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「桜の花びらを呑み込む蛇の話」#シロクマ文芸部

 春の夢、と名前をつけられた蛇がいる。桜の花びらを主食としているから肌が桜色に染まったせいだとか、あまりに美しい稚児が蛇へと化身したのだとか言われる。その呼び名が使われるのは、室町から江戸中期あたり、染井吉野が広く植樹される明治時代以前の話であるから、現在の満開の桜の下を蛇が這うイメージとは少し違っていると考えてもらっていい。

 実際に蛇が桜の花びらを食べるかは分からないが、水面に浮かぶ花びらを亀が口に入れることはある。虫と間違えているのか、少しは栄養があるのかは知らない。確かに桜の花びらは、微かな甘みを残して口の中でふわりと溶けて消えそうな儚さを持っている。掃き集められてどさどさと口に入ってしまえば、雑味ばかりで食えたものではなさそうだが。

 桜の花びらの天ぷらが名物ですよ、桜の花びらのレシピたくさんありますよ、といった声が聞こえてきそうだが、あいにく私は食文化に疎く、実際にあったところで欲しいとも思わないので、そこは気にしないでいただきたい。本題は春の夢と名付けられた桜色の蛇のことにある。

 春の夢の正体を記してしまえば興覚めの類だが、和名アカダイショウと呼ばれる、コーンスネークという種類のヘビのことだと思われる。アメリカ大陸に住む種のため、昔の日本にはいなかったのでは? と言う方もおられるかもしれないが、海外の使節から珍種として献上されたものが逃げ出したとか、そういった例があったのではなかろうか。過去に何かしら隠匿しておきたい事件のあった寺と、美しい稚児の伝説と、桜色の肌の蛇が結びつく。山桜の花びらを飲み込み、見る人に夢を見させ、「春の夢」などと形容されるようになった。そんなところだろうか。

 学校に通うことになった。いい歳して小学生と同じ校舎に歩いて通う。そこの生徒はこれまでの人生の中で出会ってきた様々な時代の人たちがいる。夢の話である。私の見た夢の話である。どうやら受験に向けての補講的な内容らしいのだが、私は教室に入りたくないと言い張っている。
「耳鳴りが酷くて授業に集中できない。一日のうちで活動できる時間は限られているのに、遠いこの学校にまで通う時間に使ってしまいたくはない。勉強なら家でもできる」といった趣旨のことを、周りの生徒や教師に訴えかけている。

「そんなことできるはずがない」と周囲は言う。
「何が耳鳴りだ。ありもしないことをでっちあげて」と言う者もいる。
 誰も分かってはくれないのだ。それは分かり切っていたことだ。と夢の中の私はそれらの拒絶を当然のこととして受け止めている。学校から出て一人で家へ向かう。家に着いて勉強をするのかというと、もちろんしない。

 桜色の蛇と違って美しいところのない夢から覚めると巨大な耳鳴りが圧をかけてくるのは毎日変わらない。毎日何やら文章を書き、音楽で気を紛らわして耳鳴りから逃れたつもりになっていても、絶えず鳴り続けるそれは身心を徐々に蝕んでいるようで、夢にもそれが表れてしまっている。私は苦しさと醜さから逃れたくて美しい夢にすり替えようとする。春の夢と呼ばれた蛇の話を持ち出して、桜の花びらを食べる、美しすぎる稚児の成れの果てを想像し、創造する。春の夢などと呼ばれた桜色の肌を持つ蛇のことが書いてある文献など存在はしない。コーンスネークは日本では定着していない。

*

 かげ、かげ、と呼ぶ声がした。
 私の幼名を知る声に聞き覚えがあった。
 森に深く入り込みすぎた。
 寺から離れすぎた。何かに引っ張られるように足が動いた。
 かげ、かげ、と呼ぶ声の先に桜の大樹があった。
 舞い散る花びらは地面には落ちず、地を這う桜色の蛇の口に吸い込まれていった。
 何匹かの蛇が私に気付き、それらの口が、かげ、かげ、と繰り返した。
 私は引き返したかったが、何百もの桜色の蛇が私の手足を捕まえて大樹の元へと引きずっていくのだった。
 かげ、かげ? と何かを問うように声色が変わった。
 逃げようというの? ここには楽しみしかないのに。
 お前の求めた私しかいないのに。
 殺してでも他の奴らに渡したくなかった私しかいないのに。
 どこへ逃げようというの?
 いくつかの蛇の塊があいつの顔を形作る。別の所でいくつかの蛇の塊があいつの胸や背中や尻や陰部や手や足を形作る。
 人と呼ぶには美しすぎた。やはり化生の類であったのだ。
 だからあいつに触れた男たちを私が殺したのも、どうしても私一人のものにはならないあいつを私が殺したのも、全て正しいことだったのだ。
 だからどうした。だからどうした。と無数の蛇が囁く。あいつを殺してから、耳元で響き続けた耳鳴りは、全てあいつの声だったのだと、ようやく気付く。
 かげ、かげ、久しぶりに抱き合おうよ、君も桜色になろうよ、と耳鳴りが言う。
 分かった、分かった、と全てをゆだねた時に、私も数十年前の桜色の肌に戻っている。

*

 子どもたちとのお絵かき対決でお題「蛇」が出た時に、私はミミズに目がついたような蛇を書いた。絵の得意な娘は、木の枝からぶら下がる蛇、地面にとぐろを巻く蛇を、参考画像など何も見ずにさらっと書き上げた。絵心ゼロの私は昔から、うまく絵が描けなかった時に、もっと上手く描こうとか、一生懸命絵を勉強しよう、といった気持ちにはならなかった。「春の夢」というシロクマ文芸部のお題を見た時、私は春の学校に入学する夢を見ていた。無意識の内にお題に沿った文章を書こうとしていたようだった。

 少し前の話。息子とよく遊びに行く公園で、大量に掃き集められる桜の花びらを見ていた。そこに沿って這う桜色の蛇を見た。子どもたちに知らせると騒ぎになりそうなので、私は黙って桜色の蛇を見つめていたが、大量の桜の花びらを腹に吞み込んだその蛇は、しばしの間私の方に鎌首をもたげ、目を向けてきた。
「あまりうまいもんじゃないんだよ」と言って、蛇は桜の花びらを全て吐き捨てた。少し散らかった桜の花びらを足でかき集めていると「パパー、お茶!」と息子の声がした。蛇の姿はもう見えなかった。
「そっちのベンチの上に水筒置いてるよ」と声をかけたが、よく見ると、水筒はずっと私が手に持っていたままだった。

(了)

今週のシロクマ文芸部「春の夢」に参加しました。
作中に書いたように、無意識の内にお題を消化しようとしていたようです。

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