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創作小説 香炉峰の雪、布団の中であなたと

 布団から出て来ない聡に声をかける。
「ねえ、やっぱり雪が積もったよ」
「うーん、良かったね。薫ちゃん」
 そんな風に言ってくれるけど、起き上がる気配は無い。昨夜は数年に一度の大寒波の夜だったのに、聡は終電まで職場の同僚とお酒を飲んでいた。
「電車も止まってるみたい。でも、休日の朝だから助かったね」
 布団に丸まったままの聡からの反応はない。意地悪な気持ちじゃなくて、心からの優しさで、(人はそれをおせっかいと呼ぶのだろう)寝室のカーテンを開ける。白銀の雪景色は、少し眩しい。
「おう、綺麗だ。雪国で暮らしたおかげだね。東京じゃこんな景色見れないよ」
 聡は布団から頭だけをだして窓の外を眺め、全く心がこもっていないセリフを言う。私たちがこの部屋を借りた決定打の一つである、窓から見える山脈には雪が積もっている。
「香炉峰の雪みたい」
 私は一人呟く。聡に言ってもきっとピンと来ないだろう。

日高睡足猶慵起
小閤重衾不怕寒
遺愛寺鐘欹枕聽
香鑪峯雪撥簾看
匡廬便是逃名地
司馬仍爲送老官
心泰身寧是歸處
故郷可獨在長安

香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁

 この漢詩は高校の古文の時間に習った。その漢詩を踏まえたエピソードを清少納言が枕草子で書いている。
 のんびり朝寝坊をしている白居易が香炉峰という山に積もった雪を布団の中から見る。白居易は左遷されて、首都である長安ではない田舎で隠居生活を送っておりその時のことを詩にしている。

  故郷というものは、どうして長安だけにあろうか、いや長安だけではない

  その一文で終わる。田舎の生活にだって長安のような良さがあるということが言いたかったのだろうか。

 そんなとこまで私と聡の生活に当てはまる。今年の夏、結婚生活二年目の私たちは、東京からこの土地に引っ越してきた。聡が転勤を命じられ、私は新卒から続けていた会社を辞めざるを得ず、家族も友達もいない土地で暮らすことになった。頼りになるのは聡だけだけど、こんな風に休日は家でだらだら過ごすばかりだ。そもそも私達に共通の趣味はない。スポーツが大好きで、アクティブな友達の多い聡と読書や美術館や史跡巡りが好きな私。学生の頃、友達の紹介で知り合った私たちのデートは定番なものばかりだった。居酒屋、映画(聡は始まって十分で寝息を立てていた)、水族館。何かに一緒にはまったことなんてない。この漢詩の話だってきっと聡に話しても、「ふーん」か「薫ちゃんはすごいね。博識だね」のどちらかしか返ってこないだろう。別にそのことにすごく憤りを感じているわけではないけれど、少し寂しいなと思う。

「ねえ、薫ちゃん。ちょっとこっちおいで」
 私は聡に引っ張られる。布団の中でぎゅっと抱きしめられる。まだまだ眠たい聡の体温はとても暖かく、さっきまでの寒い冬の朝の感覚を忘れる。
「雪綺麗だね」
 私たちは一緒に振ってくる雪を眺める。
「ねぇ今日はおでんにしようよ。年末に一緒に選んだ地酒でも開けてさ。雪だけど商店街やっているよね?あそこで薫ちゃんの好きな焼き鳥も買おうよ」

 家族って多分こんな感じだ。完璧にお互いの趣味嗜好を理解し合えるわけないし、足りないものを埋め合うんだと思う。冬の朝の布団から、私も抜けられない。

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