「介護物語の美談」なんて書けない(4)慣れか?諦めか?それとも

前回(3)から随分、時間が経った。
この間、介護から解放されたわけでも、問題が減少したわけでもない。
なにか書くことで、ププン、ププンプンという日常の追体験をしてしまい、また苛立ち苦しくなる気しかしなくて、あえて書く気がしなかった。
ところがどっこいの強迫観念。「テキスト芸人」としては、死ぬまで書きつづけてしまう、いちど書いたらもう止まらない誰か助けて赤いハイヒール♪状態というわけで、綴ることから逃れることができないないのだ。

いやいや、言うほど苦しんでいるのか?と思われる方がいるかもしれない。
定期的に写真をupしているnoteの安穏な雰囲気で、介護のほうは然程でもないと思われているかもしれないが、日常の95%の泥沼から5%の藁をつかみ、息継ぎタイムをはしゃぐことで生きながらえているにすぎない。そのスプーン一杯の5%の幸せを公開しているのだ。
撮影タイムからのnoteが、以前書いたnote「リストカット」が息継ぎみたいなものである。

とはいえ、少しづつ落ち着き、というより諦めの境地に片足をツッコまざる得ず、考えることもできるようになってきた。
きっと怒り続けることに疲れたのだろう。
苦しい日常に慣らされたか、それとも自らの自由を諦めさせられたか・・・

介護生活にはいってから、年老いて痴呆のはいった両親に「より良い質の高い日常生活」を送らせようとしていた。「より活動的により楽しい生活」を送らせようとしていたわけだ。そうhigh-QOL(ハイ-クオリティ・オブ・ライフ)な暮らし、ってやつだ。
介護だってやる以上、追求したいではないか。

そのために一生懸命頑張り見返りを期待した。が、裏切られた。裏切りの街角。裏切りの連続攻撃。
人の苦労を知らず、どれだけ頑張ってもノーリターン。好き勝手に堕落した痴呆生活を繰り広げていたわけだ。💢
カロリーとバランスともちろん味覚を考えた食事は残され、社会参加できるようにという苦労して漕ぎ着けたデイサービスは拒否され、一日ボーとテレビを観ている。
アホちゃうやろか。そんなんで生きてておもろいんか?
これが親だと思うと情けなくて仕方ない・・・・・

でもさ、よく考えればhigh-QOLが良いってのは、ワタシの勝手な思いにすぎない。
社会参加も、情けないも、、すべてワタシの一方的な思いなわけだ。
親といえども他人。他人の人生に必要以上に踏み込むことはできないのだ。
一日ボーと暮らそうが、つまらなそうな人生だろうがアンタら自身の人生。
アタシに何かできるわけじゃない。
アタシが何か考えて、何かをしようとすると、それはアタシの人生となってしまう。
という風に気分が変わってきた、ような気がする。むりやり変わったと思うことにしたのかもしれないが、、、、

だいたいアランド90の人生観など、ワタシには知りようがない。
死を待つ人の人生観など想像もつかない。
ワタシにしたところで、今はまだやりたいことがあり、他者に必要な時間を阻害されると腹ただいことプーチンの如しなのだが、30年先なんてどうなっているか分からない。
やりたいことをやりつくしたのか、もうこの世的あアレやコレやなんて、なにもかもが面倒なのか、死にたくても死ねないのか、、、、、、
ボーと薄れる意識を楽しんでいるのか。
あれやこれや考えなくていい痴呆のほうが幸せなのか・・・

そんな時に突然地震がおきた。
テレビには凄惨な現状が映し出される。
渦中にいれば慌てふためくオノレが想像に容易いが、もしかしたらこの痴呆老人たちは平然としているのかもしれないと思った。
動じない気がしたのだ。
何を慌てたり、苛立ったり、苦しんだりしているのだ、と平然と周りを観てボケェ〜と座っている気がした。
多くの欲とは決別し、生きる欲も然程ない。ある種の達観なのか?

それは今ここで展開されているのか?
介護開始により日常は崩壊したワタシは、苛立ち苦しみもがいている。
何をバタバタしているんだ、と見つめる痴呆老人。
いやいやいや、地震の被災の足元にも及ばない。
地震で被災した人にくらべてみなさい、オマエの苦しみなんてカッパの屁だろ。
地震がおきてもワシラはバタバタしない、オマエのバタバタなど気にも止まらない。
オマエが嫌なら、ワシラを見捨てて好きなように生きればいいんじゃないか?
ワシラは別にオマエに介護を頼んだ覚えもないし。
いや、痴呆だから覚えてないんじゃなくて、本当に頼んでないだろ。

確かに。頼まれずに医者と介護指導のプレッシャーに負けて、頼まれてもいないのに勝手に介護をやり始めたのだ。
同居の親のあまりにグズグズ、ダラダラの生き様を見るのが嫌でやり始めたのだ。
やり始めてしまったのは自分のせいではないか。
それを他人のせいにしてどうするんだ。
「これだけやっているのに」と他人に「成果を期待して」どうするんだ。
成果がないと苛ついてどうするんだ。
勝手にやって勝手に苛立っているだけじゃないか。
本当に嫌ならやめればいいじゃないか。
震災ではないのだ。選択の余地もなくすべてが奪われたわけではない。
自分の意思でどうにでもなる。

そうか、どうにも耐えられなくなればやめてしまえばいいのだ。
とすると、こうした経験ももっと得るものがあるかもしれないな。
もう少しジタバタするオノレを眺めてみようか。
貴重な経験なのかもしれないと、noteには書いておこう。


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