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千人伝(二百十一人目~二百十五人目)

二百十一人目 スナップ

スナップは、どこにでも映り込んだ。何気ない街並みを撮影すると、いつも片隅にスナップの姿があるのだった。ある時は柱そのものにスナップの顔があったり、米粒ほどのスナップが地面に落ちていたり、空に浮かぶ無数のうろこ雲の全てがスナップの顔であることもあった。

スナップの姿を写真の中以外で見ることはなかった。どこにでもいて、どこにもいなかった。

一時期、スナップの隣に、スナップと同じくらいの歳に見える人の顔が映り込むことがあった。時には寄り添い、抱き合い、恋人同士に見えた。しかし一時期だけで、その後長くスナップは一人であり続け、通常の人が過ごす年数よりも遥かに早く老けていった。その後、ゴミや写真の汚れのように見える姿となったが、高機能のカメラで最大に拡大すれば、老人となったスナップの顔を判別出来ることもあるという。

二百十二人目 パ楽器

パ楽器は二児のパパであり楽器であった。楽器演奏禁止の安アパートで暮らしていたため、パ楽器が昔弾いていたギターも物置の奥に仕舞われたままだった。子どもたちは学校で習うリコーダーも鍵盤キーボードも家では弾けなかった。楽器の音を出すとたちまち「この建物では楽器演奏禁止です。勧告を聞かない場合退去してもらいます」と書かれた紙がポストに投函されているのだった。

パ楽器は自らを打楽器とした。肌を、肉を、叩く音ならば、楽器として認識されないからだ。パ楽器の腹を、背中を、手足を、子どもたちはペチペチと叩いた。子どもたちの身体が大きくなるにつれ、音はベシンべシン、バチンバチンとバリエーションを増やした。叩く場所によって音色も変わり、痛さによる悲鳴もアクセントとなり、人間ドラムセットと化した。

子どもたちが巣立ってパ楽器は叩かれることがなくなると、自らをペチペチベシベシバシンいてぇ、と鳴らすようになった。妻はいつでも「何やってんのこの人」という顔をしていた。

二百十三人目 ガダ

ガダは殺し屋とか便利屋とかそんな類いの人間であったが、ある朝始まった戦争に巻き込まれて死んでしまった。

ガダは相棒と二人で大勢の人が集まる砂浜で、戦争の話などをしながら標的の到着を待っていた。
「どうして戦争を始めた人間が、その決断の瞬間に処罰されないのか?」という疑問をガダは相棒にぶつけたが、答えが返ってくる前に、標的が現れ、暗殺の準備にかかった。しかし爆撃機の群れが砂浜に飛来し、爆弾を落とし始めた。そんな中でもガダは暗殺を成功させるが、自身は木っ端微塵となってしまう。どうにか逃げ延びた相棒はガダの話を何度も思い出したが、戦争は相棒が死んだ後も続いた。

二百十四人目 珈琲

こーひー、と読む。珈琲はコーヒー好きでそんな名前になったかというとそうではなく、コーヒー園に産み捨てられた名もなき子どもだった。両親と思われる夫婦は園から逃亡すると同時に撃ち殺されていた。そんな時代を珈琲は七つの歳まで生きた。

憐憫と同情と偶然の善意に囲まれた珈琲を救った人々も長くは生きなかった。歳を取り動けなくなった者は捨てられた。園での作業中に怪我をした者は回復を待つ前に新しい労働者と交代させられ、二度と怪我が治らない身体にされた。珈琲が見続けた園での生活はそのどれもが地獄絵図と言えたが、彼女は他の世界を知らないので、当たり前のこととして全て受け入れた。

園生活の終わりは外部からの侵略と解放によるものだった。園の農作物は略奪され、園の支配者は殺戮された。園で働く者たちは解放されたが、かといってどこへ行くあても誰にもありはしなかった。園が燃え上がる中で、珈琲はじっとしてそのまま燃え尽きた。珈琲がコーヒーを口にしたことは一度もなかった。

二百十五人目 まりつき

まりつきはゴムボールをつく遊びである。まりつきは幼稚園の頃に園で一番まりつきが上手になったことでその遊びにはまり、親と国に無理やり頼み込んで自分の名前までまりつきに変更させた。まりつきはまりつきを発展させてバスケットボールを始めるとかそういう道は選ばず、ひたすらまりつきを続けることに邁進した。まりをつきながら座り、立ち、歩き、食事をした。風呂に入りながらや眠りながらのまりつきには苦労したが、それでも極めていった。

片手でゴムボールをつきつつ、もう片方の手で何でもこなした。ゴムボールの空気が抜けてきた時のために、予備のボールへ空気を入れておく作業も、高くボールをついている間にこなした。学校の教室からは追い出されたが、一人で勉強も運動も恋愛もこなした。

世間からは奇異な目で見られ、まりつきを続けるからといってこれといったメリットもなかった。しかしいつしか誰もが「彼はまりつきを止めた瞬間に死んでしまうのだ」と思うようになっていた。跳ねるゴムボールは心臓の鼓動のようなものだと信じられていた。

しかしまりつきの命は突然の事故によりあっさり失われてしまう。耐震構造で作られていなかった老朽化した石壁がまりつきの上に倒れ、彼は帰らぬ人となった。二十二年の命であった。彼が消えた後も、ゴムボールだけは、崩落した壁の横で三日三晩跳ね続けた。


関連リンク
「パ楽器」→楽器アンソロジー

「ガダ」→「C.M.C」内登場人物

「まりつき」→まりつきにハマっている息子より


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