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30歳になったので、20代を振り返ってみた。

ついについに30代の仲間入り。大げさなのは承知の上で、なんだか世界が変わったかのような期待感と高揚感。10の位が変わることにとてもワクワクしています。

ということで、節目だ節目。ここぞとばかりに自分語りをしようじゃないかと、20代の10年間をざっくりと振り返ってみることに。いつか伏線回収できたらいいなの気持ちで書きました。

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2014~16年 20~22歳 陸上部マネージャー

やったこともない陸上部のマネージャーをしていた頃(中高は吹奏楽部)。サークルの雰囲気は自分には合わない気がしたし、「よし。スポーツの世界だ!勝負の世界を知ろう!」となぜだか大学で陸上部に入部した。ルールも何もかもわからなかったけれど、4年間やりきった。全国で戦えるガチなチームだと知ったのは入部してから。おかげでスポーツの世界(本気)は見ることができたし、何も知らないやつだったけれど一緒に戦わせてもらった。スポーツの中で陸上が一番かっこいいと思っている。

2017年 23歳 就職&転職

新卒で入社したのは、大阪の広告代理店だった。“社会人”に期待しすぎていた分、そのギャップに納得がいかなかったのだと思う。半年で辞めてしまった。その年、家族のいざこざもあり、周りを見る余裕もなければお金もないし、そんななかで「よく頑張った」と言ってあげたい社会人1年目。そして周りに迷惑もかけた1年目。働きながらこっそり転職活動をして、逃げるように岡山に戻った。次に入社したのは、現在も働く編集プロダクション。

2018年 24歳 ライター・編集への挑戦

「手に職をつけたい」と、ライターの職を選んだ。お金をいただきながら、ライター修行をさせてもらうというありがたい環境。とはいえ、やっぱり千本ノックのように毎日書いて、直して、の繰り返しはとてもきつかった。何もできないから便利な人になろうと、この時にスピードだけは真っ先に身につけた。ちなみに、この頃は岡山に友達がいなくて、毎月のように大阪に遊びに行っていた。劇場に通うほど、お笑いにハマっていたとき。

2019~2020年 25~26歳 コロナ禍記憶なし

この2年の記憶はほとんどないのだけど、多分無感情で仕事をしていたのだと思う。スケジュールを見ても、ほとんど予定が入っていなかった。ただ、コロナ禍で大阪に遊びに行けなくなって、自分の世界があまりにも狭いことに危機感を感じた。そこで、少しずつ主流になっていたライターのオンライン講座に参加。電通のコピーライターの阿部広太郎さんの講座を受けて、主宰されている「企画メシ」という連続講座を知り、久々に熱い気持ちになりすぐに申し込みをした。

2021年 27歳 企画メシに参加

このへんから活発に動くようになったので、「企画メシ」への参加は間違いなくターニングポイントだった。コミュニケーションにあまり自信がなかったので人間関係を広げるタイプではなかったけれど、「自分って人と出会いたかったんだ」と知った。企画メシでは、半年間みんなで泣いたり笑ったりもがいたり。大人の青春を過ごした。そのおかげでオンライン開催だったのに全国各地に友達ができて、今でも何かと企画しては一緒に遊ぶ人たちと出会えた。熱量が高い人たちばかりので、企画生(=受講生)の存在は私自身が頑張る理由になっている。あと、「それおもしろいね!」と思うポイントが似ている人たちに出会えたのも間違いなく財産だと思う。

2022年 28歳 転職活動のつもりが友達作り

企画メシで勢いがついて「転職しよう!」と、東京に出ることも考えた。けれど、結局採用されることはなく、勢いだけで動いていたのでもう一度ちゃんと考えようと転職は一旦保留に。ただ、転職活動の一環(?)で、「岡山で友達を作ろう」ということになって、縁あってコミュニティに顔を出させてもらったり、謎のガールズバーに行ってみたり(もちろん客として)。誘われたらとりあえず全部行く人になってみた。ぶわっと出会いが広がるという初めての経験。変な出会いももちろんあったけれど。なんだか岡山を好きになれた気がした。

それから「転職」がずっと頭の片隅にあったので、もう一度きちんと学び直そうと宣伝会議の「編集・ライター養成講座」を受講。初めて上司以外の人に自分の文章を添削してもらい、ちょこっとだけ視野が広くなった。あとすごいライターや編集者がたくさんいることをしっかりとがっつりと実感して、「自分は一体、今まで何をしてきたんだ」と正直とても凹んだ。でも知れてよかった。あれは、外に出たから知ることができた感覚だった。

2023年 29歳 玉野に引っ越し&産業カウンセラーへの挑戦

岡山に戻ってからはずっと実家に住んでいたので、いつか出ようと思い続けて数年。瀬戸芸を経て、宇野(玉野市)は移住者が多く、おもしろいまちだと知った。海の近くに住んでみたいという気持ちもあったので、「引っ越すならここかな~」とぼんやりと思っていた。そしてきっかけが重なり、勢いで引っ越し。理想の間取りの部屋で海を眺めながらハーブを育てて、友達に「余生やん」と言われるような暮らしをしている。

さらに、宇野ではラジオ体操に参加したり、お気に入りのお店に通ったり(あんまりできてないけれど)、お仕事をいただいたり(!)。岡山市内に住んでいるときにはありえなかった「まちの人とのつながり」を感じている。好き嫌いはあると思うけれど、私はこの緩いつながりが好きだし、何より皆さん良い人たちばかりで引っ越してよかったと思えている。私は県内からの引っ越しで、岡山市内で仕事をしているし、移住者ともいえない。そんな何者でもない私をすっと受け入れてくれたまち(人)だった。

もう一つ、挑戦したい気持ちがあって「産業カウンセラー」の資格を取ることを決めた。今、まさに養成講座の真っ最中で、これまでにない迷子状態になりながら頑張っている。

話を聞いてくれる人がいるだけで救われることはあると思うし、深く息ができる場所になれたらいいなぁという想いは、講座を受けることでうんと強くなった。ライターとカウンセラー=「かく人ときく人」の2軸で働けたらいいなとぼんやり考えているけれど、果たしてそれで生活ができるのかわからなさすぎて、資格が取れたら考える予定。また、ぐっと勇気を使うときが来ると思うので、それまでは勇気を溜めておこうと思う。

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グッバイ!サンキュー!20代!

20代前半は今考えるとコロナもあってなんだか孤独な数年間だった。ただその反面、20代の最後の3年間は怒涛で楽しかった。何かと立ち向かっていた気はするけれど、その分好きな人たちに出会い、これまでの繋がりも大切にしながら、満ち足りた時間を過ごせたと思う。30代にどうつながるかわからないけれど、伏線は引けたような引けていないような。

10年間を振り返ってみて、「これをやれば変化するはず…!」とか”未来への期待”を常に持っていたかったのだなと感じた。だから、大きく変わったわけではないけれど、少しずつ少しずつ見たい未来に向けて常に軌道修正をし続けている感じ。なぜ現状に満足しないのかという謎は深いけれど、とにかく何かに期待していたかったのだと思う。今を肯定したうえで、未来に期待できるようになるのが今後の目標かな。

それとひとつ気づいたのが、自分のなかでは遠くの方にあると思っている「憧れ」は、手を伸ばせば意外と手に入ることが多いということ。手を伸ばす勇気、それを欲しいと決めることが大切なのだと知った。

とっても楽しみな30代

20代はとにかく自分のためにガムシャラに、ただただ自分が納得できることだけをやってきたし今でもそうだ。ただ、ある番組でパンサーの向井さんが「40代を過ぎると自分のために頑張れなくなる。だから家族が必要なんだと気づいた」と言っていて、なぜだか妙に納得できた。その感覚はまだ実感としては湧かないけれど、家族を作ることは30代の大きな目標にしたい。

というわけで、30代はライフステージ(という言葉はあまり好きではないが)を変えること、仕事の仕方を変えること。点ではなく線を意識して、続けることをイメージして、選択をしていきたいと思う。

それから、歳をとることをいつまでも楽しみでいたいと思っている。もちろん「うぅ‥!やめて…!」と耳をふさぎたくなるような瞬間はあるけれど、それでも人生は続くわけで、楽しみでいた方がきっと楽しい人生になると思うのだ(強引)。

またいつか会えたら

自分の道を歩いていると、いつの間にか他の人の道と交差していて、出会って別れて、また出会って…をずっと繰り返しているなぁと思う。縁をぐいっと引き寄せて、確実に自分のものにする人を見ると「すげぇ~」と思うけれど、私はそういうのがとても苦手だ。多分これからもたまたま出会った人たちとのご縁を面白がって、また自分の道を歩き続けるんだろうなと思う。

それに「ご縁があればまた会えるわ」と祖母に言われたことがある。だからどんな人にも、またいつかどこかで会えたらそのときはよろしく。という気持ちでいる。

「はじめまして」がたくさんあった20代。30代は「また会えたね」があるといいな。あとはご縁まかせで。またいつか会えたら。30代の私もどうぞよろしくお願いします。


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