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元旦におばあちゃんをスライディングキャッチした話。

今年の元旦のことだ。兄の家に親戚一同で集まり、おせちを食べながら賑やかに過ごした。ひと段落したタイミングで地震の速報が鳴り響き、空気は変わる。ただ静かにそれぞれが携帯を握りしめて、じっとテレビを見つめる元旦となった。

ソワソワとした気持ちのまま、「そろそろ帰ろう」と母の車で祖父母を家まで送り届けた。家は団地の1階で、玄関までに10段ほどの階段を上る。せっかちな祖父は私が車を降りるときには、もうすでに階段を上りきる。祖母は自力で歩けるとはいえ、随分と体を動かすのが不自由になった。車の扉の前で祖母のカバンを受け取ろうとすると、祖母は「みやげっ屁じゃ」と車を降りる瞬間におならをして私と母を笑わせた。

私はケラケラと笑いながらトランクに積んでいた荷物を整理し、祖母は杖を片手に階段を上っている。

…と思っていたが、「わ~」という小さな悲鳴が聞こえる。祖母が階段の上の方からゆっくりと落ちてきていたのだ。

私は荷物を放り投げて祖母の方へと走った。そして、祖母の体の下に自分の体を滑り込ませて、頭を抱きかかえた。というか気づいたらその状態になっていた。考える前に、もうすでに体が動いていたのだ。人生初のスライディングキャッチ。想像ではスライディングキャッチは怖いものと思っていたけれど、いざとなったらできるらしい。それに、床はコンクリートだったけれど意外と痛くなかった。

呼吸が荒くなり、プチパニックの祖母は「痛い。頭を打った」と訴えた。

「大丈夫よ、頭は守ったけん、大丈夫。ゆっくり息してみよう。力抜いていいよ。」と、祖母をなだめながら優しく抱きかかえる。祖母は昔からふくよかなほうだが、想像よりも随分軽くて少し寂しくなった。



そうこうしていると、騒ぎを察知した祖父が「どうした?」と玄関から出てきた。しかし、ここで心配した祖父までコロコロと落ちてきたら一大事だ。二次災害が起きてたまるかと、母と一緒に「大丈夫だから家におって!大丈夫!!」とつい声を荒げる。

落ち着きを取り戻した祖母はなんとか自力で歩けたので、ひとまずベッドへ。頭は守れたけれどやっぱり腰を打っていたようで、「股関節が痛い」と訴える。けれど、数カ月前にも腰の骨を折ってようやく退院できたところだったので「(また入院したくないから)病院には行きたくない」と少女のように駄々をこねた。

あとから駆け付けた叔父には「ナイスキャッチ!頭を守ったのはさすがよ!」と褒められたけれど、祖母の弱弱しく痛がる姿を見たら「あのとき一緒に階段を上っていたら」と、後悔ばかりがふくらむ。


それから数日後に祖母は病院に行き、やはり腰の骨は折れていたことがわかった。暖かくなるまで入院することになったと知らせを受けた。

そして先日、私がインフルエンザに罹患したことを聞きつけて祖母が電話をくれた。「はやりの病気か?」と、知っているくせに聞いてくる。「病院の人にもお孫さんが頭を守ったのは素晴らしいって言われたわぁ」と嬉しそうに教えてくれた。私は1人でただただ「ごめんね」と思っていたけれど、祖母はもう前を向いてリハビリを頑張っているようだ。


この数年で祖父母は随分と体が不自由になった。些細なことでケガをしては入院を繰り返している。大病ではないからと知らぬ間にこちらも慣れてしまっているけれど、いつ大怪我をするかわからないのだ。できれば感じたくなかった、楽観的でいたかった”老い”という実感。そして、一歩間違えればという怖さを知った。

できればずっと元気でいてほしいけれど、周りにいる家族も”老い”を受け入れていかなくてはならない。怖さも不安も心配も全部ひっくるめて、いつの間にか小さくなっていた祖母を抱きしめるように。


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