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自己矯正記29「課題の分離 他者介入を考えてみる」


とある介護事業所で責任者をしながら札幌プペルトラックを楽しみにしてる男、rvuです。

さいとうしほ さんという学生さんが行ったクラウドファウンディングで200万円の支援を受けて実施に漕ぎ着けたようです。
学生のうちにクラファンでこういった実績を上げられるのは素晴らしい!

光る絵本展 札幌プペルトラックを走らせる!

「課題の分離」

さて、口を酸っぱくして度々お話ししているアドラー心理学における「課題の分離」です。
自分の課題と他者の課題を明確に分け、それぞれの課題には介入しないことが原則となります。
課題は「その結果を受け取る人が誰なのか」で誰の課題なのかを判断します。
注意すべきは結果による影響は関係ないということ。
その影響に対してどう判断するかはその影響を受ける人の課題です。

「介入しないとは?」

この言葉だけ聞くと「関わらない」「口や手を出してはいけない」と受け取れます。
しかしそれは間違いです。

「嫌われる勇気」の中にこんな例えがあります。
「馬を水辺に連れて行くことは出来ても飲ませることは出来ない」
これは水辺に連れて行く手助けはするけど、飲むか飲まないかは馬の判断、つまり課題だという話です。

ここから読み取れるように「介入しない」というのは「関わらない」ということではないということ。

むしろ出来うる限りの手助けをするかどうかは「自分の課題」であり、その結果相手がどうするかは「他者の課題」ということです。

「自立支援に似てる」

介護において自立支援は基礎の言葉です。
過度にケアをせずその人が限りなく自立に近い状態を心掛けます。

これは私なりの理解ですが、特に認知症における自立支援は自立という形以上に、「自分でした」という達成感による所が大きいと考えます。
実際、口に食べ物を運ぶこともできない方はいますが、だから自立していないのではなくて、口まで運んであげて自分の口で食べることがその人にとっての自立であると考えるべきではないかと思います。

過度にケアをすることはその人の課題への介入。
適切な程度のケアを提供することが介護者の課題。
現状の自分でできることをしていくことが利用者の課題。

ただし、認知症ではやる気やら気分やらが大きく影響するので、柔軟性を持ってその時々で判断することも介護者の課題かと思います。

今日はスラスラと書けた気がします😊
最後まで読んでくれてありがとうございました!

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