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平野啓一郎「本心」

 2040年代の日本が舞台。AR、VR技術が発達した世界で、主人公は「リアル・アバター」として働く。遠方にいたり、日本に帰って来れなかったり、動けない状況にいたりする人などが主な顧客。死期の近いお年寄りの懐かしの場所巡りなどもする。顧客はリアル・アバターの視線を通して旅をしたり用事を済ませたりするわけだ。

 主人公の朔也(さくや)は、唯一の家族である母の死をきっかけに、仮想空間に母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)を作成する決意をする。VF需要は増えており、費用はかかるが、作り出したVF自体が仕事をこなして金を稼ぐという使い方まで出来る世界になっている。

 母は自ら死を選ぶことの出来る権利「自由死」の行使を望んでいた。朔也の反対で彼女は自由死を選べなかったが、結局事故により急死してしまう。最期の一時を、最愛の息子と過ごすことを望んでいた彼女の願いは叶うことなく、救急病院で息を引き取った。

 朔也は二十九歳。母は七十歳。事情があって高校中退の朔也は、選べる職業自体が限られており、母が残してくれた家に住んでいる分恵まれてはいるが、同僚の中には貧困層の者もいる。世間から蔑まれることのある「リアル・アバター」という職業に就きながら、家族も亡くし、失意の底で朔也は母のVFに慰められる。と同時に、どうして母は「もう十分」と言って自由死を選ぼうとしていたのか。その本心を朔也は母のVFから引き出すことを考え始める。

 生前の母を知る元同僚との出会いをきっかけに、母のVFは変わり始める。
 人が人に見せる顔は必ずしも一つではない。
 家族向けの顔、友人向けの顔、恋人向けの顔。ネット上で匿名で書き込む時の顔。
 それらを「分人主義」と平野啓一郎は定義づけた。
「前期分人主義」と分類される作品群『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』
 を読んでいたのは、仕事に追われながら、子育てはまだ始まっていなかった十年以上前のこと。限られた時間で少しずつ読む読書は、一行ずつが体に刻み込まれていった。
 その十年後、読書生活を再開した折に、まず手に取った作品群の中に、平野啓一郎『裸の迷宮』『ある男』『マチネの終わりに』などがあった。分人主義の考えに親しみながらも、何故か私自身は会社でも家でもどこでも、世界中から虐げられる立場にいた。それが「喜んでいるように見える」からだとも言われた。
 
 貧困層と、そうでない層に分かれている少し未来の現実もリアルだ。
 登場人物の一人の諦念が心に刺さる。

「やっぱり、あっちの世界まで壊しちゃいけないでしょう?」と呟いた。
「あっちの世界?」
「わたしたちのいる世界はボロボロだけど、お金持ちのいる世界は順調でしょう? あっちまで壊れちゃったら、どこにも居場所がなくなるもの。結局、こっちの世界ももっと悪くなるだろうし。それは、すべきじゃないと思う。」

 ボロボロの世界に身を置きながら、ボロボロではない世界の方の世界の存続を願うという、諦めを超えた境地に彼女はいる。でもどこか共感してしまうところがある。現状が苦しくとも、順調な層を苦しめたいなどとは考えない。

 富裕層の登場人物も出てくるのだが、彼とて不安定な位置にいる。彼の作品がある日突然誰からも認められなくなってしまったら、価値のある物と見なされなくなってしまったら、富は残っても名声は消え、彼の価値は消えてしまうかもしれない。作中には描写されていない、彼が苦しんでいるかもしれない悩みに勝手に深く付き合ってしまった。

 作中、創作者は他にもいる。朔也の母親と長く関わっていた、年老いた小説家は、ある時からの自分の作風の変化を、朔也にこう打ち明ける。

――初期の僕の作品には、半ば無自覚の、エリート主義的な欠点が露わでした。僕は、その時代に書いたものを否定します。僕は、あなたのお母さんとの関係を通じて、小説家として、自分は優しくなるべきだと、本心から思ったんです。僕の作風の変化については、色んな人が色んな理屈をつけましたけど、一番大きかったのは、それです。今、あなたに初めて言うことです。……」

 この小説家が平野啓一郎というわけではない。しかし作者が初期の作風のままで書き続けていたら、十数年前、私は彼の作品を手に取ることはなかっただろう。読みながら常に何かを考え続けるような読書を、始めることもなかっただろう。


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