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創作小説 中島みゆき「悪女」

歌の世界を小説にしています。
今回は中島みゆき「悪女」

新宿駅を出て、徹と暮らす部屋までの距離をスマホアプリで調べる。
甲州街道経由 3.3km 徒歩46分。

実家から中学校までの距離と同じくらいだ。自転車通学だったけど、大雨や雪の日は歩いて学校へ通った。ちょうどよい時間にバスも走っていない田舎だったし、朝早くから仕事に向かう母親に送迎を頼むことなんて出来なかった。川沿いの堤防を傘をさして歩いているとよく友達が乗った車に追い抜かれた。「優香ちゃんも乗る?お母さんが乗ればって」時々、車を止めてそう言われたが、私は微笑んで首を振った。「歩くの好きなの」そう言うと、友達も友達の母親も困ったような顔を浮かべる。

あの頃から強がってばかりだ。

スマホを見ると時間は22時。金曜日の繁華街。お酒を飲んで上機嫌な人たちが多くいて街は賑やか。一時間前に徹に電話を掛けたのに、通話中で折り返しはまだない。家に帰るまでの間に何か連絡があれば、何も言わずに部屋へ帰ろう。そう思って私は歩いて46分の道を選ぶ。

高校卒業後、親の反対を押し切って東京の看護学校へ入学した。本当は服飾の学校に行きたかったけど、現実的に生活出来る仕事を選ばないとと思った。そういう真面目な気持ちはあるけど、親や友達、近所の人、田舎での18年間はあまりに閉鎖的で、自由になりたいという思いから上京することを決めた。一部は親が出してくれたが、残りの学費や生活のためにアルバイトで忙しかった。19歳の夏に徹とは居酒屋のバイト先で出会った。年上の徹は私の外見に恋をした。徹は大学院生で、親が借りてくれた都内の1LDKのマンションに住んでいた。優しくて、余裕のある年上の徹のことを私も好きになり、徹がさも当たり前のように自分の部屋で暮らすように提案した。私の経済な面を心配してではなく、単に一緒にいたいと思っていたからだ。結果的に、徹との共同生活にかなり助けられたのだけど。それから2年。私は無事に国試に受かって看護師になり、徹は社会人になり建築士として働いている。

私は徹と結婚する。そんな未来が当たり前に来ると思っていた。

「お姉さん、一人?」
突然男に声をかけられ、無視をする。ナンパではなくキャバクラのキャッチだろう。見た目が派手なせいで、こういう声かけが多くてうんざりする。スマホを開くが、やっぱり徹からの返事はない。

徹に好きな子が出来たことはもう分かっている。
でも、徹は優しいから私との関係を清算することが出来ないことも。

徹は優しい親に育てられ、一生懸命勉強して良い大学に入り、建築士の資格も取って会社でも先輩に可愛がられている。
努力して自分で勝ち取った成果だと信じて疑わないその素直さが好きだ。
私が親の話をすると心から心配そうに「お母さんは絶対優香ちゃんに会いたがっているよ。もっと帰省したら?」そう言った。
少し心がざわつくけどそんなひねくれていないところも好きだ。
友達が私よりもずっと多いところも。
動物と家族の感動系のドラマですぐ泣くところも。
何か災害があると学生の頃から必ず募金をするところも。
私のことを後ろから抱きしめて眠るところも。

もうすぐ家についてしまうというのに、やっぱり徹からの連絡はない。
私は都会の真ん中の国道の歩道に一人立ちすくむ。
いつも電車で移動しているからこの道がどこにつながっているか、いまいちよく分からない。駅と駅の距離が思っていたより近かったり、電車では行き辛い場所が車ではあっという間だったり。

徹は決して私に別れ話を言わないだろう。

だから、私から悪女のふりして、新しい恋をしたと告げよう。
だって、徹が大好きだから。徹の優しいところが好きだから。

目線を上にあげると、空には大きな満月が浮かんでいる。都会の中では星々はちっとも見えないけど、月の光は揺らがない。大粒の涙が頬をつたい、その温かさに驚く。



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