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「運否天賦」の例文

知らない言葉や知っていても使ったことのない言葉に遭遇したときは忘れぬよう書き留めているのだけど、いっこうに身につかない。使わないから覚えないのだ。「運否天賦(うんぷてんぷ)」を使ってみる。

 あの電車だ。あの電車に乗れれば間に合う。ホームに停車しているその車輌は、しかしフェンスの向こうにあり、私は残念ながらまだ駅に向かって走っている。ここから駅までは、一旦線路から遠ざかる道をぐるっと回って100mはある。それを走り切って立ち止まることなく改札を抜けて階段を一段飛ばしで駆け上がり線路を渡って階段を細かなステップで駆け下りたところで、辿り着いたホームにはきっともう電車は居ないだろう。それでも私は走っている。

 立ち止まったらお終い。

 まだ発車ベルは聞こえない。電車が動き出す気配はない。つまり間に合うかもしれない。なんらかのトラブルでダイヤが乱れている可能性を信じることにする。人身事故でも起きていてくれれば遅刻の言い訳にもなる――などと考えてしまった自分のおぞましさを振り払うように、走る。脇腹に給食のあとの体育を思い出すノスタルジーな痛みを抱えつつ、スピードを緩めることなく走り続ける。

 それにしても、だ。フェンスの向こうに見える停車中の電車はやけに空いている。空いているというか、乗客の姿が見えない。この時間帯に駅を目指すのは初めてなのだが、こんなにも人がいないものなのだろうか。
 というか、だ。こうも色々と思考を巡らせられるほど、線路沿いの道は長かっただろうか。走っても走っても同じ場所にとどまっているような気がして冷静に観察してみると、私の二本の足は確実にアスファルトを蹴って体を前へ進めているのだが、横を向いたときに目に映るのはずっと同じ車輛である。

 立ち止まったらお終い。

 私は走り続ける。いつも通っている道と同じ景色の知らない道に迷い込んでしまったが、私は走り続ける。どうやってここに来たのか分からないのだから、どうやったら抜け出せるのかも分からない。生きて帰れるかは運否天賦だろう。一方で、立ち止まったら遅刻は確定する。電車に乗れる可能性は、走り続ける限り消えない。

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