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お金の匂いがしない世界はあり得るのか|全ては現象に過ぎないのか𓀡

この資本制社会に在る限り、お金の匂いは拭うことができない。

ふと、内発的なアイデアが湧いてきたかと思うと、それがお金を稼ぐためのアイデアだった、ということが多々ある。

お金のという空事は、無自覚のうちに、無意識を染めていく。

外発的動機は内発的動機を薄めてしまう。

その空事を、この世から消し去ったら、どうなるのか。

意識と無意識から空事が完全に消え、そこに真理、真実が埋め込まれた時、どのような化学反応が生じるのか。

その時、人は、いったい何を生み出しはじめるのだろうか。

何のために生きるのだろうか。

全ての人が、内側で踊る創造性を発露させた時、社会はどう変わっていくのだろうか。

真理が埋め込まれた時、空事から生じていた醜い空事が無へと帰り、共生、愛の心が再び生まれる、のではないか。

全てが広い意味でのスポーツ(ゲーム)と化した時、内側にある創造性や好奇心といった類のものは劣化してしまうのだろうか。

『幼年期の終わり(Arthur Charles Clarke)』のように芳しくない結末を迎えることもあるかもしれないが、その逆も然りだ。

全ての変数を理性で予測するのは不可能だ。

感覚的な世界、神秘的な世界がすぐそばにあるような感じがする。

既存の知識からは絶対に導かれるはずのない「何か」の存在を感じる。

それはやがて理性と巡り合い、全く新しい世界を創造し、全てを説明しはじめるのかもしれない。

そんな素敵な世界が目の前にある気がする。

世界を外側から見てみると、万物は、脳の膨大な神経ネットワークのように、繋がって、影響し合っている様子が見えてくる。

そしてそこで起きるいるのは超新星爆発と同じ『現象』でしかない。

目視することのできない小さな粒の集合体(=万物)が、その組み合わせなどによって、ありとあらゆる現象を生じさせているだけだったのだ。

だから、『何のために』『何を生み出す』という『言葉』はただの『空事』、『空気の振動によって起こる現象』に過ぎないのだ。

しかし、それを軽視していては痛い目を見てしまう

その振動は『意味』を携えて『粒(=身体や精神)』に『影響』を与えるからだ。

『音という振動、言葉という振動、本という振動、映画という振動、社会という振動 …… 』全ての振動は、ミクロレベルで私たち、すなわち万物に影響を与え得るのだ。



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