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小説★プロレスガール、ビジネスヒロイン?  第七話 M&A実行 <入社2年目夏>

第一章&全体目次はこちらから

 元ゼミ同期のタマちゃんは外資系投資銀行に就職している。
(よく考えたら、この件を相談するのは適任じゃん)
 早速タマちゃんを渋谷の居酒屋に誘う。タマちゃんは会うなりミナミに抱き着いてきた。
「ミナミ、元気にしてる? また落ちちゃったんだって? 辛くない?」
「タマちゃん、ありがとう。大丈夫よ」
 ミナミは、アキラやサクラも稽古をつけてくれていること、だから次こそ受かる、でも、M&Aに巻き込まれたことを説明した。
「でね、タマちゃんって投資銀行ってことは、M&A業務も詳しいかな? って思って」
「いやーん、私、M&A担当しているわよ。まだ一年目だから調査とかエクセル資料作りばっかだけどね」
「うそ、ほんと? じゃあ、アドバイスしてよ」
 すると、ウインクして肩をすぼめるタマちゃん。
「うち、高いわよ?」
「どんだけすんの?」
「これくらいかな」
 タマちゃんは指を三本立てた。
「……え? 三千万円も取るの?」
「あのねえ。一桁間違えてるから」
「……三億?」
 ミナミはがっくりとテーブルに突っ伏した。
「あはは。外資系は大きな案件しかやらないからね。どう? 雇ってくれる?」
「あほか。うち、つぶれるわよ」
 ミナミはムッとしてふくれっ面。
「だよね……まあ、個人的でよければ、内緒で手伝ってあげるよ」
 とたんに、ミナミの表情が満面の笑みに変わる。
「本当? やっぱり持つべき友はタマちゃんだわ。愛してる、タマちゃん。結婚しよ」
「私が欲しかったら三億持ってこい」
「それも金かよ」
「すべての価値を金額に換算して取引できるようにする。それが投資銀行の役割よ」
「じゃあ、私のナイスバディの価値でどう? 素敵でしょ? 好きにしていいわよ?」
 ポーズをとるミナミを上から下まで舐めるようにチェックするタマちゃん。
「……ミナミ、やっぱりちょっと太ったよね。その体系なら、価値はゼロね」
 ミナミはプルプルとこぶしを固めた。
「タマちゃん……しばくわよ」

 さすがにIMを直接タマちゃんに見せるわけにはいかないので、どんな資料を準備したらいいかとか、どんな点に気を付けて分析したらいいかとかを教えてもらいながら、実際の作業はミナミが進めていく。
 その間も朝練と夕練は続けている。
(弱音は吐かない。両立させるって決めたもん)
 正直体力的にもしんどかったが、徐々に資料準備は整っていった。

 六月末。一か月かけて、ミナミはQoRの会社の状況のまとめ、買収する場合のメリットやデメリット、注意点やスキーム提案などの資料をまとめた。
 ポイントは買収価額。M&A仲介は五千万円という株主の要望額を示唆していた。
(買収価額を回収するシナリオもやっと完成。あとはこのメリットを妥当と判断してもらえるかどうか……)
 そして、ミナミが仕事を終わらせ夕練に向かうと、一か月ほど前にヒールへの転向を余儀なくされた後輩のワカバが更衣室のベンチにひとりで座っていた。
「ワカバちゃん?」
 ワカバはハッとミナミに気付くと、顔をそむけた。
(泣いてる?)
「どうしたの? 何かあった?」
「ミナミさん……私、もう耐えられそうにないです」
「え?」
 ミナミは慌ててワカバの向かいのベンチに座る。
「やっぱり、私にヒールは合わないです。お客さんからもブーイングばかりだし。そもそも体格も小さいからヒールの迫力を出せないし……」
 ミナミはワカバの手を握る。
「私……もう引退しちゃおうかなって……」
「ワカバちゃんは頑張ってるよ。選手もお客さんもみんな知ってる。だから、そんなこと言わないで……ワカバちゃん、ごめんね」
 ミナミは思わず謝っていた。
「え? 何でミナミさんが謝るんですか?」
 ワカバが顔をあげる。ミナミにも、なぜかは分からなかった。先輩として助けることができない負い目か? そもそも自分がプロになっていたら引き受けられたかもしれないという後悔か? わからない。でも、こんなところでワカバを失いたくはない。
「ごめんね。もう少しだけ。一か月だけ我慢して。私もできることを頑張ってみるから」
「もう、ミナミさんが謝らないでくださいよ。私、どうしたらいいか……」
「とにかく。一か月時間を頂戴。約束よ」
 ミナミは真剣な表情でワカバに迫る。ワカバもその表情に押されて思わず頷くのだった。

 ミナミは提案書をまとめあげると、大沢社長や代田、北沢に時間を取ってもらい説明を始めた。QoRの会社の状況、イズミの想い、そして株主から提示された金額感。
「選手一〇人補強できることが最大のメリットです。買収価額は五千万円です。これはQoRのブランド力やベテラン選手の価値ということになります」
 SJWは連結し会計をしていないが、大企業のように連結会計をするならば『のれん』として償却費用が発生するところだ。
「その効果で五千万円を回収しなければいけないということだな」
「はい。実は、買収効果でどの程度売上が増加するかを試算しています」
 ミナミは、年間の興行スケジュール表を示した。
「選手四〇人体制に増強できますので、大規模興行や中規模興行にシフトできそうです」
 大沢の方針、すなわち質と安全を守るため、年間七十二興行という枠組みは変えたくない。であれば、中身を変えるべきだ。選手数不足でマッチメイクの幅を出せず大型興行を打てないという大きな課題を解決しに行く提案だ。大沢は、ふむふむと頷いた。
「……で、その分、人件費や興行費用、宣伝費、その他経費は増加するはずだが大丈夫か?」
「はい。それを踏まえても、年間一九百万円の純利益増、回収年数は四年を見込みます」
 ミナミが答える。
「これだけ興行の規模を大きして営業リソースは足りるのか?」
 大沢の質問に対して、北沢が営業部長として自信満々に答えた。
「はい。先月から本格的にDX効果が出てきています。選手一〇名増えることによる管理負担増を踏まえても、営業部隊としては、興行の増強への対応は可能です」
 大沢はわかった、わかったというふうに微笑んだ。
「では、前向きに進めるとしようか」
 そこで、ミナミが手を挙げる。
「ところで、大沢社長は以前私に『この件を担当するか否か自分で決めるように』とおっしゃってましたよね」
 ミナミの挑戦的な視線。大沢は受けて立つ。
「確かに言ったな。何か条件でもあるのか?」
「はい。あります」
 ミナミは凛とした表情で言い放った。
「私が担当してM&Aを成立できたら、ワカバちゃんのヒール転向を撤回してください」
 ミナミは大沢から視線を外さずに要求した。
「その理由は?」
「QoRはイズミさん筆頭に何人かのベテランヒールを有しています。それならば、ワカバちゃんにヒールを強要する必要はないはずです」
 社長室に殴り込んでからぎこちない雰囲気が続いていたが、今日は霧が晴れたようにしっかりとした表情で主張するミナミ。それを受け、大沢は小さく頷く。
「なるほど。理屈は通る。わかった、ワカバの件は撤回してもいいよ」
「本当ですか?」
「ただし、こちらからも二つの条件がある」
 まさかの逆条件。ミナミは唾をごくりと飲み込んだ。嫌な予感しかしない。
「次でプロ合格すること。できなければ社員に専念すること」
 いきなり高めのストレート。
(つまり……プロレスラーになる最後のチャンスってこと?)
 ミナミは一瞬ひるんだが、すぐに決意を取り戻す。
(そもそも、次が最終チャンスと思ってやってきた。受けて立とう)
 ミナミは、真剣な表情で頷いた。
「もう一つの条件は、ミナミが覆面ヒールレスラーになること」
「ええ?」
 二つ目の要求は完全に予想外だった。自分がヒール宣告されるとは……
「でも……QoRが買収できるのに、なぜ私もヒールをやらなきゃいけないんですか?」
「ミナミの場合、本当にプロレスラーになりたいなら、ヒールから始めた方がよい。おれがそう確信しているからだ」
「会社のためではなく……私のため?」
「ああ。それがミナミのためになると考えている」
 大沢の意図が呑み込めない。
「理由を教えてください」
「それは自分でつかんでほしいから、おれの口からは言わない。だから、これを受けるかどうかはミナミが決めればいい。まだ時間はある。プロテストまでに考えておいてくれ」
 こうして、ミナミは新たな大きな問題を抱えながら、社長室を後にした。

 そこから一か月。ミナミは鬼のような働きを見せた。
 QoRの株主に、『意向表明書』という書面をもって、買収条件案を提示。交渉を経て最終的に買収価額は四千万円。買収に向けてDD(デューデリジェンスと呼ばれる対象企業の会社調査)や契約交渉、行政諸手続きのために弁護士・会計士を雇う費用八百万円。さらに、M&A仲介への手数料五パーセント(二百万円)を含めると、合計の買収費用は五千万円となる。
 DDでは自ら弁護士・会計士を連れて新宿のQoRシェアオフィスに乗り込み、イズミから様々な情報を提供してもらいながら分析を進めた。そして、契約交渉。その裏では、こっそりとタマちゃんのサポートが支えている。ところどころでアドバイスを耳打ちしてくれた。
 そして七月下旬についにDDは完了。そして、契約条件も合意を見た。
 あとは、社内手続きとして、取締役会で決定することで概ね決着する。
「株式譲渡契約へのご承認をお願いします」
「資金はどうだ?」
「ギリギリですが、春にDXのために五千万円借りているので、手持ち資金でやりくりしたいと思います」
 代田も補足する。
「GW大会が好調だったから、資金繰りは何とかなりそうよ」
 大沢はゆっくりと頷く。
「それは良かった。で、今後のスケジュールは?」
 ミナミは恐る恐る答える。
「弁護士によると、たぶん八月末とのことです」
「ずいぶん先の話だな」
 今は七月末。一か月以上かかるということだ。
「はい、実は選手契約とスポンサーとの契約の関係がいくつか複雑でして、契約の整理と移管に少し時間がかかりそうです……」
「なるほど。まあ、確かにあそこは選手の個人による契約も多そうだからな」
 大沢に遅いと叱咤されるかと思っていたが、意外にもすんなり受け入れられた。
「夏休み大会はSJWの毎年のビッグイベントだからそれなりの集客も期待できるが、その後の秋シーズンは例年苦戦する。であればちょうどその時期に盛大なQoR統合発表を考えてみよう。秋の売上も延ばせるかもしれない」
「なるほど、そういう考え方もあるんですね」
「ものは考えようだ。よし、じゃあ、これで取締役会決議としよう」
 こうして、ミナミはついに買収実行の確約を果たした。
 だが、喜んでいる暇はなかった。ミナミは、ありがとうございますとお礼を言うと、思いつめた表情で、行くところがあるといい残して、慌ただしく本社を後にした。

 中央線、総武線を乗り継いで水道橋駅へ。後楽園ドームの手前左側に後楽園ホールがある。主催者パスを見せて四階の控室に入る。SJWの中堅選手たちが控えていた。
「あらミナミちゃん、珍しいわね。今日は観戦?」
「はい。あの、第三試合は始まってますか?」
「ちょうど今盛り上がっているところよ」
「ありがとうございます」
 急いでSJWのロゴが入った練習用トレーナーを羽織ると控室を飛び出す。
(何とか間に合いそうだ)
 五階のメインホールに入ると大きな歓声。ミナミはリングへ向かって歩き出す。警備員はトレーナーと主催者パスを見て道を開ける。
 試合は佳境だった。ワカバが未だに慣れないヒール攻撃。ぎこちない動作でパイプ椅子を先輩に打ち下ろす。場内からはブーイングの嵐だ。得意のフランケンシュタイナーでフィニッシュを狙うが、フォールは返されてしまい、逆に相手の必殺技を受けてしまう。
 カウントスリー。
 勝負は決した。リング中央で動けないワカバ。ミナミはたまらずリングに駆け上がる。
「ワカバちゃん。大丈夫?」
 失神間際のワカバは、覆面の下で朦朧とした目でミナミを見つめた。
「……ミナミさん?」
「ワカバちゃん、今までよく頑張ったね。やっと、社長の許可をもらってきたよ」
「え?」
「ワカバちゃんがヒールをやめるって許可」
「……うそ?」
 ミナミは覚悟を決めていた。
「本当よ。だから、ヒールやめたかったらマスク脱いでいいんだよ」
 優しく微笑むと、ワカバはマスクの下でボロボロと涙を流した。
「はい、脱ぎたいです……」
 ミナミはワカバの半身を起こすと、後ろに回りゆっくりとマスクの紐をほどいていく。
 試合後のリング上の異変に気付き始めた観客たちがザワザワし始めていた。
 マスクを外す。
 その行為は、ワカバをヒールから戻すだけでなく、ミナミ自身が社長との約束を守りヒールになることを受け入れる意思表示でもある。
 夏休み大会だからカメラも回っていてリアルタイム動画配信もされている。後戻りはできない。
「はい、マスク外れたわ」
 これ以上ないほどにかわいい、涙に濡れたアイドル顔があらわになった。
 マスクをワカバに手渡し、そして強く抱きしめる。
「今まで、よく頑張ったね」
「……ミナミさん、ありがとう」
 二人は観客に一礼するとリングを後にした。

 ミナミが本社に戻るとすでに一九時を回っていた。おそるおそる、社長室をノックする。大沢はまだ会社にいた。ミナミが来ることを予測していたのだろう。驚きもせずに迎え入れた。ミナミはすぐに頭を下げた。
「まだプロテスト受かっていないのに、ワカバちゃんのマスクを外しました」
 厳密にいえばM&Aは契約締結したが、実行まで一か月以上ある。ヒールになる約束も、そもそもまずは二か月先のプロテストに受かってからの話だ。それにも関わらず、勝手にワカバのマスクを外してヒール撤回をしてきた。明らかに、フライング、もしくは約束反故、しかも確信犯である。
「……」
 沈黙する大沢。こういうときは、怒号でもいいから何か言ってほしい。ミナミは頭を下げた姿勢のまま、怒鳴られるのを待った。でも、大沢は小さな声で何かを呟いただけ。
(え? いま……何か言いましたか?)
 ミナミはびっくりして顔を上げる。大沢は怒っていなかった。
「配信は見ていた。ミナミとして覚悟を決めた、と受け取っていいんだな?」
「は、はい。覚悟は決めました。大沢社長のご指示の通り覆面ヒールでデビューします」
「……わかった。であれば、ワカバは次回からアキラのチームに戻らせる。これで決着だ。だから、ミナミはM&A完了とプロテストに集中しろ」
 それを聞いて、ミナミは明るい表情を取り戻した。
「はい」
「笑ってる場合じゃないぞ。もうプロテストに落ちることは許されない。次が最後だ」
「はい、任せてください」
 一礼するとミナミは明るい表情で出ていった。
 大沢は一人社長室に残り、席にどさっと座ると拳をこめかみにあてた。誰にも聞こえないほど小さな声で、もう一度何かを呟く。その口元は、わずかに微笑んでいるようだった。


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