”みんなちがってみんないい”が理想になってしまうのはなぜ?『他者と働く』を勧めたい理由
あなたの周りに”なんなんだこいつ!?”といって言ってしまいたくなるような言動をする人はいるだろうか。
いないと答えた方はこの本は必要ないかもしれないが、果たしてどれくらいの方が”いない”と答えることができるのだろうか。
多様性という言葉が多くのメディアで当たり前のように使われるようになり、金子みすずの詩『私と小鳥と鈴と』の意味を、1人1人が考えていかなければならなくなってきた。
ただ、一方で、こうした様々な意見が飛び交うような問題に直面すると、理想と現実とのギャップに頭をかかえることも多くなる。
それが”なんなんだこいつ!?”に集約されているのではないだろうか。
例えば、わたしが働いていた前職場に全く理解不能な同僚がいた。
・「家の前が1cm水没してるいるので遅刻します」
これに始まり、
・「通勤用自転車がパンクしたので、自転車屋さんによるため遅刻します」
・「(経理募集の求人広告に応募し、採用されたにもかかわらず)僕、経理はしません」
・「PCは僕の専門です!」
※新しく買ったPCの設定は途中で放棄される。
・「病気のためMRIをとってきます」
・「病気のためやっぱりCTをとってきます」
・「歯の詰め物が取れたので、早退します」
・遅刻、早退続きだなと思ったら、隣の部屋で気づけば寝ている。
など、他にも話題はてんこ盛りなのだが、こういったことが4ヶ月ほどの間に起こると、たとえ事実だとしても、どこか半信半疑になってしまう。
ここに”みんなちがってみんないい”を引用してしまうのは、個人的な感情としては許したくない部分が出てくるし、わたしの中の金子みすずは苦笑しているのである。これが理想と現実とのギャップだ。
そこで、この本を読んでみようと思うに至ったわけだ。
この本の”はじめに”の次にくる言葉が
である。
先ほど引用した金子みすずの詩にある、”みんなちがってみんないい”は大多数の人が「そうだ!そうだ!」と賛成するのではないだろうか。
賛成を正しさと置き換えたとき、これが実践できない状況におちいってしまうのはなぜか。
この本ではロナルド・ハイフェッツの言葉を引用している。
「技術的問題」は、例えば”ビビンバを作りたいのに作りかたがわからない”といった場合に、ネットで調べたり、youtubeで検索したり、本を読んだりすれば解決できるような問題のことだ。知識量が増えれば、解決できる問題も増えてくる。
「適応課題」というのは”社内会議で新しい社員用の椅子の購入について提案しよう”とすると、”それはだめ”といった反対意見が出てくるような場合。ここでいかにロジカルに会話を進めたとしても、何か別の理由をつけて反対される。これを適応課題と言っているのだが、これほど技術的に進化してくると解決できないケースは大抵「適応課題」なのだ、と著者は言っている。
で、著者がこの本で言いたい重要なことが「対話」である。著者は対話についてこう定義している。
組織というものは、大なり小なり、人と人との関係性の上で成り立つ。組織と聞くと無機質な物体のように感じるかもしれないが、そこはあくまでも”人との繋がり”なのである。
そこで「対話」をテーマにした書籍を刊行されるに至ったそうなのだ。
会社に限らず、人はさまざまな組織に所属している。
家族だって組織だし、自治会や、PTAはもちろん、小学校のクラスや大学のサークルだって組織だ。
その組織の中で”みんなちがってみんないい論”がうまく機能しないのはなぜなのか。
この本を読む中で、見えてくるものが必ずある。
組織に所属することで悩むことが多くなったとしても、人は組織に所属することをやめることはしない。
であれば、より快適に組織の一員として過ごせた方が絶対いい。
お盆休みも始まるし(学生さんはもう夏休みだね)、今年の夏の課題図書として、オススメしたい1冊だ。
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