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最初の体験

自分にとって、「食べる」の最初の体験は、はじめて母乳を飲んだ体験である。
厳密に言うと、それは「飲む」なのかもしれないが、「栄養素の経口摂取」という意味では、それが最初の体験であった。

とにかく、衝撃だった。

悲しみ、苦しみ、不安、嘆きが、一気に自分の中に流れ込んできた。

いろんな情報が一気に入ってきて、それがからだじゅうに行き渡るような感じだった。

からだは自然と、どんどん吸い続ける。

悲しくて苦しくてつらくてやめたいのに、からだはそれをやめられない。
とても怖かった。

そうやってしばらく吸い続けているうちに、内側になにかが満ちて、自然とからだは吸うことをやめる。

からだがあたたかくなり、ゆるんで、ねむくなる。
そしてそのままねむる。

最初の体験は、そんな感じだった。

からだがいろんなふうに反応して、音を発すると、その一連の出来事がやってきては終わるのだった。

怖くて苦しくて悲しくてつらいけれど、終わるころには満たされたかんじとあたたかさがやってくる、不思議な現象であった。

そして、その最初の体験で感じたフィーリングや感情のパターンを、現在に至るまで持ち続けているような気がする。
「食べるということ」に関わる、反応のパターンとして。

「食べるということ」のすべてのはじまりが、ここにあるような気がするのだ。

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