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“ JKブランド”と”老害”①

”JKブランド”という言葉について

駅前で女子高生が、「JKブランドが…」と話をしていて、戦慄した。
最悪の言葉だと思った。

そもそも”JKブランド”とは、女子高生である時期をステータスだと感じて使う言葉だ。
私は高校教諭をしていたので、そういう表現で自分たちをくくる派手で元気な女の子を何人も見てきた。
特に、制服姿のインスタに「#JKブランド」などのタグを付けて使っていた。

私がこの言葉に戦慄を覚えるのは、女性がある一定の時期をピークだと感じる気持ちに抵抗感があるからだ。

あえて説明はしないが、私が子供の頃は、婚期とクリスマスケーキを関連させた表現が世の中で当たり前のように使われていた。
(「29歳のクリスマス」なんてドラマもあったよね。)
社会の変化に合わせて、そうした価値観も変化していき、二十代半ばで結婚しなくては…と焦る人はほとんどいないだろう。
でも、やっぱり30歳までには結婚したい!だなんて気持ちを抱いている二十代の女性は多いと思う。

社会や周りの人間関係によって、自分の価値が決まっていく。
妊娠の問題や最終学歴、働き方などに合わせて、そうした適切な時期が変化することは仕方がないと思う。
ただ、それが圧倒的に女性だけにあてはめられていることが問題だ。

そんな気持ちは、多くの女性が抱いている良くありふれたものだろう。

ただ、私がものすごく嫌悪感を抱いたのは、そういう自身の市場価値という意識を、高校生までもが持っているという現実だ。

大げさな表現だと思うかもしれないけど、私は高校生が安易に「制服ディズニーができる」とか「学園ドラマみたいな恋ができる」とか「部活で青春」とかそんな自分たち発信の前向きな気持ちだけで、その言葉を使っているとは到底思えない。

どこかで誰かに刷り込まれた「若い時期が、一番可愛い」「社会に出たらつまらない」「今しかちやほやされない」そういう言葉に、高校生が振り回されていると思えて仕方ないのだ。

(女子高生が女性的魅力のピークだと感じる男性に、すごく嫌悪感があるという個人的な気持ちもある。)

自分が高校生だった時に、そんな言葉聞いたこともなかった。

私が、芋臭い、田舎の、真面目な女子高校生だったから、かもしれないけど、未来に対して希望で満ちていた。
高校を卒業したら、好きなおしゃれをしたり、自分が選んだことを学び、バイトして自由なお金で好きなことをしたい。
そんな気持ちでいっぱいだった。

私は高校教諭をしていたくらい、高校生が大好きだ。
自分の存在について悩み、友人たちとの絆を求め、理想と現実に葛藤している。
何よりも「自分らしさ」みたいなものを、みんなもがきながら獲得しようとしているように感じている。
そんな彼らにとって、「年を重ねたら、今よりダメになる」みたいな気持ちは本当に持ってほしくない。

「LGBT」への意識は、社会で大きく変わっていると感じる。
同じように、「女性」への意識も私たちが変えないといけない。
そう思えて仕方ない。

そんな風に考えていた時に、百貨店の中華料理屋でランチ中にあることを感じた。
・・・(続きます。)

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