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【短編小説】 俺 vs 読書感想文(中) 学科編



 読書感想文の簡単な書き方。
 そんなものは学校で習った記憶がない。教科書にもなかったはずだ。毎年「はい、読書感想文は5枚ね」と言われるだけだ。
 いや、もしかしたら女子だけは教わっているのではないか? 保健体育で、男女が分かれて授業を受ける時……

 それはさておき、俺は前のめりになった。
「あるんですか、そんなものが」
「近い」
 俺は身を引いて、絨毯の上に正座した。
「教えていただけますか?」

 姉貴は椅子に座り直した。まるで女王様と奴隷だ。
「1000円で教えられるまでで簡単に言うとねぇ。テンプレがあるわけよ」
「てんぷれ?」
「テンプレート。『型』があるの『型』が。正確には学校の教育現場でこれがよしとされている『型』ね」
「はぁ」
「わかってないでしょ」
「ハイ」
「そうだな。あんた、ゲームやるでしょ」
「そりゃあもう、バリバリにやりますよ。昨日も朝の4時まで近未来の世界で」
 姉貴は俺の言葉を無視して続ける。
「ゲームをはじめる時にさ、説明書を読んだり、操作方法を知るでしょ。あのほら、簡単なステージで……」
「チュートリアル」
「答えが早いな。まぁその、チュートリアル? でやり方を記憶するでしょ。基本の『型』をさ。アイテムを手に入れたら使ってみるし、新しい技を覚えたら、あのー」
「コマンド」
「早いな。それを確認して出してみる。それを指先、体に覚えさせる。ここまではわかった?」
「はいわかりました」
「で、この『型』ってのが、学習でも勉強でも、もちろん読書感想文にもあるの。わかる?」
「わかりません」
 俺は首を横に振った。
「雰囲気で勉強をしてるので、わかりません」
「まぁ説明すると長くなるから、今回は読書感想文だけでいいか……」


 姉貴は机の隅からメモ紙を取ってさらさらと何やら書いた。終えてから俺に見せつけるように突き出した。
「はいこれ。これが読書感想文のだいたいの『型』です」



1.ごく簡単なあらすじや説明、あるいはこの本を読むに至るまで

2.印象的だった台詞や場面を抜き出す

3.その時の登場人物や作者の気持ちを想像する

4.それらの台詞や場面・気持ちを、自分の体験と比べてみる

5.自分をサゲて、読んだ本や作者をアゲて、「感動した」「見習いたい」「これからの人生に生かしていきたい」など前向きにシメる



「……これだけ?」俺は紙を受け取って二回読んでから聞いた。  
「そうこれだけ。前後はするかもしれないけど、これで読書感想文が書ける。どんな本でもね」
「どんな本でも? 2000字、埋まるの?」 
「埋まるよ。っていうかそもそもあんた、2000字書かなきゃいけないって思うからキツいんだよ」 
 ちょっと原稿用紙持ってきてみな、と姉貴は言う。部屋から持ってきたまっさらで真っ白な5枚を渡すと、1枚を広げてみせた。
「これ、1枚20行あるでしょ?」
「いち、にい、さん、しぃ……」
「数えなくていい。とにかくこのタイプの原稿用紙は、20文字かける20行。これで400文字」
「これを5枚だろ? 改行とかあるけど、2000字くらいは書かなきゃいけないじゃん」
「はい、それもう一回言ってみて」
「『改行とかあるけど、2000字くらいは』」
「はい『改行』。これ重要。つまり、1900字とか書かなくていいわけ。あんたが埋めなきゃいけないのは2000文字のマス目じゃなく、20行かける5枚の100行なんだよね」
「…………?」
 俺は首をひねってみせた。よくわからないようなわかるような気がする。
 まだわかんないかぁ、と姉貴はシャーペンを取り出してカチカチ芯を出し、ごく軽い手つきでマス目を埋めた。
「ほら見てみな」
 そこにはこう書いてあった。


「あっ」
 僕は思いました。



「あっ」
 俺は思いました。
「2行、埋まってる」
「これで残り98行」姉貴は悪い笑顔になった。
「これにプラスして、『です・ます調』で書くと文字数が稼げるし、あと似たような表現を繰り返したりとか……どう? チョロくない?」
「チョロいかも」勇気が湧いてきた。これは、いけそうではないだろうか。 
 
「……いやぁ実は私もねぇ~、読書感想文、嫌いだったんだよね~」
 部屋を埋めつくす本を眺めながら姉貴がしみじみとそう言うので、俺は驚いた。
「本が好きなのに、読書感想文が嫌いなの?」
「そう。あんたゲーム好きでしょ。でもゲームが、学校の授業になったらどう?」
「どう、って」
「たとえば、『明日までにスコア10万点出してこい』とか『前に出てここのボスの攻略法を説明してみろ』とか先生に言われたら」
「それは、嫌かもなぁ」
「ここのコースは君のやり方でもクリアできるけど、正規のやり方はこうだからね、これで覚えてね、とかさ」
「あ~、それは嫌だな」
「高校までの勉強ってのは、つまりそういうことなんだよ」

 姉貴は思うところがあるのか、長々と語り出した。

「正しいとされているルートによる、決められたクリアの方法しか、基本的には認められないわけ。
 別ルートを見つけても、裏技……チートって言うの? を使っても、それは正式なやり方じゃないね、って釘を刺される。
 しかも学校は、『これ以外にクリアの方法はないですよ』みたいな顔をして教えてくるわけよ。他のルートはないことになってる。
 もちろん、歴史なんかは微妙な問題を孕んでるから、『正しいルート』を教えることがおかしいとは思わないけどさ。
 で、そういう学校教育があらかた方便であり、仮のものである、ってことを教わるのが、大学なんだけどね。
 まぁ今じゃ大学も、いろいろあって高校の延長、モラトリアム、都会へ出る理由付けに堕しちゃってるんだけども」
「お姉さん」
「ただ実際問題として、高校までの方便、建前としての勉強が不要かと言うとそうじゃなくてさ」
「あの、すいません」
「方便、建前をきちんと身につけているからこそ、それを解体していけるんだよね。型を学んでから型を崩さないと」
「おいコラ」
「何? 人が丁寧に説明してあげてんのに」
「説明もありがたいんですけどね、差し迫ってるんスよ」
「そうなの」
「型を教えてもらっても、たぶん4時間はかかるんで、そろそろ書かないとダメなんスよ」
「4時間も? まぁ、あんただしね」
「で、まだ本も読んでないんです」
「それは……私は知らないよ……」 
 知らないよ、だなんてそんな冷たいこと言わないでほしい。

 俺は簡単にすぐ読めて読書感想文が書きやすい本はないですか、と聞いた。
 姉貴は言った。
「ビジネス書とか自己啓発本ならパッと読めてわかりやすくてうってつけなんだろうけど、あいにくそういう本は持ってなくてさ」
 どうしてだ。こんなに本があるのに。ひどい。
「まぁテキトーに選びなよ」
「そのテキトーがわかんねぇんだよ」
「しょうがないなぁ。じゃあしばらく部屋を空けといてやるから、何冊か持っていきなよ……」
 姉貴は露骨に面倒そうな顔をして、今まで読んでいた分厚い本を片手に部屋を出ていった。
 一度出てから首だけ覗かせて、女子の部屋だから! 本以外のものは触っちゃダメだからね! と要らぬ釘を刺された。バカめ。誰がそんなものを探すか。俺はギリギリなんだ。
 時計を見るともう4時半を過ぎている。窓の外はまだ明るいが気は抜いていられない。せっかくの夏休み最終日を作文なんかで潰してたまるか。


 もらったメモと原稿用紙を自分の部屋に戻し、姉貴の部屋に再び入るまでの1分間で、俺は予定を立てた。


 約20分、5時までに本を選ぶ。
 晩飯を先送りにして、30分かけてヒロイヨミだかをする。
 使えそうな部分は一応、メモをとる。
 ラッキーなことに「改行したら一文字あける」などの作文の書き方は覚えている。
 そこからがんばって20行を埋める。
 姉貴の教えてくれたテンプレと技を使えばどうにかなるはずだ。 
 どうにか9時までには終わらせて、安らかな気持ちで晩ごはんを食べる。
 ゆったり風呂に入り、ゲームをして、友達に余裕のメッセージを送り、おだやかに布団に入る。


 完璧な計画に思えた。



 俺は姉貴が並べたり積んだりしている本を一冊ずつ点検していく。さっきはこの量に気分が悪くなったが、個別に見ていけばなんということはない。
 できるだけ薄くて、優しそうな内容で、わかりやすい感じの本を見つけなければならなかった。
 
 
 姉貴の部屋の本はマジで大量にあった。薄い本も厚い本もあった。
 だが。
 困ったことに、簡単に読めるやつがないのだ。
 どうせなら小学生が読むような本がありゃいいな、と考えた俺が甘かった。そんなものはない。本の壁は部屋の四面に高くそびえていて、果てがないように感じた。 
 小冊子みたいなページ数の文庫があるぞ、と手に取れば、文字が半端じゃなく小さくてかすれていた。不良品じゃないのか?
 犬についての日記かな、と棚から抜いてみたら、白黒の写真が挟まりつつなんかすげー難しい文章が並んだ本だったりする。
 タイトルが漢字一文字だし超薄いぞ! と開いてみたら改行のない文章がみっしり続いていて目が潰れかけた。

 ちくしょう、ろくな本がねぇ。あの女許さねぇ。
 そんな独り言を言っていたら、一階からお母さんの声がした。

「ちょっとあんた~! ご飯できたよ~!」

 時計を見たらもう5時半だ。信じられない。俺はこの本の山で、1時間かけてまだいいブツを発見できていない。

 これは急がないとまずい。
 晩メシなんか食べている場合ではない。

 だがしかし、念のため、メニューだけでも聞いておこうと思った。
 俺は姉貴の部屋のドアを開けて、お母さんに聞いた。

「今日のごはん、なにぃー?」

「カツカレーだよ!」

 カツカレー。

 カツカレー、か…………


 俺は一階に降りて行き、カツカレーを食べた。
 リンゴも食べた。
 それからリビングでスマホをいじり、友達と「明日から学校だりい」「宿題やべー」「夏休み短すぎだろー」などと交遊した。
 なんとなく動画を観ていたら、ソシャゲの突発的なイベントがはじまったので驚いて、数時間やりこんだ。


 時計を見た。
 夜の11時だった。


 あっ。


 俺は姉貴の部屋にかけ上がった。この時間ならまだ起きて本を読んでいるはずた。
 ゴンゴンガンガンとノックをしたが返事がない。ノブに手をかけると鍵がかかっている。
「おーい、うるさいぞ」
 階段の下からお父さんの声がした。
「お、お父さんさぁ、ねーちゃん、知らない? 部屋に鍵、かかってんだけど?」
「お姉ちゃんなら、デートに行ったろ。ご飯食べる前に出かけたじゃないか」
「ハァッ?」
 いや、待て。確かにカツカレーを前にした俺の前を、姉貴が通っていった気がする。今日は遅くなるから。何あんたデート? うるさいなぁ! そんな親と娘の会話が、カツカレーに目を奪われた俺の耳を通りすぎたような記憶が、かすかに……

 勝手に入られるのが嫌なので、出かける前に鍵をかける習慣があるのは知っている。
 だがどうして、よりにもよってこんな日に。
 俺の部屋にはマンガと攻略本しかない。父母ともに本などはまるで読まない。
 読書感想文のネタとなりうる代物は、俺の部屋にしかないのだ。
 こうなったら蹴破るしかない、と後ろに数歩下がった俺を止めるように、1階からお父さんの声がした。
「もう夜遅いんだから、あんまりドタバタすんじゃないぞ! それにお前明日から学校だろ! 早く寝ろよ!」
 言葉の全てが胸に刺さった。
 このドアを無理に開けようとすれば、説教されるだろう。時間がないというのに。
 そして明日から学校だ。原稿用紙は真っ白けだ。しかも手元には、使えそうな本すらない。

 くらっ、ときた。
 これが絶望か。

 俺はどうにか体勢を立て直すと、自分の部屋に戻った。

 書いてもらった「テンプレ」のメモを手に取った。そして本棚を見る。
 ろくに使ったことのない国語、英和、漢和辞典が並ぶ。
 ゲームの攻略本が6冊。アートワーク本が1冊。
 海賊王を目指すマンガが100冊ほどと、鬼を退治するマンガが23冊。
「クソッ」
 俺は呟いた。確かこの海賊のやつと鬼退治のやつには、なんかよくわからないが小説版があったはずだ。流行っている時についでに買っておけばよかった。
 しかし嘆いていてもはじまらない。俺は押し入れを開けた。
 私服の詰まった衣装ケースの他に、学校の道具とかゲームのアレコレとかグッズとかがグチャグチャに積み上げられている。
 ここに何かしらの本があった記憶はない。でも今は、ここを探すほかに手はない。

 落としたりひっくり返したりするとさっきみたいに叱られる。なのでそろりそろりと様々なものを床に下ろしにかかった。
 高校、中学、小学校、幼稚園、奥に進むほどに俺の人生をさかのぼっていく。
 メダルとか賞状があればまだ格好がつくが、わけのわからないものがどっさりと詰まっていて俺は自分のことながら呆れた。
 だが、どれだけ奥へ進んでも、本の一冊も出てこない。
 俺はどんだけ本から縁遠い人生を送ってきたんだ、と泣きそうになりながら、幼稚園の時に描いた似顔絵や卒園アルバムを引っ張り出した。 
 もうこうなったら、卒業アルバムか卒園アルバムで読書感想文を書くしかないのかもしれない。あぁこの頃は幸せだった、賢くて元気で何でもできた、今の僕はどうだろう、こんな情けない姿で──

 そこまで考えていて、手が止まった。

 幼稚園の時に作った箱のオモチャの下から、背表紙がポコンと飛び出ている。

 卒園アルバムはさっき見つけた。小・中のアルバムもすでにある。
 1センチくらいの厚さのそれは、きちんと「本」の背表紙をしている。おたよりをまとめたモノなどではない。

 その向こうは、もう押し入れの壁だった。

 これが、これこそが、俺の部屋の中にある、唯一の「本」なのだ。

 そう思うと手が震えた。
 神はいる、そんな気持ちになった。
 しかし、こんな奥にある本とは、一体どんなものなのか……?

 俺は人さし指で、背表紙の上を押さえた。
 くっ、と引き出して、親指と中指でつまむ。適度に、重い。やはりおたよりの類じゃない。
 部屋の明かりは奥まで差し込まず、まだ本のタイトルは見えない。
 俺は期待と不安に挟み潰されそうになりながら、ゆっくりと、その本を押し入れの外、電灯の下まで持ってきた。



 長方形の小さな表紙には、こう書かれていた。




┏━━━━━┓
┃あいうえお┃
┃  の  ┃
┃え ほ ん┃
┗━━━━━┛




 このひらがなの並びに、俺の目はくらんだ。

 ぶるぶる揺れる指で、1ミリほどある厚紙のページをめくった。
 見開きの1ページ目、右には大きく、


 


 と書いてある。
 見開きのその隣、2ページ目。 
 大きく、「アリ」の絵が描いてあった。


 まさか。
 まさか全部、こういう。

 俺は分厚いページをめくる。


 


 その隣には、子供の落書きのような「イヌ」が一匹、座っている。

 きつく目を閉じて息を吸って、まためくった。


 


 その隣。
 マンガでよく見る、ソフトクリームのようにデフォルメされた、人間や動物の排泄物がある。

 スーッと気が遠くなった。こらえて、もう一度めくる。


 


「エンピツ」がただ2本、転がっている。

 俺の喉から、絶望の声が漏れた。
 次が、最後のページだった。


 


 炊いたご飯を握って三角に整え、下部に海苔をくっつけた食べ物のイラストが、そこにはあった。 


 俺は本を閉じざるを得なかった。あとに残るのは作者名や出版社などが書かれた裏表紙だけだったからだ。


 俺の腕から力が抜けて、本をとり落とした。本は床で跳ねて、表紙を上に向けた。
 いくら読んでも、「あいうえお の えほん」としか書いていなかった。
 中身も、見開き5回の10ページしかない。

 俺は顔を覆った。
 こんな無理ゲーがあるか。いや、クソゲーだ。こんなソフトを俺のスペックでクリアできるわけがない。
 ……だが人間には、無理ゲーやクソゲーに立ち向かわなければならないことがある。
 たとえば、夏休みの最終日なのに読書感想文ができておらず、手元には赤ちゃん向けの絵本しかない、そのような無理ゲーが……

 ヤケ半分で絵本を拾い机に投げ出し、椅子に座った。
 手元の、姉貴の書いたメモを見る。その一行目を。


1.ごく簡単なあらすじや説明、あるいはこの本を読むに至るまで


 俺は、この絵本で、読書感想文を書くしかなくなったのである。

【つづく】







 
 

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