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劣等感(コンプレックス)の超克 Part3(ボストンでの武者修行)

前回の続きです。

入省4年目にて、法律改正と通常業務が重なっていたなかで、毎日6時間確保したい睡眠時間を削って、「とある勉強」をしていました。

それは、英語の勉強です。

留学を目指す

私は、そもそも留学を希望して、霞ヶ関の官庁に入省しました。
そのため、隙間時間を見つけて、英語の勉強をしていました。

目指す先は、アメリカでした。

理由は、入省1年生の時に、他課の課長から言われたこの一言でした。

「留学は、まずは超大国のアメリカを目指すべき。何よりも世界中から優秀な人材が集まってくる。さらに、多民族国家アメリカの価値観がわからないのに、世界の価値観がわかるはずがない。もちろん、イギリスや他の英語圏を選択する人もいるが、ベースとなるのはアメリカだ!まず、アメリカに留学して、その後、必要であれば他の国に留学・赴任するのが王道だ!」

大学で経済学を学びましたが、折角なのでアメリカに行って、アメリカの政治や社会や文化や宗教などを手広く学びたいと思いました。

特に、英語のコミュニケーション能力を鍛えるため、「国際関係」を専攻したいと思いました。

そこで、東海岸の6つの国際関係大学院を比較して、ボストンの大学院を目指すことに決めました。
※東海岸の国際関係大学院6つを比較は以下です。私のブログで1番読まれている記事がなぜかこちらです 笑

東海岸のなかでもボストンは、映画のGood Will Hunting(1997年)で見て、雰囲気に憧れました。マット・デイモンの演技も好きです。

TOEFL課金漬けになる

留学に向けて、準備すべきことが沢山あります。

①エッセイ、②レジュメ、③レコメンデーションレター3通、④公式の在学証明、⑤テストスコアの5点です。

1番の難関は、⑤テストスコアです。

このテストは、アメリカの大学院の場合は、基本的にTOEFLです。

TOEFLは120点満点中、100点を取らなければ留学ができません。

ここから、私のTOEFL課金が始まりました。

最大の問題は、勉強時間が全然確保できないことです。

1番最初に受験した時の点数は、82点でした。

その後、何度受験しても、全然点数が伸びませんでした。

これは、地獄でした。毎月1回のペースで受けていましたが、受験料が非常に高く、3万円を超えていました。

それにも関わらず結果が出ませんでした、、、

長時間労働の残業代が、成果の出ないTOEFLの受験料に消えました(T-T)

IELTSに切り替える

友人の話を聞いて、自分の志望校がIELTSを認めていることを知りました。
9点満点で7点取れば良いため、割合的にもTOEFLの100点の壁を超えるより相当簡単です(同じ割合ならTOEFLは120点×7/9の93点でOKです)。

TOEFLは、難しすぎるので、IELTSに乗り換えたところ、優しく感じました。

留学準備のスケジュールは以下の通りです。

時間がなかったため、志望校は1つに絞り、早期合格を目指しました。

【社会人3年目の終わり】
1月:国際関係大学院ではどんな試験を受けるのか調査。TOEFL勉強開始。
3月:TOEFL 1回目 (82点) 。GMAT勉強開始。

【社会人4年目スタート】
4月:TOEFL2回目 (86点) 。TOEFL3回目(86点)
5月:TOEFL4回目 (88点) 。TOEFL5回目(88点)
自己分析を開始、②レジュメ作成を開始。

※TOEFLで点数が伸びないためIELTSに切り替え
6月:IELTS1回目(6.5)
7月:IELTS2回目 (6.5)
8月:Ivy League Consultingというエッセイ添削塾の体験授業を受ける
9月:エッセイ本格執筆、会社を休まずシルバーウィークを利用して志望先大学院まで行き、個人面接を受ける(足で稼いで猛烈PR作戦
10月:直前までIELTSのスコアアップ
11月:Early Notificationで出願
12月:IELTS3回目(7.0)
12月:合格通知をいただく

英語の勉強は、地獄でした。

土日に英語の勉強を始めようとすると、すぐに眠くなってしまい集中力を保てませんでした

英語の勉強時間を十分に確保できずに、留学ができない可能性が濃厚になってきたため、捨て身作戦で、1校専願にして、その志望校にわざわざ行って、個人面接を受けました。

そもそも、大学院受験には、個人面接を受けるという仕組みはありません。

しかし、私は合格したいあまり、面接をして欲しいとメールを送って、面接用の資料をパワーポイントで作成(ほとんど写真)し、持参して、自己PRをしまくりました。

写真付きの資料を持参したのは、それを渡すことで、顔と熱意を覚えてもらおうという魂胆でした(足で稼いで猛烈PR作戦

猛烈PR作戦が功を奏したのか、12月に無事に専願の1校から合格通知をいただきました。


入省5年目(ついに待ちに待った憧れの大学院生活)

地獄の法律改正が終わったタイミングの入省5年目で省庁から大学院に派遣してもらいました。

英語力に難ありでしたので、7月3日~8月12日までの6週間のサマープログラムから参加させて貰いました。

このプログラムに参加させていただき、出身省庁に本当に感謝しています。

このプログラムでは、英語力が思ったほど伸びませんでした。

会話では、結局、同じような英語表現ばかり使ってしまいます。

積極的に伝えたいテーマやトピックがないと、有意義な意見交換にならず、英語力が伸びないことがわかりました。

そして、9月6日から12月20日までの秋学期が開始しました。

いよいよ大学院生活の始まりです。

授業の光景

ここで、自分でも予期しない挫折が待っていました。

多忙すぎる大学院生活

英語に苦手意識を感じる私が、なんと、秋学期の科目数4科目とも、そこそこ難易度の高い授業を取ってしまいました。

●月曜と水曜:9時40分~10時55分:Corporate Finance(Jacque)
(授業の他に週1回のTAセッション参加義務、毎週プロブレムセットを提出、グループワーク等が必須)
●月曜と水曜:13時30分~15時10分:Econometrics (Schaffner)
(授業の前にネット上のPop Quizを解く、点数が悪いと先生のオフィスアワーに行かなければならない、グループワークが必須)
●火曜と木曜:9時40分~10時55分:International Finance (Klein)
(マクロ経済学に知識が前提、授業のレベルが高い)
●火曜と木曜:11時05分~12時20分:Global Political Economy (Drezner)

1週間の体験授業を終えて、履修登録を終えて2週目に入ったところで、早くも授業の予習時間を確保できなくなる程忙しくなりました。

はじめは分かりませんでしたが、徐々に忙しい原因がわかってきました。

まず、そもそも、英語をこんなにも長い時間使ったことのない日本人が、急に大学院に放り込まれたのです。

そのため、英語を聞いたり話したり読んだりするだけでも極度の緊張を強いられ、疲労困憊します。ましてや、書けません(>_<)

さらに、授業で習ったことがない概念を理解するためには、英語ではなく一旦、日本語で理解しなければいけません。

そして、授業は、授業だけでは完結せず、グループワークが課されます。


人生で最大の挫折

職場で1年生の時から、「桐島君の付加価値は何?」と問われ続け、付加価値主義が身についた私に、訪れたのは人生で最大の挫折でした。

それは、Corporate Finance(Jacque)の授業でのグループワークの時でした。

このグループワークのメンバーは、ランダムに決められます。

私は、なんと、4人メンバーのうち、私1人が外国人、3人がアメリカ人のグループに所属することになってしまったのです!!!!!!!!!

グループディスカッション時に、みんなが話している英語が早すぎました。

みんな忙しくて時間が限られているため、グループワーク自体に時間を取られたくないため、はやく役割分担を終えたがります。

ここで、私は、役割分担に話が及んでいることさえもついていけずに、、、

”Then, what you want to do?”と聞かれて、”え!?(what!?)”と言って、チームメートから興ざめされるという経験をしました。

私の職場の習慣で、私には常にどういった付加価値をその場で発揮できるかを考えるのが癖になっていました。

しかし、このディスカッションの場では、もはや、何かに貢献する前に、何がトピックになっているかも分かりません、、、

これは、人生で最大級の挫折でした。

やる気がなく、貢献しないのであれば、それは筋が通っています。
しかし、やる気があるのに、何をしていいのかさえ分からないのです。

入省後、5年間数々の挫折をし、コンプレックスを抱えてきた私ですが、周りの言っている指摘事項は、日本語だったため完璧に聞き取れました。

しかも、自分の能力が足りていない場合が多かったため、能力を磨くことが先決でした。

しかし、今回は、自分の能力が足りているにも関わらず、付加価値を発揮できない自体に陥ってしまったのです。

ある程度、英語がわからないのであれば、「ここの部分が聞き取れなかったので、もう一度言って欲しい」と質問することも可能ですが、大半が聞き取れないため、何がわからないのかさえも、わからない状況でした。

いままで、周りから怒られても、ある程度ゴールが見える状況でした。

そのため、ゴールと、いまの自分のギャップ(Gap)が、コンプレックスで、それを埋める作業をしてきました。

しかし、今回は、ゴールが遠すぎてなかなか見えづらく、ギャップを埋める作業が具体的に見えにくい状況でした。

目標=アメリカ人の英語を聞き取れるようにすること
いまの自分=全然聞き取れない
ギャップ=英語力の向上なのか?リスニング能力なのか?質問能力なのか?

対応策

具体的な対応策は、わかりませんでしたが、それ以降は、できる限り、授業以外でも英語を使う時間を増やしました。

しかし、普段の授業でも最後まで堂々と臆せず発言できる自信は身につきませんでした

結局、留学期間が終了して2018年5月に日本に戻ってきてからも、Corporate Finance(Jacque)のグループワーク時のコンプレックスの記憶は残り続けました。

そのコンプレックスの記憶は、克服するために、少しずつではありますが、英語資格の取得を目指すことにしました。

詳細は、以下を参照下さい。

留学先では順風満帆だと思っていましたが、人生に刻まれるコンプレックス経験の連続でした。


文書を書くことに対する苦手意識の払拭

留学中には孤独を感じる瞬間がありました。その時に孤独を紛らわせることに役立ったのが、ブログの執筆でした。

前回のPart2で触れた

「(中略)お前は、こんな文章力だったら、一生ブルーカラー・ワーカーだぞ!このままじゃ、一生ホワイトカラー・ワーカーになれないぞ!」

という言葉と文章を書くことに対する苦手意識をできるだけ早く払拭したいと思っていました。

そこで、時たま時間を見つけて、ブログの記事を書いていたところ、同じ留学先の日本人の先輩の目に留まり、

あのブログ、結構面白いから頻繁に更新してよ!」と声をかけてもらいました。

この言葉を機に、他人から期待されることが快感と醍醐味になり、記事を書き続けるようになりました。

その結果は、いまのこのブログにも連綿と続いています。

「コンプレックスは、それを克服したいという強い動機によって、意外と克服できるものなのだな~」と感じるようになりました。

~次回Part4へ続く~


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