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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏会定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第8回 レニングラード・フィル来日公演1986年

エッセイ

「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第8回
レニングラード・フィル 来日公演 1986年


【加筆】

マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル来日公演1986年、加筆


https://note.com/doiyutaka/n/n575a79990abc


マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル来日公演1986年、以下のように加筆した。
86年のレニングラード・フィル来日公演、下記の既出記事のように、筆者は大阪で聴いたのだが、NHKが記録していた東京公演での音源が、ついにCD化されたのを、さっそく買って聴いた。



⒈  レニングラード・フィル 来日公演 1986年


ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ記念レニングラード国立フィルハーモニー・アカデミー交響楽団
1986年日本公演

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首席指揮者・ソ連邦人民芸術家
レーニン賞
ソ連邦国家賞
アルトゥール・ニキシュ賞
レーニン勲章
ウィーン楽友協会会員
エフゲニー・ムラヴィンスキー


指揮者:マリス・ヤンソンス


エリソ・ヴィルサラーゼ(ピアノ)


石川静(ヴァイオリン)



公演日程
1986年
9月
25日 東京
26日 甲府
28日 横浜
29日 京都

10月1日 大阪 ザ・シンフォニーホール
チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調
ショスタコーヴィチ 交響曲第6番ロ短調
指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー

3日 宮崎
4日 都城
5日 延岡
8日 徳島
9日 倉敷
10日 大阪
11日 市川
12日 筑波
14日 仙台
15日 静岡
16日 松戸
17日 18日 19日 東京


※筆者の買ったチケット C席11000円 3階LLA6番(後日、ムラヴィンスキーが病気キャンセルになったため、チケット代差額払い戻しがあった)

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ちょうどこの年、バブル期真っ最中で海外有名オーケストラの来日ラッシュだった。アムステルダム・コンセルトヘボウやロンドン・フィル、ボストン響など次々やってくるため、学生の身では乏しい財布の中身と相談して厳選する必要があった。そうして選んだのが、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルだった。
それというのも、FMのエアチェックで聴いた同コンビのチャイコフスキー交響曲第5番に、いたく感銘を受けたからだ。


IMG_9126のコピー


※参考CD

http://www.hmv.co.jp/news/article/1410020006/


《ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルは1978年6月にオーストリア・ツアーを行ない、12、13両日にウィーン楽友協会大ホールでチャイコフスキーとショスタコーヴィチのともに交響曲第5番を演奏しました。これらはドイツ・オイロディスクからLP発売され、さらに日本のビクターからもLP、ついで1985年にCD発売されましたが、いずれも不鮮明な音質なゆえ、ファンにいささか不満を残したものでした。それをムラヴィンスキー未亡人所蔵の音源から新マスタリングを施し、本来の驚くべき姿で出現しました。
 当時のレニングラード・フィルは、ムラヴィンスキーの徹底的な訓練により、超人的とも言える演奏技術を修得していました。それと同時に、オーストリア放送のエンジニアの想像を超えるダイナミックレンジの広さを備えていたため、何らかの操作を加えられ、レコードの枠に入りきれないエネルギーが惜しくもカットされていたようです。
 ここでは新音源を駆使してダイナミックレンジも元の状態で再現、さらに旧盤でノイズを抑えるために不鮮明となった音質も原音に戻した結果、信じ難いほどの名演が姿を現しました。あまたあるムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのチャイコフスキー「交響曲第5番」中でもダントツの凄さ。ライヴとは思えぬ完璧なアンサンブルはもとより、第2楽章後半の盛り上がり、第3楽章の弱音のニュアンス、フィナーレの盛り上がりいずれも金縛りにあうこと間違いなしの神憑り的演奏で、聴き終わった後に立ち直れないほど。
 これぞムラヴィンスキー芸術の極み、彼らの凄さを再認識できる、必携のアルバムが、遂にSACDシングルレイヤーで発売です!(キングインターナショナル)》



チャイコフスキーの交響曲第5番は、高校生の時に吹奏楽部の演奏会で、吹奏楽アレンジの第4楽章を演奏したことがあった。ホルンを吹いていたので目立つパッセージが多く、その点でも思い入れの深い曲だった。様々な指揮者のチャイ5(とクラシックファンはよく省略する)を聴いたが、ムラヴィンスキー&レニングラードのものが最高に感動的だった。上記写真の広告にある、「ウィーンのムラヴィンスキー」というシリーズで、ウィーンのムジークフェラインでのライブ録音だ。4楽章の冒頭のメロディーをこれほど力強く、かつ気高く弾く演奏は初めて聴いた。
だから、このコンビが来日するとあっては、聴き逃すわけにはいかないと思った。
それにムラヴィンスキーは高齢で、しかも病気がちだと聞いていた。以前、来日予定だった時も、キャンセルしてしまったのだという。もしかしたら、今回が最後の来日になるかもしれない。
そんなわけで、チケット発売日、朝の始発でシンフォニーホールの窓口に並んだ。
けれど、その目論見は見事に外れた。もはや最後のチャンスも失われていたのだった。高齢のムラヴィンスキーは今回も病気になってキャンセルし、その後しばらくして病没してしまったのだ。


せっかく入手した来日公演は、ツアーに同道していたレニングラード管弦楽団の指揮者マリス・ヤンソンスが、ムラヴィンスキーの予定されていた日も代わりに振ることになった。
今となってはヤンソンスは巨匠(すでに故人となった)だが、この当時、まだまだ駆け出しの指揮者というイメージだった。チケット代は、指揮者のギャラの差の分だけ多少の差額が戻ってきたのだが、ヤンソンスの指揮など全く聴く気にならず、コンサートの間中、気分はどんどん落ち込んでしまった。
もちろん、レニングラード・フィルのパワーとテクニックは素晴らしかったし、ヤンソンスの指揮ぶりもきびきびとして立派だった。でも、どうしてもムラヴィンスキーの演奏が聴きたかったのだ。
そんなわけで、他の来日オケを買わずにムラヴィンスキー1つに絞った賭けは、見事に裏目に出たのだった。


⒉ 唯一無二のコンビ、ムラヴィンスキー&レニングラード


さて、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルについて、改めて書いてみよう。
何しろ、結果的に生演奏を聴けなかったので、自信をもって書くことはできないのだが、その後、このコンビのありとあらゆるCD録音を聴き漁ったので、感想は書くことができる。
まず、ムラヴィンスキーのCDを最初に聞いたのは、前述のウィーン・ムジークフェラインでのライブ録音によるチャイコフスキー5番と同じシリーズ、ショスタコーヴィチの交響曲第5番だった。このシリーズは1978年に行われたライブ録音、演奏曲目はショスタコーヴィチ5番、チャイコフスキー5番、シューベルト未完成、ブラームス2番、というものだ。

実際にCDで聴いてみて、一番驚いたのは録音のあまりの悪さだった。最初にFM番組で聴いたチャイ5はそうでもなかったようだが、ショスタコーヴィチの5番はマイクの位置が悪いのか、金管の音がマイクに入りきらないのだ。致命的だったのは有名な4楽章のフィナーレ、堂々と金管楽器群が勝利のファンファーレ的なメロディーを吹奏する箇所だ。この最も盛り上がる部分で、金管のメロディーがほとんど聞こえてこない。一体どういう録音の仕方をすれば、こんなひどい代物が出来上がるのか? ライブ録音だといってもものには限度がある。
だが、そんな最悪の録音にもかかわらず、筆者にとってのムラヴィンスキーのショスタコ5番の演奏は、このCDによって最高レベルの超絶的演奏、というイメージが確定した。おそるべき緊張感に満ちた1楽章と、極限まで音を磨き抜いた彼岸の音楽というべき3楽章が、空前絶後の名演だ。同コンビのショスタコーヴィチ5番を、その後も数種のCD録音で聴いたのだが、最初のウィーン・ライブに勝るほどの感銘を受けることはなかった。それほどに、ウィーンでのムラヴィンスキーの演奏は唯一無二のものだった。
特に、前述の4楽章フィナーレのコーダで、テンポを非常に遅くとって、オケの体力の限界ギリギリかと思われるまで強奏させていたのには、たまげた。それまで筆者が聴いたショスタコ5番は、バーンスタイン&ニューヨークフィルの有名な演奏しかなく、そこでは4楽章のコーダは、テンポをさらに加速するようなハイテンポで締めくくっていたのだ。それが、いきなり倍ぐらい遅いテンポに落としたコーダを聴いて、最初は指揮者が間違えたのかと思ったぐらいだ。
どうやらこれは、ショスタコーヴィチ5番の楽譜解釈の違いによるものらしく、その後に聴いた演奏はたいてい、ムラヴィンスキーの場合と同じく4楽章コーダはテンポを落として演奏されている。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/