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やることはいつだって溢れているし、蛇口は開きっぱなしだ

週末前に抱く夢と日曜夜の憂鬱

働き方改革が声高に叫ばれて久しい。
たしかに残業という働き方は、総量として減少したように思える。
そうであっても、平日は仕事に追われ、やりたいと思っていればいた仕事外のことができない。よし、ならば休日だ、と意気込むわけだ。

積んである本を読むぞ。
資格取得の勉強をしよう。
e-learningで機械学習をマスターだ。

しかし、いざ土曜朝を迎えると、「明日は休日だから」と夜更しした前夜の負債を体に抱え込み
SNSやNetflixを緩慢に、しかし長時間眺め
ようやく何かをやろうと思ったら日曜の夜…

そんな経験はないだろうか。
私自身、そういった行動をしてしまったことは一度や二度ではない。

GTDは強い武器。しかし敵もさるもの

「やるべきことになかなか集中できない、とりかかれない」。
これは、頭の中でやりたいこと、やるべきこと、気になっていることが混在していることがひとつ、大きな理由だろう。
そこを整理するGTDという方法。要は、頭の中のものを全部書き出して断捨離し、残ったものに優先順位をつける方法。これは間違いなく、有効ではある。

しかし、それでも手をつけられない、ということはないだろうか。
休日に限らず、平日仕事をしていてもついついSlackで自分と関わりの薄いプロジェクトの情報収集に勤しんでしまったり、同僚のtimesを眺めてしまったり…

なぜこうなってしまうのか自分なりに考えてみたのだが、
脳の情報収集チャンネルがオープンになっていることでひっきりなしに情報が来る→断捨離したはしからGTDリストに追加されていってしまうからなのではないだろうか。
さらに恐ろしいことに、情報収集に対して中毒状態になってしまい「情報収集している状態」にいないと落ち着かなくなってしまう。

GTDの文脈でいえば「情報収集の優先順位を下げる」ことである程度の対症療法にはなるだろう。
しかし実際に「優先順位を下げる」とは、どういう行動なのだろうか。

SNSからログアウトしておく
Netflixを解約しておく(課金してると、見ないともったいなく感じてしまう)
Slackなら、自分がパッシブに情報を受ける必要があるチャンネル以外からは抜ける

「なるほど、その手があったか!!」というようなものではない。しかし、まずはこのような軽量にできることからやってみると、頭の中に「気になること」が奔流のように押し寄せ、またその奔流を脳が期待してしまうような状況からは脱せるのではないだろうか。

実は、4-5月頃、まさにこの状況に陥っていた。
進めなければいけない仕事の進捗(緊急性があるわけではないが重要で、自分で自分を追い立てなければいけないもよ)が芳しくなかった。
ついSlackを見てしまうのだ。

こりゃいかん、自分の情報処理能力を超えている、と一念発起し、原則的に下記に該当するもののみを残してleaveした。
・すぐ反応する必要がある情報(インシデントなど)が流れてくる
・自分の所属母体
・心の平穏に必要なもの(仕事上の重要度は低い)

意外なほど効果的で、しばらく進捗のでなかった仕事が進むようになったし、考えるべきことを考える時間もとれるようになった。
また、脳が情報をとりにいくことよりも、考えるべきことを考えることを優先するようになった。

蛇口をひねるのは自分

もちろん情報の奔流が悪いわけではない。
むしろほしい情報はその気になれば入手できる現代は、やはり極めて便利だ。
しかしその情報量は自分にこなせるのか?
情報に飲まれてはいないか?

もし情報の奔流に翻弄され、なにもできなかった週末を啞然とながめているならば。なにかやらなければと思っているのにできず、焦燥感にかられる平日を過ごしているならば。
思い切って蛇口を、きゅっと締めてみよう。

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