を逃れる自由の問題や市場の肉体性、といった興味深いテーマもあった。ただそれらは真摯に深められることはなく、たんに消費されて終わってしまった(こういう光景を何度繰り返し私たちは見せられたことだろう。「東日本大震災」も「これから日本は変わる」と言われながら不発に終わってしまった)。

 消費社会現象が浮かびあがると同時に、1920年代の話題、特にこの時代の大衆文化をリードした雑誌である『新青年』の話題がホットなものとしてせりあがって来た。1980年に創刊された都会派メンズ・マガジン『ブルータス』は、第2号で『新青年』を取り上げた。1984年には、『広告批評』の副編集長島森路子が「1920年代はアイデアの宝庫」と題して、この時代を「コピー新感覚の時代」「女の時代」「ソフィスティケーションの時代」と総括し80年代との共通点を見出した。こうした現象を前にして、文芸評論家の鈴木貞美は1984年に次のように書いた。

 この1980年代あたりから、都市大衆社会の空気の積極的享受の姿勢が風潮として明らかになりはじめると私には見えるのだが、そのとき同時にその故郷としての1920年代もクローズアップされはじめたようだ。

戦後的理念のくびき、あるいは現代小説の不幸

 なるほど第一次世界大戦による漁夫の利を得た日本は、「大正バブル」をむかえ、その好景気の中で都市文化が興隆し、その結果江戸川乱歩や谷崎潤一郎のような都市文化の担い手である都市遊民が大量に発生してきた。『新青年』の発行もそうした現象のひとつである。80年代のバブル日本の祖型は1920年代にあった。80年代に1920年代が注目されたのは、80年代が歴史的構造の中で1920年代を反復していたからにほかならない。だから90年代になると先鋭的な批評は1930年代に視線を注ぐようになる(柄谷行人の『戦前の思考』など。他にもバブル崩壊後の平成不況の中で、ワーキングプアの問題がせりあがって来るにつれ、プロレタリア文学が復活したりもした)。背景には景気60年周期説=コンドラチェフの波がある(60年ごとに歴史は構造的な反復をするというもの。ただし最近の柄谷行人は120年周期説をとっているようだ)。

征服ツールとしての知

 いささか前振りが長くなってしまったようだが、絓秀実の80年代の仕事の背景にはこのような状況があったのである。ここからはざっくり行こう。

 80年代の絓の批評には「男根」という言葉が頻出し、その批評の目的は「男根批判」であった。「乱歩の探偵的知はあくまで男根的であったのだ」(「AerO-Plane――稲垣足穂」)。「そのような批評は擬態としてではあれ男根を模倣せざるをえない」(「柄谷行人――恋愛の主題による変奏」)。このような発言が幾度となく繰り返される。このような発言の大きな枠組みとなる背景には、現代思想分野でしばしば口にされた「ファロサントリズム(男根中心主義)批判」がある。ニーチェを淵源とする、女は真理である、ゆえに男(哲学者)は男根によって真理(女)を所有しようとする、これはなんともけしからんことではないか、という形而上学批判(今や死語?)というやつですね。ニーチェの哲学批判をさらにパラフレーズしてゆけば、帝国主義は植民地を所有しようとする、西洋はオリエンタルを表象(支配)しようとする……といった具合に、学問や資本主義の暴力性があぶり出されるというわけだ。いうなれば絓の批評は新左翼していたのである。

 探偵の話に戻ろう。探偵もまた、真理(犯人・事件の真相)を目指すという姿勢において哲学者の変形ヴァージョンである。なんだかんだ言っても、探偵は最終的には読者の前に真理を披露するのであるから、その姿は弟子の前で真理を開陳する哲学者と変わらない。探偵もまた、知=権力装置の担い手の一人である。ただし探偵が正統的な知の担い手である警察と異なるのは、探偵が警察に比べてラビリンス=都市への対応能力に長けているという点にある。

 絓は、クラカウアーに倣って、近代およびポスト・近代の知の形態を、警察的知(レギュラーな知)と探偵的知(イレギュラーな知)のふたつに分類して、ベンヤミンやヘーゲルやウェーバーやデリダなどを総動員して一種の近代批判を企てているのだが、いま読み返してみると、ポストモダン現象と相当に共振していると感じられる。そもそも「探偵」なるものは「ギョーカイ人」(これも死語か?)とほとんど重なり合うと言ってよい。そこへ話を持っていく前に、警察的知(レギュラーな知)と探偵的知(イレギュラーな知)の性格を確認しておこう。探偵の出現は、すでに述べた1920年代=1980年代における消費都市の出現および都市の遊歩者(フラヌール)の登場とともにある。

 大都市と「群衆の人」を生み出した資本主義の高度化においては、警察というレギュラーな知によっては、もはや犯人を捕まえることはできない。犯人は警察の目を逃れる「群衆の人」であるからだ。資本主義を生み出したのが警察のレギュラーな知によって象徴される科学的合理主義であるにもかかわらず、それは自らが生み出した大都市の「群衆の人」によって否定されてしまうのである。このような事態に対応できるのは、自らも「群衆の人」の一人である探偵=遊民のイレギュラーな知のみなのだ。

「探偵のクリティック」

 江戸川乱歩(「東京の都市遊歩者」の意味が隠されている)が作り出したキャラクター明智小五郎はこのような遊民であった。定職を持たず喫茶店でぶらぶらしているいかがわしい書生じみた風体の明智のごとき存在が、「街路のディテイルにかくされた暗号を解読することができる」のである。

 さらに絓は、明智小五郎的知の担い手として、批評家の小林秀雄や吉本隆明を挙げている。神田をぶらぶら歩いていたさなかに「メルキュウル版の『地獄の季節』」と出会ったという有名な挿話や、「様々なる意匠」において同時代のあらゆる文学潮流を横断してみせたところなど、小林秀雄には遊民の風貌が垣間見える。一方の吉本隆明について言えば、上野界隈をぶらつく下町庶民の生活感覚や、『マス・イメージ論』に見られるサブカルチャーへと手を伸ばす身振りにイレギュラーな知の片鱗がうかがえる。そのような資質を持つことによって、小林も吉本も、同時代のマルクス主義文学や共産党に対して、彼らは距離を保つことができた。「当時のマルクス主義文学理論は、科学的合理主義を標榜するレギュラーな知であり、誤解を恐れずに言えば警察的知の模像であった」のに対し、例えば小林秀雄はレギュラーな知であるマルクス主義文学をプロレタリア文学者よりもよく読み込むことで、イレギュラーな知へと組み替えたのだった。

 とはいえ、警察的知と探偵的知は天と地ほどにかけ離れているわけでも対立しあっているわけでもない。両者は「事件を解決する」という仕事を請け負っているという点では同じ目的を共有し合っているのだから、補完する関係にある。遊民的探偵といえども労働に従事しているのだ。いかがわしい興行団体といえども利益を目指す点ではお堅い銀行員とかわらぬように。こうしたレギュラーな知とイレギュラーな知の避けられない癒着を、絓は、「禁欲的な遊民」という卓抜な比喩で喩えている。

 禁欲的な遊民とは、また何と奇妙な存在であろうか。この矛盾する在り方が、探偵をして警察との連続と断絶を徴づけていると言えようか。それはまた小林秀雄の批評に先行するプロレタリア文学との間の関係をも言いあらわしているものである。それは、資本主義の精神を維持しつつ壊しているのだ。

「探偵のクリティック」

 「資本主義の精神を維持しつつ壊」すこと。この矛盾こそ資本主義の原理であろう。もう少し詳しく言うなら、資本主義は、絶えず新陳代謝を行っていなければ資本主義そのものが終わってしまうがゆえに、それは真理というエンドを絶えず先延ばしに送らなければならず、そうであるがゆえに利潤が確保されるよう、たどり着いた目的地を壊しては再び構築するという永遠の自転車操業を続けているのである。事件が解決されてしまったら資本主義は運動を止めてしまうのである。そのためには真理=目標達成をずらしてゆくようなイレギュラーな知=探偵が是非とも必要とされるわけだ。とするならば、『探偵のクリティック』が書かれた1986年が、資本主義における構造転換の時期に当たっていたことが確認されよう。

産業資本主義からポスト産業資本主義へ

 ミハイル・ゴルバチョフがソビエト連邦共産党書記長に就任したのは1985年3月のことである。ソビエトがゴルバチョフのような人物を必要とせざるを得なかったのは、重厚長大な重工業が行き詰っていたからである。鉄鋼製造のような重厚長大な産業は、日本でそうであったように、資本を一点に集中投下する社会主義的な体制においてこそ発展する。経済学者の岩井克人は、このような資本主義を「産業資本主義」と呼んでいる。それは「機械制の大工場で大量生産すれば利益が自動的に生み出せた時代」(『資本主義から市民主義へ』)のことである。だがそれはやがて飽和点に達し、行き詰ってしまう。先進国はどこもそのような問題に直面した。1980年代前半、アメリカではシリコンバレーを中心にコンピューター産業が勢いづく。イギリスでは金融へと重心を傾け、シティが金融市場の中心地となる。先進国はこぞって軽薄短小的なハイテクノロジー産業へとシフトチェンジしていったのである。このようなソフト中心の形態を岩井克人は「ポスト産業資本主義」と呼ぶ。

 絓が分類した「警察的知」は「産業資本主義」に、「探偵的知」は「ポスト産業資本主義」に、それぞれ対応している。このような社会構造及びそれに伴う人間の価値観の変化は1950年代にすでにアメリカの社会学者たちによって指摘されていた。

 例えば、リースマンは『孤独な群集』において、アメリカ人の価値観を「伝統志向」「内部指向」「他人指向」に分類したうえで、1940年代までのアメリカ人は「内部指向」であったとする。その特徴は、内に向けては材と人間の生産の拡大、外に向けては探検、植民、帝国主義を目指すと定義している。産業的には製造業である。彼らは内面に確固たる価値観を有しており、頑固なセルフメイドマンというタイプであったが、1950年代には絶滅種となる。それに代わって登場するのが「他人指向」で、産業的には広告業界的であり、「真理」を目指すのではなくレーダーを張り巡らして、他者からの信号にたえず細心の注意を払うことにすべてが賭けられる。「空気を読む」ことに長けていることが求められるのだ。アメリカのSFでも同様な転換があった。物理学に依拠していたアイザック・アシモフの時代は50年代で終わり、広告業界的なフィリップ・K・ディックが登場する。ディックの作品はテレビ局や広告代理店のようなメディアに関わる人間が主役となる場合が多い。ディック作品は、実際、新聞、ラジオ、テレビ、偽書などメディアを主題としている。

 絓が『探偵のクリティック』で特権化した「探偵」はメディア人間なのである。「真理」を目指すのではなくレーダーを張り巡らして、他者からの信号にたえず細心の注意を払うことにすべてを賭けているのだ。職業的にはマーケティング関係者であり、ギョーカイ人的である。ポスト製造業の社会において最も求められた人材であった。ある意味優秀な体制順応者であった。そのことは絓も自覚しており、それゆえ、警察的知に回収される探偵的知の宿命を強調する。

 このことは、世界の再建への意志であり、遊民的知の半ば以上の放棄にほかならない。小林秀雄の批評は、徐々にレギュラーな知に接近していったのだ。それは、あらかじめレギュラーな知がないところに登場したイレギュラーな知の不幸であろうか。

 クラカウアーやベンヤミンと同様、花田清輝もまた、探偵小説が「高度資本主義国の経済的地盤の上に発生」したものであると指摘する。しかし花田清輝は探偵小説の遊民的知が、「金利生活者の精神」へと退化していくとも言うのである。

 昭和初年代に書かれた「一寸法師」や「蜘蛛男」の明智は、もはや都市の遊民(フラヌール)ではなく、アジアを股にかける帝国主義国家日本のスパイとして登場する。もちろんスパイという存在も探偵の転化した形ではあろう。しかし、それは限りなく警察に接近したあり方でもある。

「探偵のクリティック」

 こうして引用を並べてみると、「探偵」が1980年代においての「フリーター」に似ていることに気づく。それは大正期(1920年代)の経済的に余裕ある遊民に等しく、フリー=自由を謳歌した存在で、当時はけっこうもてはやされたものだった。そして国家なるものとテキトーな距離をとっていた。けれども昭和初年代(1930年代)になると、バブル崩壊後のグローバル経済下の不況期にあって、フリーターは非正規労働者へと転落し、国家による保護を求めるようになる。「自由だけど不安定」よりは「不自由だけど安定」こそ大切というわけだ。よってそれにともない国家の力は強化され、90年代からはネーションがせりあがって来た。私自身は国民国家を否定するつもりはないが(そもそも私は日本語でしか生きていけない)、国家と市民社会の距離が90年代以降バランスを逸していると、感じるところはある。大学における人文学の崩壊を見ていれば、探偵的知は息の根をとめられたと感じざるを得ない。理系における軍事との接近、科学文科省OBの大学への天下り問題など、経済的地盤が弱いところでの探偵のか弱さを痛感せざるを得ない。今や「警察官」は安定した公務員ということで大学生の間で大人気の職業である。

 1980年代、絓秀実は男根の直線性を盛んに批判していた。それは資本主義や国家の直線性批判を含意していた。資本主義の直線性そのものを否定することはできないだろうと、個人的には思うのだが、もう少し曲線というか余白の部分を社会に導入したほうがよかろうと思う。

 「主体」は英語で「subject」と言い、原意は「~に従属する」である。人は何かに従属することで主体を立ち上げる。たいていは原風景のようなものへの忠誠により、人は主体となる。例えば、芸術に感動することで、その風景、芸術空間のようなものへの従属が芸術的主体を立ち上げる。もちろん国家に従属する場合もある。あるいは市場へと従属する場合もあろう。現在の日本の風景は、国家と市場ばかりから構成されているように感じられる(経済の縮小ぶりや開けぬ未来への展望という状況からすると致し方ないとも言えるが)。ボヘミアン的な探偵が路地裏をうろついている風景が妙に懐かしい。ネーションとマーケットとは異なる風景の創設が必要だと感じる。

 江戸川乱歩の話題であったので、1972年にNHKが放映した『明知探偵事務所』のテーマ・ソングを。これはなかなかのアート作品で、1年間放映予定だったものが、あまりの視聴率の低さに半年で打ち切りになった。当時私はポプラ社の「少年探偵シリーズ」に夢中な小学生で、ゆえに、この番組を張り切ってみていたが、サイケデリックすぎて(オープニングのタイトルバックは横尾忠則だったらしい)、いつも複雑な気持ちになった。テーマソングは好きだった。この2年後に放映された『帽子とひまわり』という弁護士ドラマのテーマソングも好きだった(こちらのドラマはけっこう面白かった)。

 1980年代の話題なので、80年代の音楽を。とはいえ、あまりに作品数が多すぎて、選ぶのはほとんど不可能だが、2曲だけ。まずはWomack&Womackの「Teardrops」。90年代を先取りするような汗臭くない、クールなところが気に入ってる。じっさいこの曲は長らく90年代の曲だと思っていた。

 次いで、こちらは逆に汗臭いアレクサンダー・オニールとシェレールの「Never Knew Love Like This」。アレクサンダー・オニールは日本風に言うと昭和の匂いがぷんぷんする。声や歌い方が過剰で、松崎しげると重なるところがある。2020年代にはこのような歌い手はなかなか見当たらない。


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