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爆音でパンテラ鳴り響く真夜中に熟睡する人たち

 パンテラが再結成するという。ザック・ワイルドがギターを弾くという。
 詳細はヘビーメタル専門ニュースサイトやBURRN!などに任せて。
 それらがまだあるかどうか知らないけれど。

 二十代のいつ頃だったか、夜の公園で高校時代のバンド仲間が集まって呑んだり騒いだりしていた。誰かの原チャリに誰かが小便を引っ掛けて誰かが悲鳴をあげて。被害者は別の誰かの原チャリに小便を引っ掛けてまた別の誰かの悲鳴があがった。原チャリで来ていない者たちがそれを眺めて笑っていた。まだ若すぎた彼らと私。まだ誰も死んでいなかった。

 高校卒業から何年か経ち、それぞればらばらの場所で暮らしていたから、遠くから来ていた私と和之は終電に乗りそびれた。夜明けまで騒ぐほどの体力もなく、翌日仕事やらバイトやらが入っている人も多かった。中学時代からの付き合いの彼女と別れたばかりのアッチャンの家に、私と和之は転がり込むことにした。

「ええよ、一人で寝られんのや」
 色白でとがった顎を持つ、ロシア人とのハーフと言われても信じてしまいそうなアッチャンは、長年連れ添った彼女がいなくなって人恋しくなっていた。
 どこをどう通ってたどり着いたかの記憶はないが、灰色のアパートのアッチャンの部屋に入った私たちをすぐに眠気が襲った。
「CDかけるで」とアッチャンは言った。パンテラの「俗悪」だったか「悩殺」だったか「カウボーイ・フロム・ヘル」だったか、とにかくそのあたりのCDがかけられた。ちっとも絞られていないボリュームでモダン・ヘヴィネスのサウンドが暴れ回る中、アッチャンと和之は安らかに寝入っていた。CDはリピート再生モードになっていた。

 高校時代も当時の私もパンテラを聴き込んでいたわけではなかったが、身近な存在であった。前述の和之は高校一年生の一学期からクラスメイトを引っ張り込んでスリーピースでパンテラのコピーバンドをやっていた。和之はギター&ボーカル、つまりダイムバック・ダレル兼フィリップ・アンセルモであった。そのバンドのドラマーはやがて二年生の時に私とミッシェル・ガン・エレファントのコピーバンドをすることになるし、そのバンドのベーシストはやがて私がギターを弾いたHi-STANDARDのコピーバンドでダンサー(?)を演じることになる。私は美術の時間にBURRN!誌から切り抜いたフィリップ・アンセルモを模写した下手な油絵を描いた。

 一人眠れない私だったが、人の家で爆音のパンテラに包まれて眠れぬ夜を過ごす、というのも悪くはないと感じていた。それでもいつの間にやら眠った。翌朝は和之と二人で電車で帰った。和之は携えていたジャンベを人のいない車両で少し叩いた。

 それから数年後、アッチャンの結婚式で再会した頃の和之は、全国放浪の旅の最中に悟りを開いたとかで菜食主義者になっていた。というのは後で彼のフルネームを検索した際に判明した彼のプロフィールから知ったことであり、結婚式の際にはパンテラの曲ではなくアコギ一本で誰かのブルースを歌っていた。

 私はすっかりバンドや楽器からも遠ざかっていた。
 ある日子どもたちと行ったイオンで「太鼓の達人」をプレイし、後にアプリも入れて遊んでいた。「紅」を「レベル:むずかしい」でギリギリクリア出来るか出来ないかという範囲で楽しんでいた。「でもよく考えたら本物のドラム叩いた方が楽しいんじゃないか」と気が付き、スティックを購入。自転車で十分ほどの距離に練習スタジオがあるのを知って、ドラムの個人練習を何度かやってみた。バンドの演奏に合わせる必要もなく、好きな曲を好きなように叩く、基本も何もなっていない叩きっぷりであった。同じように個人練習に来ていたドラマーの音を聴くと、正確なリズムキープと、音量のばらつきのなさに驚かされた。

 私はパンテラの「Mouth for War」のイントロばかりを叩いた。
「思えばヘヴィ・ロックのイントロだけを叩き続けるような人生だったな」などと思いながら。
 無茶なバスドラの叩きと仕事での疲労が重なり一度目のぎっくり腰を発症してから、スタジオ通いは止めてしまった。しかし周辺にパンテラが鳴り響いていた昔よりも、今はパンテラの曲に親しく馴染んでしまっている。

 Class「夏の日の1993」を聴くと中学一年生の頃が思い出されるように、パンテラ「Walk」を聴くと、高校一年生の頃に引き戻される。和之が弾いて歌った「Walk」は彼の物真似をするバンド仲間の間で、一躍スマッシュヒットとなった一曲だった。

 ドラミングが法律で禁止され、練習スタジオは軒並み倒産し、ゴリラの絶滅した世界で、地下で営業するスタジオに夜中にお忍びでドラムを叩きに行く話を書いた。ラジオのDJがどのようなリクエストにもパンテラの曲で対応する話も書いた。和之との思い出はいろいろ変奏して「The Passenger」という話に書いた。思い出だけではなく様々なインスピレーションをパンテラは与えてくれた。

 パンテラ再結成のニュースを知った日に、近所のガソリンスタンドに灯油を買いに行った。もちろんパンテラを聴きながら。「Walk」のリズムに歩調を合わせて歩いた。帰宅して手洗いうがいの際にはイヤホンを外して「This Love」を聴いた。聴きながら、歌いながら居間に入っていくと、娘が「またか」という顔をしていた。


音楽小説集より

「Mouth for War」PANTERA

「君はどうなる」
「私はもういいの。自由に、ドラミングの出来ない世界に、生きていたくはない」
 壁に貼られた写真にふと気付く。一頭のゴリラと彼女が抱き合っていた。扉を貫通した銃弾が私に向かってきたのでドラムスティックで弾いて難を逃れたが、スティックはあっさり折れてしまった。昔使っていた樋口宗孝(ラウドネス)モデルなら、いくらでも戦えたのに。

特別編「パンテライン・レディオ」

 というわけでラストは坂本九「上を向いて歩こう」お聞き下さい。
坂本九「上を向いて歩こう」
https://youtu.be/AkFqg5wAuFk
 ……誠に申し訳ありません、スタッフの手違いにより、「上を向いて歩こう」ではなく、PANTERA「Walk」が流れてしまいました。すぐに気付きはしたのですが、上層部の「歌詞も曲調も大体一致してるから良し」との判断により、最後までお聞きいただきました。


「The Passenger」Iggy Pop

 和之はインドの民族楽器シタールを担いで、私は西アフリカの打楽器ジャンベを抱えて砂浜へ向かった。和之は海にサメ漁に出て死にかけた話をしていた。「次は山に行って悟りでも開いてくる」と簡単そうに言う。砂浜にはサンオイルの空き瓶や空気の抜けたビーチボールが転がっており、足で払いのけて私達は即席のステージを設営した。先程まで騒いでいたらしい若者達は、男女二人組になって各自何か話したりふざけあったりセックスしたりしていた。
 私は和之に尋ねた。「最初はどの曲にする?」
「決まってるだろ」そう言ってKORNの「twist」を歌い出す。というかもはや叫びだ。私達の青春の一曲は40秒間の咆哮だった。


入院費用にあてさせていただきます。