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「当たり前」にご用心

話が通じる、通じない

話の通じる人がいる。1をいえば10を知り、こちらの期待以上に動いてくれる人だ。

話の通じない人がいる。1をいって1通じればいいほうで、いつもボタンがかけ違う。

マネージャーのメンターをやっていてよく相談を受けるのが、この「話の通じない」人とどう向き合えばいいのかという相談だ。

・作業依頼をしたら報告まで含めてやってほしいのに、報告がない
・お願いしていたはずの仕事を脇において他の仕事をやっている
・「こうしてほしい」と何度伝えても変わらない

確かに、これらをほっといてもやってくれるほうが何かとやりやすいというのはあるだろう。
ここで「話の通じない人」は、「やる気がない」だったり「扱いにくい」だったりというレッテルが貼られてしまう。
しかし、なぜこちらの話が通じないのか、もう少し考えてみる余地はあるのではないか。

あなたの常識、わたしの非常識

人には様々なバックグラウンドがある。

1. マジョリティ。共感を示す人々に囲まれ、自分と違う価値観の存在に気づかない
2. マイノリティ。共感を示す人々はいるが、自分たちが少数派であることを自覚している。それを誇っているかいないかは個人差がある。
3. ぼっち。ファーストペンギンという見方もできる。少なくとも周囲に価値観を共有できる人がいない

大きいところでいえば、宗教。無宗教といわれる日本人でも、暗黙的に仏教徒であるという想定がなされ、会話される。たとえば私はルーテル教会のキリスト教徒だが、そう告げるだけで驚かれる。
小さいところでは利き手。これも、私は左利きだが35になった今でも「左利きなんですか?」と驚かれる。
同質性に囲まれていると、こういったマイノリティ/ぼっちに気づきにくい。いわんや彼らの価値観をや、だ。

この図のように、同じ属性の人同士であればコンテクストは共有されている。
「話が通じない」ことはほとんどないだろう。

しかし、属性が異なりコンテクストが共有されていない場合、同じ言葉を発したときに想定する行動に差異がある。このとき、「話が通じない」が発生してしまうのだ。

「当たり前」と思ったら立ち止まろう

ではどうすればいいのか?
これは案外シンプルで、
「こんな当然のことを…」
「説明しなくてもわかるでしょ」
「当たり前だよ」
こんな言葉が出てきそうになったら、暗黙的な、共有していないコンテクストを前提としていないか考えてみよう。
「当たり前」で思考停止し言語化できていないことを言語化することで、「話が通じない」と思っていたあの人にもこの人にも、うまく伝わるかもしれない。

なにより、「話を通じさせられる」人は多いほうがよい。
「あいつは話が通じない」とレッテルを貼らず、無意識化のコンテクストを言語化し、対話してみよう。

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