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「あなたのことを理解している」という暴力ーミニ読書感想「菜食主義者」(ハン・ガンさん)

1月末で閉店する渋谷・東急百貨店のMARUZEN・ジュンク堂書店で「書店員が最後におすすめしたい一冊」に挙げられていたハン・ガンさん「菜食主義者」(きむふなさん訳、クオン社、2011年4月25日初版発行)を読みました。衝撃的に面白かった。

この小説が描くのは、無理解の暴力。特に「あなたのことは理解していますよ」と安易に他人を理解の枠にはめようとする暴力でした。


本書は表紙、裏表紙、帯であらすじが示されていません。予断を排して読んでほしいとの願いが込められているのかと思いますので、ここまで読んでくださった時点で関心を抱かれた方は、とにかく手に取って読んでみていただきたいと思います。

それでは、本書の面白さを伝えるために以下、(極力少なく努めながらも)ストーリーに触れ、引用も一度行いたいと思います。

タイトルが示す通り、本書は菜食主義者(ベジタリアン)に関する物語。書き出しでは、語り手の「私」の「妻」が菜食主義者になったことが綴られていきます。

しかし、なぜ「妻」が菜食主義者になったのか、「私」にはどうにも見えてこない。当然読者にも、その理由が分からない。「私」は途方に暮れ、「妻」への態度は過酷なものになっていきます。

突然、菜食主義者になった妻。もしも理由が分かれば、歩み寄れる、あるいは説得できる。しかし「私」にはその道が閉ざされている。疑問はやがて、恐怖や怒りに変わっていきます。

しかし、道を閉ざしているのは「妻」の方なのでしょうか?

印象的なシーンを引用します。「私」は、会社の重役らが夫婦で出席するディナーの席に妻を連れ出します。会場は高級料理店。当然、肉料理も出るわけですが「妻」は一切手をつけず、菜食主義者であることが参加メンバーに露呈します。

しかしその時、始まった会話は次のようなものでした。

 「とは言っても、まったくお肉を口にしないで生きられるものかしら?」
 妻の白い皿だけが空のまま、ウェイターは九人の皿に料理を取り分け、席を外した。自然と話題は菜食主義者のことになった。
 「つい最近、五十万年前の人間のミイラが発見されましたね。そこにも狩りの跡が残っていたそうじゃありませんか。肉食は本能です。菜食とはその本能に逆らうことでしょう。不自然ですよ」
 「最近は四象医学に基づいた体質改善のために菜食主義になる人もいるようですが……。私も自分の体質が知りたくて何ヶ所か回ってみたのですが、所によって話が違っていました。(中略)」
「菜食主義者」p38

社長夫人らは思い思いの「菜食主義者論」を語ったあとにようやく、「なぜ菜食主義になったの?」と「妻」に問い掛けます。

逆に言えば、問い掛ける前に、「あなたの考えは分かる」「そしてそれには欠点がある」と散々突きつけてから、問い掛けるのです。

この問いの前では、自由な答えは封殺されています。問う側の理解に合わせる形でしか答えが許されていないのです。これこそが、「あなたのことが理解できる」という暴力。理解の皮を被った無理解の暴力だと思うのです。

この押し付け的な無理解は、韓国社会に根強くある家父長主義が影響している。この問題意識は、チョ・ナムジュさんの「82年生まれ、キム・ジヨン」で描かれたものと通底しています。

そして家父長主義に基づく押し付け的な無理解は、日本社会にも地続きである。だからこそ、「菜食主義者」が描く「キツさ」が日本の読者の胸を打ちます。

本書は決して楽しい一冊というわけではありませんが、読めて良かったなと思います。

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