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「風待ちロマン」#シロクマ文芸部

 風車が止まったので鍋で煮込んでいたシチューが冷えてしまったの、と妻が言った。この町の動力を風車に頼り過ぎていたせいだ。すぐに復旧するだろう、と私は言って、冷えたシチューを流し込んだ。これはこれで、と言いながら、水風呂に入り、使えないテレビの黒い画面を眺めた。

 そのまま風車が動かなくなるなんて誰もが思わなかった。風が吹かなくなった。煙は真上にしか上がらなくなった。雲は一つどころに留まったまま、次第に縮んで消えていった。

 人を焼く煙を見上げながら首が痛くなってきた。
 風が止んでからというもの、飢えと渇きは日々人々を苦しめるようになった。どうにかしてまた風は吹いてくれないものか、と識者たちは日々研究会議を開いているらしいが、何も成果は上がっていない。安定して吹き続けていた強い風に頼った巨大風車は、無風の中では何の役にも立たないオブジェにしか過ぎなくなった。オブジェたちは動力を得られなくて、夜中に人を襲うこともできないでいる。

 人力で回してやればいいんだ! と意気込んで巨大風車の内部に入っていった者もいるという。前時代に作られたそれは、今の人間たちの知識では構造を理解できず、何人かの犠牲者を出したものの、風車は微動だにしなかった。

 人力で熾した火を大切に使いながら、どうにか暮らしつつ、私は本を書いている。電化製品が使い物にならなくなったせいで、紙に文字を書く「本」という文化が復興した。私の書く物語を妻に見せ、娘と息子にも回す。次の日にはそれらを学校に持っていき、学友たちと交換する。子ども向けではない本は、市場での通貨代わりにもなった。あてもなく書き続けていた物語のストックが、こういう事態になって初めて役に立っている。しかし風が吹けば、風車が動けば、また元のような世界に戻るのだ、と誰もがまだ信じていた。

「風は吹かない」と識者が結論づけた日、私は妻に「もっと字を綺麗に書かないと」と怒られていた。
「研究の結果、この星からは風が失われた、ということが分かりました」
 テレビなどないから、その宣言もまた聞きのまた聞きである。真実かどうかも疑わしい。人力による情報伝播は、正確さを欠いていく。私の書いた本の内容も、人手を渡っていくうちに書き直され、書き継がれ、私の知らない続編や決定版なんてものも出ているそうだ。

 今後もこの生活を続けていくしかないのか、と皆が諦めかけた頃、遥か上空で雲が風に流されて動くのを、誰もが目にした。その後も何度かあった。しかし風は地表にまで降りてくることはなく、巨大な風車を再び回すこともなかった。神々が嘲笑っているかのように、我々の手の届かない上空で、少しばかり風が吹いた。
「研究の結果、ごく稀に、かなりの高所においては、風が吹くこともあるそうです」と、識者は研究結果を訂正した。少しの間、風が吹く話を書いた本が増えた。

 こんな生活を昔から願っていた気もした。私の妄想の実現に、多数の人を巻き込んでしまっているのかもしれなかった。以前よりも短くなった平均寿命の中で、読者人口は増えた。今日息子が学校から持ち帰ってきたのは、昔私が書いた本に出てきた少年が、成長して大人になった話であった。
「これ、僕が書いたんだ」と息子は言った。まだまだ筋が荒いしところどころ書き間違いもあったが、魅力的な話ではあった。
「この続きはあるかな?」と私は息子に訊ねた。
「今友達と一緒に考えているところ!」と息子は言ってくれた。子どもたちの頭や心の中にある風車は、ぐるぐると回り続けているらしい。

 私の書く力が衰えても、その後はこの子たちが、とふと思う。風を待つだけだった大人たちと違い、子どもたちは、自らの中に風を吹かせ始めていた。

(了)

シロクマ文芸部「風車」に参加しました。

GRAPEVINE 「風待ち」を聴きながら書きました。


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