原作を愛しすぎてしまったオタクたちの悲劇。アラジン実写版の落とし穴。

原作(アニメ)至上主義の批評一覧を見て。

私は作家である。文字の羅列に説得力を持たせ、屁理屈をこねくり回す事においてのプロである(異論は認めます)

そんな私がアラジン実写版の批評一覧を見て、一切反論ができませんでした。

私は『白雪姫と7人の恋人』と言う18禁乙女ゲーヒロインに転生してしまった俺が全力で王子達から逃げる話 という白雪姫モチーフの小説や、美女と野獣モチーフの小説を出版させていただいているので、友達やフォロワーさんにもディズニ―ファンが多かったりします。実写版アラジンを視聴したフォロワーさんたちの感想で、昨日からTwitterのTLがカオスなので、今夜も一筆書いてみる事にしました。


1 実写版アラジンに対する批評、まとめ

・いやらしくてねちっこい蛇のような親父だからこそ良かったジャファー様が、イケメンになっている。・ただのインコとなり下がってしまったイアーゴ。
・アラジンとアブー、ジャスミンとラジャー、ジャファーとイアーゴ。アニメ版では確かにあった、人間と動物たちの間に存在した友情や信頼関係等が希薄になってしまった事に対する寂しさ。
・ラスト、ジーニーが最後に人間となってしまった事による、物語のスケールとジーニーの魅力のダウン。OP、ED共に人間になってしまったからこそ、ジーニー→アラジンに対する友情がありふれた物になってしまった感。
・アラジンが魔法の絨毯で、ジャスミンに世界を見せてあげるアラジンきっての名シーンが、ただのご近所周りになっていた所。
・アラジンがジャスミンの母の形見を盗んだ所(アブーとの意思の疎通がうまく行っていなかったとは言え)ラストもジャスミンが追いかけなければ、あのまま盗んだままだったのか? という疑惑。・全く印象に残らないホールニューワールド。

大体こんな感じだったと思います。

全く印象に残らないホールニューワールド

これ、ぶっちゃけ何も言い返せませんでした。アニメ版では一番の名シーンで、ディズニー映画屈指の名シーンであるホールニューワールド。私はこれが見たいが為に、〆切前に実写版を観に行ったと言っても過言ではないのです。

明日に〆切が迫っているというのに、今だってこんな一円にもならない駄文を書いている。

好意的に解釈するとすれば、山ちゃんのジーニーと、ウィル・スミスのタッグが神掛かっていた。実写版ホールニューワールドが悪いわけじゃない。むしろ最高だった。俳優さんや声優さん達にも、文句の付け所なんてない。ディズニーが最新技術と豊潤なマネーをふんだんに使い、魔法の絨毯を飛ばしてくれたのが分かる。スフィンクスの鼻をカンカンやってたオッサンはいなかったけど、イルカはいた。(重箱の隅をつつくの助をやるなら、やっぱり魔法の絨毯デートが世界からご近所になってしまった所くらい)でも、山ちゃん・スミスコンビの「アリ王子のお通り」が神掛かりすぎた。凄すぎた。あっちに全部持っていかれてしまった感がある。

でもこれは私の推しがジーニーで、彼に雄を感じているという個人的な事情と個人的主観による物が大きいような気がするので、他キャラ推しの方に聞いてみないとその辺りはちょっと分からない。アラジン推しの人が見たら、また違うのかも。

2 立ちはだかるアナ雪の壁、映画のテーマ性

ディズニーには偉大すぎる先人たちが存在します。フェミニズムを語るのであれば、アナ雪の壁を超えるのは難しいと私も思いました。アナ雪ほど知名度はないが、恋愛要素ゼロでガッツリフェミをやりきったモアナ様もいる。

映画アラジンの主人公は、アラジンなんですよね。

タイトルがアラジンではなくジャスミンで、主人公がジャスミンだったらまた違ったのかもしれません。ジャスミンが女性蔑視蔓延る世界で、苦難の末、女王として即位するサクセスストーリーがメインストーリーで、恋愛(アラジン)がおまけだったら、きっとアナ雪やモアナとも対等に戦えたのだと思います。

いつも完璧で隙のないシナリオを打ち出して来て、その構成力の高さに私を激しく嫉妬させ、壁ドンさせるディズニ―さんが、今回はらしくなかったのです。今回は、少しエピソードを盛り過ぎた感があった。某社の鬼……名編集も、このシナリオを提出されたら「恋愛がメインなので、フェミシーンは削って下さい」とジャスミンの新曲なんかをゴリゴリ削るでしょう。

でもその背景にはきっと、原作ファンへのサービス精神や、今の時代にシナリオを合わせる苦労。女の子に夢を与えるディズニ―プリンセス像の変化。親ほど年の離れた男と結婚させられる女児たちが、体が出来上がっていない状態で性交させられて、死んでいく現実。世界中の女性蔑視に対するメッセージ性があるのだと思うと、私は一人の女として、女児を持つ母親として、「ディズニ―さん、本当にありがとうございます」と頭を下げる事しか出来ないのです。

こんな事ができるのは、世界でディズニーしかいない。

本音を言っちゃうと、私も同じ事がやりたかった。可能なら私だってジャスミンと同じ事を叫んでみたい。小説で。

でも、悲しいけれど、私がそんな小説書いた所で使ってくれる会社がない。そしてディズニー並の資金と世界に影響力を持つ会社なんて、今の日本に存在しない。これが現実だ。今の私に出来るのは、今書いているジャンルで、日々感じている怒りや鬱憤を無理矢理ねじ込んで、担当さんに赤を入れられたり、時に見逃していただいてガッツポーズを取る事くらいなのである。

そして私はきっと、実写版アラジン以上に完璧なシナリオを書く事は出来ない。つまり、私が実写版アラジンを批判する事なんて出来る訳がないのです。

3 実写版のトラウマ


なんて言いつつも、過去、私にもあったのです。原作(アニメ版)を愛し過ぎるがあまり、実写版を受け入れられなかった事が……。

私にとって美女と野獣がそれでした。

野獣が違う。こんなの、私の知っている野獣じゃない。なんだこれ、野獣の愛らしさを全然再現出来てないじゃないか……。

実写版のCMを見て、私は激しく打ちのめされました。しかし私はエマ・ワトソンのファンでもあったのです。今思えば、それがすべての悲劇のはじまりでした……。私は、ハリポタ時代からのエマ・ワトソンのファンで、エマたそ目当てでハリポタのDVDを集めたくらい、エマたその事を愛している。あんな野獣、見たくない。あんなの私の知っているアダムさんじゃない。でも、美しく成長したエマたんは見たい。その一心で、私は震える足で劇場へと向かいました。前日は緊張で眠る事が出来ませんでした。

翌日、劇場を出た私は激情に包まれていました(ここ、笑う所です。笑って)

良かった。本当に良かった。悔しいけど、完璧だ。完敗だ。文句の付け所がない。皆がSNSで絶賛するだけの事はある。実写版美女と野獣は、今世紀最高の名作になり得る映画だろう。途中、涙を流す観客に紛れて私も泣いた。ラストは涙が止まらなかった。大号泣した。……しかし、原作ファンの私は実写版を許す事が出来なかったのです。正直、どうやって家まで帰って来たか覚えてない。

結論から話すと、私は長い年月をかけて実写版美女と野獣を受け入れる事が出来ました(実質、一年くらいな)こないだの金ローも見たし、DVDもサントラも買た。悔しいが、そろそろ私は認めるしかない。実写版の野獣も、良く良く見てみると可愛いのだ。アニメ版の野獣の可愛らしさが、忠実に再現されている部分も多々存在する。そして、アニメ版の野獣とは別の可愛いらしさもある。シェイクスピア推しのベルに、アーサー王でマウントしたり、インテリぶってる所とか可愛いすぎ。この心理はあれだ。愛娘がいけすかない男を連れて来て、拒絶したが、時間とともに許容していく父親の気持ちに近い。

今だから笑って話せますが、当時は誰かに美女と野獣の話を聞いても、見ていない設定で通していたくらいです。だって映画の感想を求められたら、嫌だもん。

4 以下、反論

どんな人物にも言説にも文章にも反論・反駁する方法は存在します。注意深く探せば、何かしらの穴はあるもので(たまに全くそれが存在しない非情に面倒クセータイプもいるのですが、それでも手がない訳ではない)文章のほころびを見付けたら、そこをつついて穴を広げて行き、そこから攻めれば大体は崩せます。

ディベートの話になりますが、

1 相手の主張の矛盾点・問題点を指摘して、その主張は成り立たないと崩して行く方法。
2 別の根拠をぶつけ、相手の根拠の情報・証拠不足さを指摘し、崩して行く方法。
3 相手の根拠の重要性の是非を問い、その論拠は瑣末な物だと矮小化して崩して行く方法。

があり、私は良く2を使用します。

周りの人間と意見が食い違った場合、大概、私は譲歩する側なのですが(めんどいので)、時に譲れない物もあるじゃないですか。なんでもはいはい言う事を聞いていると、図に乗りだすクソもいる。今後も良好な人間関係を継続したい相手に、1、3、他を使うと、日本では自分が否定された→個人攻撃と感じる人間が多いんですよね。相手が悪質な場合(事実を捻じ曲げ吹聴したり、都合の悪い事だけ忘れたり、大声を出して威圧して話を煙に巻こうとしたり)は、私もガチモードに入って1、3、もしくはもっと意地の悪い手を使う事もあります。

私がディズニー信者である事と、実写版アラジンにとても楽しい一時を過ごさせて貰った事は事実です。

よって簡略的ではありますが、今回も2を使って、実写版アラジンの魅力をぶつけて反論してみようと思います。以下、反論で〆させていただきます。


実写版アラジンの魅力

a  アラジンたちが歌って踊る事によって、アニメ版のジーニーのあのウザさが薄らいでいる。ウィル・スミスのイケメン度も追い風になり、ジーニーが、ポップでイケてるセクシーな青い人になっている。山寺宏一さんもアニメ版より、セクシーな歌い方に路線変更しています。アニメ版のあのウザ可愛いおちゃめな歌い方も個人的に大好きなんですけど、実写版は雄味が出ててSO GOOD! ダリアが惚れるのも納得。私も惚れた。抱いて。

b アラジン (中村倫也さん)の歌い方や息遣いが、一々色っぽい。アニメ版のアラジンは少年っぽさが抜けきれていませんでしたが、実写版のアラジンは色気増量パックの魅惑の青年になっています。私は腹の出た宝石商の悪人面のおっさんが、アラジンを金でどうこうするBLを想像しながら、一人、悦に入ってました。

c 天才作曲家アラン・メンケンが手掛けた名曲の数々が、新アレンジバージョンで楽しめます。とにかくすごいです。昨日サントラ買った私が言いますけど、サントラも最高なんですけど、劇場で聞くのはサントラとはまた違った魅力や迫力があるので、是非劇場で!

d イ・リッチー監督の世界最高峰のアクション。メナ・マスード(イケメン)の挙動不審な童貞っぽい可愛らしさ。

e ジーニーが人間になって幸せになる。ジーニーの妻と2人の可愛い子供たちを見る事が出来る。

長らく語りましたが、ジーニー推しとしてはeがすべてのような気がします。

原作を愛するがあまり受け入れられない方には、実写版はアニメ版とは別物で楽しんだ方が良いとしか言えないけれど。

私は現代風の強いディズニープリンセスたちも大好きですが、クラシカルで、奥ゆかしいディスニープリンセスたちも大好きです。懐古厨なので、全ての名作を現代風にアップグレードする事に、若干の違和感や抵抗を感じていないと言えば嘘になります。しかし、ファンの心理として餌は多い方が良い。

私はいつかシンデレラや白雪姫が、自力で継母をブチのめし、王子様のお城に行かず、女友達と世界に冒険に出るお話が来ても良いと思っています。鬼太郎の猫娘しかり、プリキュアしかり、時代の流れとともに変化を楽しむのもまた一興。

最後に。実写版アラジンですが、とても素晴らしい映画です。これを読んだあなたが、実写版アラジンを好きになってくれますように。

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