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映画「あの子は貴族」と駅ビルの美味しかったパスタについて

映画「あの子は貴族」を観た。
東京の富裕層の家庭で育てられた女性と地方の少し経済的に苦しい家庭出身の女性の人生が、1人の男性を巡ってほんの少し交差する話。
 
胸がヒリヒリしたのは、私が地方出身で勉強して東京に上京する切符を得た経験があったからだ。
そして劇中で、東京では同じレベルの人としか巡り合わない構造になっているという話も、ヒヤッとした。貴族のような本物のお金持ちに私は出会ったことがないから。

この話の大切なポイントは、女性を分断しようとか、都会と田舎を分断しようとかしていないところ。
はっきりと違いがあることを、リアリティたっぷりの描写で見せつけながらも、そこのどちらにも幸せと不幸があることを描いている。
私たちはどこで生きるかでは無く、どう生きるかを問われていると感じた。

さて、タイトルに駅ビルの美味しかったパスタと書いたのは、ただの日記ではなく、この映画と関係してると私が思ったからだ。

先日、2度目の上京をした。
(ごめんなさい!正しくは横浜市です。田舎者の私は同じようなものだと思ってるけど違う?!)
今回は学生の頃のように、東京に行きたいと願って努力したわけではなく、夫の転勤先に同行する形だ。
幸い学生の頃を過ごした土地だから、友達も多く、不安もない。
ただ、地方での教員生活や里帰りで過ごした本物の田舎でのスローライフを経て、私は都会と田舎どっちで暮らすべきなのか?モヤモヤ悩んでいた。特に、最近家を買ったという話題がチラホラ聞こえてくるのもあり。

でも、やっぱり家の高さを考えると、最終的には田舎かな…などと考えている。
自分自身が田舎出身で都内の公立の大学に進学したことや夫も田舎出身で国立の大学、就職先で都内という経歴なこともあり、子供の教育のため・という気持ちがあまりないのが大きい。
選択肢として都会にも住める、関係をもてる状態であれば、都内にこだわらなくてもいいのかな?
子供が望んだら送り出してあげる経済的余裕があり、都会につながりがあれば、大きい家で車でイオンにいく生活でもいいと思ってる。
田舎ってこんなに良さがあるし!
などと一人勝手に思案している。

そんな中、はりきった親の運転で引越し先まで送り届けてもらった。(親に恵まれてます。本当にありがとう。)
そこで大きい駅の適当に入ったビルの最上階のレストランでパスタを食べたのだけど、それがとても美味しかったんです。
田舎で食べようと思ったら、食べログで調べて、名店と言われるような店にいかないと食べられない味だと思った。値段は1.5倍くらい?

ああ、都会で生きるってこういう風に質が上がることで、一度上がった質って落とすの大変なんだよなとしみじみ思った。

そこから、ほんの数日だけど、街をぶらぶらしながら考えたのは…この映画を見たことも関係してるのだろうけど、都会と田舎比べて、どっちが住みやすいかと決めるものでは無いんだということ。 
月並みな言葉だけど、どっちにも良さがあるし、私はどっちも楽しめちゃう順応性があるのだ!

映画を見て思った、どう生きるかも大切だし、個人的には、違う選択肢を選べる強さと柔軟性を持つことか大切だと思っている。
例えばそれはどこでも働ける強みだったり、新しいコミュニティーにとけ込めるコミュ力だったり…。

ただ、1つ言えることとして、それは私がどちらもの世界を見ることが出来たからだ。親が都内の大学に進学させてくれたこと、そもそも勉強頑張る環境だったこと…などなど。同じ県でずっと暮らし居てる両親が私にチャンスをくれたことを本当に感謝してます。
(余談だけど海外生活もしたらまたさらに選択肢が増えるんだろうな〜!)

30歳を越えて、子供が産まれて、家を建てなくちゃ!マンション買わなくちゃ!と、世間の普通にとらわれていて自分が浮き彫りになったな。

映画のような富裕層とは縁の薄い生活のため、駅ビルのちょっと高いパスタという所帯染みた話に関連づけてしまったが、なんだか通じるものがあるような気がした。

今、私が住んでいる街を愛していきたい。


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